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木刀は投げられた

「令嬢が、私に何のご用でしょうか?」


 カインはいつも無表情に近く口数が少ない、物静かで少しコワモテのキャラクターだ。


 しかし、その感情表現の乏しい顔に、今はわずかに戸惑いの色を浮かべている。


 それはそうだろう。リリエとカインはフランツを通じて面識はあったものの、ほとんど交流のない関係だ。こんな風に突然呼び止められ二人きりで話すことなど、初めてであるはずだ。


「ご用……ご用ねえ……ええっと……」


 間を持たせようと口を開くが、意味のない言葉がごにょごにょと出るだけになってしまう。


 ナナミとフランツを二人きりにしよう、と突然思いついてカインを呼び止めたものの、私はカイン自身には何の用もなかった。


 ――ああ、もう、これだから、前世、処女のままで死んだ奴は使えねえ!


 私は心の中で自分自身を罵った。


 40を目前にして、不摂生が祟り往生してしまった前世の私は、かなりの非リア、コミュ障、完全なる喪女だった。


 話題のトレンディドラマは楽しんで見れる程度に恋愛自体に興味や憧れがあったものの、現実で自分がそれを経験することはついぞないまま死んでしまった。


 そんな女が、ファンタジー世界でヒロインとヒーローの恋愛をさりげなく不自然ではない流れで盛り上げようなどとは、難易度が高すぎる。


 ――でも、やるしかない。


「用……用がなければ、あなたを呼び止めてはいけなかったのかしら?」

「はっ?」


 いいぞ、今の台詞はなかなか、悪役令嬢ぽくて良かったかもしれない。


 カインも、先ほどよりも更に目を丸くしている。


 彼の驚きの理由は二つあるだろう。


 1つは、私が放った言葉それ自体の突拍子のなさ。

 2つめは、リリエがそんな言葉を、しかも高飛車な口調で言い放ったこと。


 リリエは育ちの良い、貞淑で上品で大人しいお嬢様なのである。


 この国の王子の、完璧な婚約者。少なくとも、カインはそう思っていたはずだ。


 加えて、由緒ある伯爵家の娘であるリリエと、代々騎士の家系ではあるものの、世襲貴族ではない家門の生まれであるカインとは、身分の差も大きく、気軽に言葉を交わせる仲ではない。


 私の言動に驚きつつも不用意なことも口にできないカインが、戸惑いを露わに、しかし黙ってこちらの様子を伺っている。


 ――用がないのに呼び止めたって言っちゃったし、無理して会話とかしなくても良いかな。


 あんまりに不自然な展開だけど、別にカインからの好感度なんて上げなくてもいいので、私は思いきってカインの存在をガン無視し、木刀での素振りを再開した。


「ソイヤッ!」


 気合いを入れるために、かけ声をかけながら木刀を振りかぶる。大きく振り上げた腕を思い切り振り下ろすが、下ろしきる前に手のひらから木刀の持ち手がすり抜け、またも石畳の上を音を立てて滑っていった。


 ああ、やっちまった、と小さくため息をつきながら木刀を回収しにいこうと踏み出すと同時に、カインが声をかけてきた。


「……令嬢」


 カインは私より早足で木刀の元へ駆けつけると、それを拾い上げ、構えて見せた。


「僭越ながら、先ほどから、令嬢の素振りを拝見しておりましたが……手指にばかり力が入りすぎています」

「えっ?」


 なんでだよ、手で握ってるんだから、その辺に力が入るのは当たり前じゃないのか、と言い返したくなったが、木刀を軽く振るったカインのフォームがあまりにも美しく迫力に満ちていて、私は思わず口をつぐんだ。


 リリエは剣術に縁のない半生を送ってきており、中の人たる私もからっきしなので、優秀な騎士の卵であるカインに意見などできるべくもない。


「今のままでは手首にばかり負担がかかり、支えもないので不安定です。剣を操るときは身体全体でその重みを感じるようにして――」


 説明しながら、もう一度カインは木刀を振りかぶる。優雅な所作はほれぼれするほど美しい。


「振り下ろすときは身体の重心を意識しながら、まっすぐに振り下ろす。このとき、もっと脇を締めるよう意識しないと、剣の重みで腕が引っ張られてしまいます」


 風を切る音がする。軽々とした動きに見えて、しかし力強さが感じられる。


「なるほど……」


 思わず納得してしまうと同時に、私は驚いていた。


 カインは寡黙で無愛想なキャラだ。誰にでも親切やおせっかいをするような男ではない。それが物語の進行とともにナナミにデレを見せるから物語の見せ場が発生するのだ。


 それが、仲良くもない令嬢に頼んでもいないのに剣の所作を教えてくれるとは思わなかった。


 カインから木刀を受け取り、先ほど彼がしていたみたいに構えてみる。


 体の重心。いわゆる丹田たんでんとかいうやつだな。


 ひ弱なリリエの身体では、木刀を持って立つだけで重いな、と感じていたが、言われたとおり身体全体を意識するだけで、ちょっとだけ安定して木刀を握れる気がした。


 ゆっくり振りかぶって、振り下ろす。


 木刀は手のひらからすり抜けずに、しっかりと最後まで握り続けることができた。


「……なるほどなるほど」

「どうでしょう? 先ほどよりしっかり振れていると思いますが」

「……ふんっ」


 ちょっとサマになった素振りができた喜びと、人に誉められたことで、私のテンションは密かに上がっていたが、ここでそれを表に出しては悪役令嬢への道は遠い。


「ロドウィン殿が、私に剣術指南をしてくださるとは思いもしませんでしたわ」

「……差し出がましい真似をしてしまいました」


 カインが、低めのテンションでリリエの機嫌を伺う。


 これがもしヒロインのナナミ相手なら、あからさまに不愉快そうな表情で「人の好意が気に入らないのか?」とか言って、険悪な雰囲気になったところだろう。そしてケンカップル的なイベントが発生するのだ。


 しかし、リリエはカインより身分が高く、おまけに主君の婚約者という立場の女性である。失礼な態度をとることはできない。


「別に怒ってるわけじゃないわよ」

「……それならば良かったです」


 無表情ながら、ふと、カインはほんの少しだけ目を伏せた。


 思えば、高貴な女性と会話する機会もあまりない男なので緊張しているのかもしれない。


 私はそっとカインに歩み寄った。


 フランツ王子もカインも身長を180cmぐらいに設定していた気がする。でか過ぎるわ。しかもまだ16歳なのに。間近で顔を見上げると首が痛い。


 少年と大人の中間の、男臭いけどまだ幼さも残る面立ち。


「……顔が良すぎるんだわ」

「えっ?」


 ぼそっと呟いた私の言葉を聞き取れなかったのか、カインが聞き返したが、無視した。


「ロドウィン殿はここで鍛錬をされることもあるんですか」

「ええ、特に用事がなければ朝に軽く、剣術の稽古をしていますが……」

「ふうん」


 想定していた流れではなかったが、ナナミとフランツの間にカインが介入しないようにするために、私がカインの時間を拘束する、という作戦もアリかもしれない。


「それなら、今度またここで会うことがあったら、今日みたいに色々教えて頂いても宜しいかしら?」


 思いもよらない申し出だったのだろう。カインが目を丸くしている。


 しかし無下に断ることもできないはずだ。


「それは……私などで、お力になれるのであれば」

「ええ、よろしくね」


 うむ、今朝は思いも寄らぬ収穫があったぞ、と私の気分は再び上がってきて、自然と唇の端に笑みが浮かんだ。


 そろそろ始業時間が迫ってきそうだ。着替えて教室に向かわなければ。


 くるりとカインに背を向けたところで、声をかけられる。


「……あの、令嬢」


 振り返ると、遠慮がちにカインが尋ねてきた。


「失礼ですが、何故、剣術を学ぼうとされているか、理由をお聞きしても?」


 私が木刀を振り始めたのは一昨日からだ。それまでは武芸に縁がなかったし、貴族令嬢には必要のないことなので、カインが不思議に思うのも当然だ。


 私は何と答えるかほんの数秒迷ってから、これだけは正直に真実を答えてやることにした。


 前世の、処女のまま死んだコミュ障で非リアな私は、愛想が悪くて作り笑いが下手だったのだが、幼い頃から社交のための教育と躾をされていたリリエは違う。


 感じのいい笑顔を浮かべようとすると、自然に目尻が下がり頬骨が持ち上がった。


「――あなたを守るためよ」

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