紫陽花と豚カツと誤チェストと
正直言って、黒歴史だった。
若気の至りでネットの海にたれ流してしまったかつての拙い妄想の世界に、何故死んだ後に生まれ変わっているのか。
リリエ・フォンバッハ、ロマル王国の伯爵令嬢、15歳……に、なってしまった私は、学園の演武場で一人木刀を振りながら、心の中でぶつくさ文句を言っていた。
ロマル王国の貴族の子女は、一定の年齢になると「学園」と呼ばれる全寮制の教育機関に所属することになっている。士官学校やアカデミーなどが合体したイメージである。
リリエは現在、この学園の2年次生だった。
ネーミングや細々した設定からヨーロッパ風の世界観を醸し出そうとしているがーー石畳の上で簡素な洋装に身を包み、木刀で素振りをしている今の私の動作は、どこからどう見ても、完全に日本の剣道でやるそれだ。木刀を真上から真下へただまっすぐ振り下ろす動作を何度も繰り返している。
かつての私は西洋の歴史や文化に大して詳しくなかったにも関わらず調べ物も大してしていなかったため、この世界には何かと無理がある和洋折衷設定が顔を出す。
例えばこの学園は何故か年次が4月始まりだし、その2ヶ月後の現在6月は、極東アジア特有の気象であるはずのの梅雨のシーズンが到来しており、学園中の花壇に日本原産の紫陽花が美しく咲き誇りまくっている。
昨夜の学食のメニューにトンカツが出たときは思わず悲鳴を上げそうになった。高校生の頃の私は、洋食屋さんに出てくるメニューは全てヨーロッパ発祥の料理だと思っていたのだろう。そのうちナポリタンが食卓に並ぶこともあり得る。
「うあああああああ! チェストおおおおおおおお!」
思い出し笑いならぬ思い出し羞恥で興奮した私は、大声をあげて木刀を振り上げた。
しかし圧倒的に握力が足りず、それは手のひらからすり抜け、背後に飛んでいった。
からん、からん、と、石畳の上を木刀が滑る音と、「きゃっ」という、少女の小さい悲鳴が聞こえて、私は慌てて振り返った。
演武場の入り口に、いつの間にか、人影が三つ、現れていた。
メインキャラクターのお出まし、である。
セミロングボブカットの黒髪の少女、雨宮七海。本作の主人公にしてヒロインは、日本の女子高生である。緊張で少し強ばった様子でこちらを見ている。
ナナミは、決して特別な美人ではない。元の世界で何か特技を持っていたわけでもない。どこにでもいるごく普通の女子高生だったけど、そのエキゾチックな風貌と、異世界からやってきたという特別感、そしてけなげにひたむきにこの世界で頑張っていく姿に、男たちが絆されていくというストーリーだ。
金髪の美少年フランツ・ヴィクヘルト。この国の王太子にして、リリエの婚約者でもある。
そして、何を隠そう、ナナミと恋に落ちる相手、いわゆるヒーローである。
すらりとした長身の細マッチョ、隙のない佇まい、知性と気品が溢れる立ち振る舞い。
なにもかもが完璧な王子さま、ミスター・パーフェクト。
思わずため息をついてしまいそうになり、飲み込んだ。
どうしてヒロインの相手役をミスター・パーフェクトにしてしまったのだろう。
高校生の頃の創作初心者の私は、キャラクターの魅力とはわかりやすい欠点から演出され、それによって物語が盛り上がりがち、ということをわかっていなかったのである。
……今更そんなことを嘆いても仕方がない。
なお、フランツとか、リリエの名字のフォン・バッハとか、何かとちょっとドイツ語っぽい響きを採用しているのは、高校生の頃の私が「ドイツ語っぽい響き、かっこいいよね~」と深く考えずに命名していたからで、特に意味はない。
さて、最後の一人、フランツ王子の隣に立つ、黒髪の少年、カイン・ロドウィン。王子の乳兄弟であり、幼なじみであり、護衛を兼ねて一緒にこの学園に入学した男。
そして、ナナミとフランツが惹かれ合っていくのを知りながら、自身もまたナナミに恋心を抱いてしまい、密かに苦悩する……という、典型的な「当て馬」キャラ。
「はあ……」
漆黒の輝くような頭髪、切れ長の力がある目、堅く結ばれた薄い唇から、意志の強そうな雰囲気が醸し出されている。
寡黙ながら気が強くもある彼は、いわゆるツンデレキャラだ。
そのカインの姿が視界に入った途端、思わずため息が出てしまった。
人気のない演舞場では、小さなため息もよく響く。
しまった、と思ったがもう遅い。たぶん、3人にも私のため息は聞かれてしまったに違いない。
リリエは誰かに会って挨拶もせず、いきなり感じの悪いため息をつくような少女ではないのだ。
――いや、本来はそうなんだけど……感じが悪いと思われるので、むしろ良いのでは?
だって、私、これから悪役令嬢にならなきゃいけないんだから!
などと一人で悶々と考えているうちに、フランツ王子がこちらへ颯爽と歩いてきた。
「おはよう、リリエ嬢」
王子さまは完璧な姿で、柔和なほほえみを私に向けてくる。
リリエとフランツは、幼い頃から大人の事情で将来が決められていた仲だったが、リリエはそんな思惑とは別に、心からフランツを好いていた。
こんな完璧な王子さまが許嫁なのだ。もはや他の男など目に入るはずがなかろう。だが王子さまの方と言えば、突然異世界から現れたミステリアスな少女にどうしようもなく惹かれてしまう……ありがちな関係だ、可哀想に。
「ごきげんよう、王子殿下」
剣術の練習のために、今はスカートではなく動きやすいズボンを履いているので、令嬢風のお辞儀であるカテーシーをしてみたが、少しシュールに見えているかもしれない。
「朝早くから、どうしてこちらに?」
「うむ……ちょうど良かった、令嬢にも紹介しよう。こちら、ナナミだ。先日、神殿に現れたーー」
「ああ!」
ここはチャンスだ、悪役っぽく振る舞っておこう。
私は渾身の目力で、おずおずとフランツ王子の隣に進み出たヒロインを睨みつけた。
「噂の「聖女」さまですのね!」
「いや、まだ、正式にそう決まったわけでは……」
「ごきげんよう、「聖女」さま」
フランツの言葉を半ば遮るようにして、挑発的な口調でそう言うと、気圧されたようにナナミの肩が小さく揺れるのがわかった。
しかし、そこで怯んでうつむくようなことはせずに、私の目をまっすぐに見つめてきた。
そう、ナナミはそういうヒロインだ。誰かに軽率に甘えたり頼ったり、媚びを売ったり、そういうことを良しとしない。よく言えば気高い、悪く言えば意地っ張りなところがある。そういう少女なのだ。
「こんにちは。私のことは、ナナミ、と呼んでください」
「ナナミ、こちらはリリエ・フォンバッハ嬢だ」
フォローするように私を紹介するフランツに、明らかに狼狽する様子はないが、しかし、私たち二人を交互に見る彼のその目に、不穏な空気を察しているのが、わかった。
他の者にはわからないだろう。「リリエ」だからわかるのだ。フランツの、いつも完璧に平静を装える王子の、ほんのかすかな心の機微が。
私がナナミに嫌みな態度を取っていることに、フランツは動揺していた。リリエは本来、他人に悪意をあからさまに示すような性格ではないし、元のストーリーでも、嫉妬からナナミに嫌がらせをするようなことなど、最後まで一度もない。いや、物語は完結していないのでその言い方は正しくないのかもしれないが、とにかく、最後まで悪事を働かないキャラクターとして、作者の私は設定していた。
だが、今、リリエの中にいるのは、本人ではなく、私である。
「リリエ・フォンバッハです。フランツ王子殿下の婚約者ですのよ!」
牽制のつもりで高らかにそう宣言してみるも、ナナミの表情は変わらなかった。
あれ、なんかもうちょっとあからさまに動揺するかと思ったんだけど。
「そうなんですね」
ナナミが相づちを打ってから、我に返った。
今は、物語の序盤の序盤。異世界に来たばかりのナナミは恋愛どころじゃなく、フランツにまだ大した感情も抱いていない。
やばい、単にフィアンセが王子であることを自慢してるイタいお嬢さまだと思われたかもしれない。
「と、ところで、お三方はここで何をなさっているのかしら?」
「ああ――ナナミは今日から、この学園に通うことになったんだ。それで、簡単に校舎の案内をしているところだ」
「ふうむ」
今は物語の最序盤だ。これからナナミはこの世界について徐々に知っていき、その中でフランツとの仲が深まり、やがて好意を抱いていくのだが、確かこのときのエピソードでは特別な意味のある展開はなかったはずーーたぶん。私があんまりよく覚えていないということは、そうなのだろう。
とはいえ、最善を尽くした方が良いだろう。
ここで、当て馬・カインを含めた3人ではなく、ナナミとフランツの二人きりで校舎内ツアーをすれば、二人の仲がより早く進展するかもしれない。
「ここは武術の演習場ですわ。ナナミさんのようなか弱い女生徒には縁のない場所でしょう。長居せずに次の場所を案内して差し上げたらいかがでしょう、殿下。武術の心得がない者がいるには、少々危険な処ですから」
そう言いながら、ナナミの足下に転がっていた、私がさっきまで振るっていた木刀を拾い上げる。
「うむ……そうだな。たぶん、ナナミが学ぶ課程ではしばらくここを使うことはないだろうし、次の場所を案内しよう。行こう、ナナミ」
「あ、はい、お願いします」
「それでは失礼する、リリエ嬢。ナナミと同じ教室で学ぶ機会もあるだろうから、そのときはよろしく頼む」
「……ごきげんよう」
にっこり微笑んで応えると、フランツとナナミがきびすを返し歩きだした。
当然のように、これまでずっと黙っていたカインが、それに続こうとする。
「ロドウィン殿!」
私は慌ててカインの家名を叫んだ。
黒髪の後ろ姿が揺れ、無表情な顔がゆっくりとこちらを向く。
何事かと、先を行く二人もこちらを見たが、そちらには目をやらず、私はカインだけをじっと見つめた。
「あなたに少しお話がありますの。残っていただけます?」




