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悲しみセミファイナル

 異世界召喚者の朝は早い。


 少なくとも私の自作小説のヒロイン・ナナミの場合はそうだった。


 彼女はこの世界に早く慣れるため、学園の補習プログラムを積極的に受け、それ以外にも自主学習などを朝早くに起きて頑張っているのだ。なんて健気なヒロイン。


 これは高校生当時、小心者であった故に図らずも真面目キャラとなってしまっていた私自身の性格や行動パターンが反映されているのかもしれない。30を越えて図太い女となった前世の晩年の私がもしも彼女と同じように見知らぬ異世界に飛ばされて来たら、堂々とめんどくさがり、ふてくされ、好き勝手暴れていただろう。


 もしかすると、今時の少女小説でもそういうヒロインの方が反骨精神があってウケるかもしれない。ナナミはちょっと「イイコちゃん」過ぎる。あまり読者からの人気がなかったのもそのせいかもしれない。


 まあ、今となってはそんなことはどうでもいいのだ。今の私には、脇キャラのリリエ・フォンバッハとして物語をひっかき回すことはできても、登場人物の根本的な性格を変更することはできないのだから。


 さて、そういうわけで、私はナナミが朝早く、寮の誰もまだ起きていないような時間に身支度を整えて、一人寝室から出てくるのを知っているわけである。


 女子寮の寝室は、基本的に個室である。今となっては、2人部屋設定の方が自然だったのでは? と思うのだが、この物語を書いていた高校生当時の私はあまり海外のハイソな寮生活に関する知識もないし、調べ物もしなかったので、深く考えずに個室設定にしてしまったのだった。なお、トイレ、風呂は共用である。


 閑話休題。


 柱の影から見守っていると、程なくしてナナミの部屋のドアが静かに開いた。ナナミは気遣いができる良い子なので、朝早くにドアの開閉音で周りの寮生たちが起きてしまわないように、忍者のごとく無音で部屋を出入りするのだ。


 しかし、そんな彼女の気遣いが無になりかけた。


「ひっ……ひぃっ!?」


 ナナミが、廊下の床にばら撒かれている物を見て、思わず声を上げた。悲鳴というほどの悲鳴にはならなかった。寝起きであまり声が出なかったのか、あまり声量がなかったのだ。そのおかげで、多分他の部屋の女子学生たちはまだ無事に、夢の中だ。


 ビビらせることには成功したようだな、と思い、私はほくそ笑んだ。


 ナナミよりも数時間早起きして座禅を組みながら考え、私は思い出したのだ。


 源氏物語。やんごとない人たちの物語。あまり古典の授業が好きではなくて内容をあまり覚えていなかったが、これは、なんとなく覚えていた。源氏物語のお母さん。桐壺さんだっけ? 美人過ぎて帝の寵愛を受けまくり、そのせいで周りの女たちに嫉妬をされまくり、日々嫌がらせをされていた。その嫌がらせの内容の中に、確か、通路に糞尿をまいて通せん坊をするとかいうのがあったはず。授業で先生がちらっとそんなことを言っていて、「ええ、そんな、帝にお仕えするような貴族がそんな下品ないじめすんの!?」と驚いたので、覚えていたのだった。


 その古典の授業の記憶が、第二の人生に役立つとは……。


 いや、でも、糞尿を寮の床に撒くのは私もやりたくない。そもそも糞尿をどこから集めればいいのかもわからないし。後できれいに掃除しても臭いとか残りそうだし。


 根本的なアイディアは参考にしつつ、ここの世界観に合いそうな軽度な嫌がらせにアレンジしよう……。


 そんな私が編み出したのが、これだった。


 ナナミは、扉の前から一歩も動けず、地面に散らばっているものたちを強ばった顔で眺めている。彼女は本来、窮地に立たされた時や、目の前の相手が自分に敵意を持っていると感じたとき、自分の弱みを他人には見せまいと、強気な表情をして対峙する。そういう、強がりな女の子だ。


 しかしそんな彼女の今の表情からは、明らかな脅えが見て取れる。


 今は自分一人でいるから、強がる理由がないと思って、か弱げな雰囲気を隠さずにいるのか。それとも、目の前に、ひっくり返った蝉がいるときは、いつもこんな風に、恐怖を抑えられない顔をしているのか。どちらなのだろう。前世では神だったはずの私なのに、わからない。こういうとき、自分の設定の、詰めの甘さを痛感する。新しいキャラクターの一面が、現実となって目の前に現れる、と表現すると、なかなかロマンティックな気分にもなってくるが、要は当時の私が、自分の作ったナナミというキャラのことを、まだ自分自身で理解しきれていなかったということである。


 まあ、それはもういいんだ。私は今は神じゃないので。


 ナナミは、私が早朝に庭園で拾い集めた睡眠状態のセミが何匹も転がっている廊下の有様をみて、立ち尽くしていた。きっと、源氏物語の中の、光源氏のお母さんも、こんな感じだったのだろう。よしよし、うまくいっているぞ。


 これはナナミへの新しい嫌がらせシリーズのお試しであると同時に、セミに私の催眠魔法がどれぐらい持続するかの実験でもある。庭で蝉を眠らせた時間は紙に書いて記録し、なるべく刺激を与えないようにここまで運んで並べた。ネズミや他の小動物などで実験したこれまでの内容から推測すると、そろそろ起き出しても良い頃合いだ。


 そのとき、このまま扉の前で一人立っていてもどうにもならない、と思ったらしいナナミが、意を決して、セミを刺激しないように抜き足差し足で、それぞれのセミから出来るだけ遠い箇所を選びながら、その場を通行しようとした。


 一歩目が、地面に着いた瞬間だった。



 ジジジッ ジジジジッ ジャッジャッジャ!


 やかましいセミの悲鳴が人気ひとけのない廊下に響きわたる。魔法の効き目が弱まっているところに、ナナミの足音で完全に目が覚めたセミが、慌てて暴れ出したのだ。


 まさに、日本の夏の風物詩、セミ・ファイナル……死にかけのセミが腹を上に向けながら地面に横たわりながら、しかし時々最後の力を振り絞って突然暴れ出しそばにいた通行人を脅えさせる、アレ。もちろん今回は、強制的に眠らされた、元気でぴんぴんしてるセミだけれども。


「ひ、ひいいい、ひひゃああああ!」


 ナナミ、ついに女子高生ヒロインらしい悲鳴をあげた。それと同時に、眠っていた他のセミたちも次々に目覚めて暴れ出し、彼女の足下はカオス状態になっている。


 完全にパニックになり、両足を落ち着ける場所を失って謎の激しい阿波踊りみたいになっているナナミ。遠巻きにそれを隠れて見ていた私は、思わず、ブフフッ、と笑ってしまった。いかんいかん。本人はめっちゃ怖がってるのに。セミファイナルでパニクってる赤の他人を安全な場所から見てるの、ちょっと面白い。こんな意地悪な笑いができるなんて、私、やっぱり悪役令嬢のポテンシャル、あるわ。


 自分の可能性に自信がもてたところで、私は隠れていた柱の影から抜け出し、ゆっくりとナナミの前に姿を現した。


 それと同じタイミングで、元々は健康で元気だったセミたちは体制を立て直して飛び去っていった。


「ひぃっ……! はあ……はあ……」


 よほど、びっくりし、怖かったのだろう。ナナミは青ざめた顔に、冷や汗まで掻いている。


「あっ、リリエさん、おはようございます」

「ふんっ」


 いつもなら、優しいお嬢様風の挨拶を返してやるところだが、ここは、捨てぜりふの吐きどころだ。犯人が私だと教えてやる必要もあるしな。


「無様なことね、ナナミさん」


 うーん、ちょっと大根役者の棒読みみたいになっちゃったか? 罵詈雑言リストの台詞、もっと悪役らしく口に出来るよう、要練習だ。


 ただ、ナナミは私のこの言葉に、十分ダメージを受けたようだった。目を見開き、言葉を失っている。


 もう一言ぐらい、攻撃しとくか? と思ったところで、ナナミの部屋の隣の扉が開いた。


「なんだか騒がしい音がしましたけれど……どうかなさったのですか? あら、リリエ嬢」


 誰だっけ、同級生のモブキャラだ。不思議そうに私とナナミの様子を交互に伺う優しそうな彼女に、私はにっこりとほほえんだ。


「お騒がせしてしまってすみません。私は自分の部屋に戻りますわね。それではまた、朝の講義の時間にお会いしましょう」

「え、ええ……」


 同級生ちゃんは、少し戸惑い気味に返事をする。ナナミは、微動だにせず、血の気のない顔で私をじっと見つめていた。

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