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ランドリーより愛をこめて  作者: 三村真喜子
7/25

日本ラブストーリー大賞最終候補

毎日はなんだかんだ言っても忙しく過ぎて行く。そのことに陽子は感謝していた。




 自分の企画した仕事の準備が忙しく、それもオフィスで机の前に座りっぱなしやパソコンの画面を睨みっぱなしというものではなくて、厨房へ走り、業者に直接出向き、電話をかけまくり、打ち合わせの為に人に会っては手ばしかくぴしぴしと話しを進めて行く。これが薄ぼんやりしたデスクワークばかりだったならば、陽子は間違いなく発狂していただろう。




 大袈裟だとは思うが、本当にそう感じていた。




 それでも今回手掛けた企画がブライダルフェアだったというのは皮肉なことだった。




 これまでに陽子が企画したのは宴会場でのシャンソンのリサイタル。元タカラジェンヌにオファーをし、相当数の動員を確保できた。それから子供向けマナー教室。小生意気なガキどもをまとめるのに苦労したものの、これもそれなりに成功を収めた。




 そうして、ある意味満を持してのブライダルフェアの企画だったのだが、今の自分からはもっとも遠くせつない企画だと思った。




 陽子は模擬挙式の段取りと進行表を作成し、関係部署へ回送し、引き出物のカタログのサンプルや配布見本の部数を後輩に指示すると、自分は午後から提携するヘアメイクサロンへ出かけた。




 サロンはホテルからほど近いこぢんまりした雑貨屋やブティックの並ぶ界隈にあり、吹き抜けのガラス天井から差し込む光が眠気を誘うほど気持ちよかった。




 近頃はホテルにヘアメイクが常駐することはなく、お客が直接サロンで当日までの打ち合わせをする。そして担当の美容師が挙式当日にホテルに出張してくるようになっていて、場合によっては二次会用にもメイクやセットを請負ってくれるのだ。




 陽子はフェアの日にヘアメイクのデモンストレーションを盛り込んでいて、その打ち合わせにやって来たのだった。




 所詮、カタログはカタログだ。ドレスだって現物を見ないと分からないというのに、ヘアメイクだって仕上がりを見たいと思うのが当然だろう。しかもこれは結婚という、一応、定義としては「一生に一度」のこと。だから取り入れた企画だった。




 実際、それらは陽子が自身の披露宴の打ち合わせに向けてドレスや髪形を雑誌やネットから検討している時に感じたことでもあった。




 どんな写真でも現物の質感やニュアンスが分からないし、アップにするにも巻き髪にするにもどのぐらい長さがあればいいのか、また、長さが必要ならば準備期間の間にどうやって伸ばし整えていくべきなのか。陽子はそういう具体的な準備についてもっと知りたいと思った。




 本番に向けての準備の、さらに下準備のようなもの。当日を迎えるまでにしておくこと。本当に似合うかどうかのシュミレーション。出来上がっていく過程までももっと細部に渡って知ることができたなら。ほんのわずかな一日の出来事にすぎないのに、失敗の許されない一日のために。




 陽子はこのフェアをぜひとも成功させたかった。その熱意は仕事への意欲ではなく、自分の結婚が破談になったことへの意地みたいなものかもしれないが、少なくとも自分が経験したような相手の心変わりを誘い出すような失敗を誰にとっても作らないようにできたらと思っていた。




 サロンのオフィスでコーヒーを飲みながら、広報担当や実際にヘアメイクをしてくれる数人の美容師たちと打ち合わせをする。ポートフォリオの必要性について。素人モデルの手配について。髪形のアドバイスやカウンセリングを受けられるブース設置について。




 話しを進めて行く中で、ふと陽子は思いついて美容師に尋ねた。




「あの、これは全然関係ないんですけど」


 そう前置き、


「現実的にそうあるシチュエーションではないんですけど、例えば新郎新婦がすっごくファンキーな感じをご要望だった場合ですけど……」




「えっ、そんなことってあるんですか?」




「いえ、だから、ないと思うし、今まで私は経験ないんですけど」




 驚く美容師の横で広報担当の女性が、


「でも、これからは全然ないとは言えないんじゃないですか? なんでも個性の時代ですもんね。自分らしさを追及したい人たち多いじゃないですか」


 と笑った。




「でも、ファンキーってどんなんです?」


「……アフロとか」




「アフロ! 新郎がアフロ?」




「なんとなく思いついたんですけど……」




「うーん。その場合、新婦はどうしたらいいのかなあ」




「お揃いになるようにアフロのカツラにするとか?」




「ああ、まあ、アリっちゃあ、アリかなあ」




「そうねえ、色はピンクにしちゃうとかねえ」




 なんでそんなことを聞いたのか、陽子自身も分からなかった。単なる興味だったとも言えるし、アフロがあれからどうしたのかが気になるせいでもあった。




 どこの学生の悪戯だか知らないが、今考えてみると手が込んでいた。一体どうやって乾燥機に入っていたんだろう。不思議でしょうがない。




 陽子の言葉に真面目にディスカッションするサロンのスタッフに陽子は、


「そういうこともできますよっていう提案だけでも用意しておくとお客様も聞いてて楽しいと思うんです」




「そうですね。デモは無理ですけど、トータルコーディネートの提案ぐらいできるように何か考えておきます」




「あの、なんか変なこと言ってごめんなさい。なんとなく、アフロの人が来たらどうしようなんて考えちゃって……」




「いえいえ、色んな人が来ますもんね。あとはモデルさんですねえ……。どうしましょう? うちのお客様からも募集かけますけど、そちらのスタッフからも動員できませんか?」


「ああ、そうですね。何人ぐらい必要ですかね……」




 陽子は気を取り直して万年筆を握り、手帳を開いた。




「若い人がいいですよね。えーと……」




 頭の中でホテル内の「適齢期」な女の子を思い浮かべる。




「岡崎さんはどうですか?」




「えっ? 私?」




「そう。まさかアフロとは言いませんけど」




「いやあ、当日、私は無理ですよー」




「ですかねー。でも、岡崎さんにもやってもらいたいなあ。ほら、岡崎さんっていつもこういうの裏方仕事でしょ」




「ありがとうございます。お気持ちだけで。っていうか、私じゃあちょっと年いきすぎだし、上からクレーム来ちゃう」




「まさか、そんな」




 オフィスに笑い声が充満する。陽子も笑いながら、上司に言われた言葉を思い出した。




 破談になったことを知る上司から今回の企画から陽子をはずそうかという打診を受けた時、陽子は怒りと屈辱のあまり卒倒しそうになった。




 上司が陽子の気持ちを慮っておもんばかってくれているのは分かっていた。それでも「君もつらいだろうから」などと言われるのは、余計につらいとなぜ気付かないのか。仮に陽子の気持ちが本当にそうであったとしても、自分の仕事を投げるつもりはなかったし、ましてや自分の企画を他の人に預けるつもりも毛頭なかった。




 陽子は上司に胸を張り、澄ました顔で答えた。「大丈夫です」と。




 依然として何が「大丈夫」なのか分からないことに変わりはなかったけれど、それ以外の言葉はないように感じた。いや、正確には「大丈夫じゃなければならない」のだ。そうでなければやっていけないし、その強迫観念だけが陽子を動かしていた。




 陽子は打ち合わせを終えるとホテルへ戻る前にスターバックスに休憩に入った。




 コーヒーとチョコレートバーを買って紙コップ片手に店内を見回す。ちょうど窓際の席が空いている。陽子はまっすぐにその席めがけて歩いて行った。そして椅子に腰かけるのとほとんど同時に、目の前の椅子が引かれ、




「お、偶然やな」




 と、同じスターバックスの紙コップを手にしたアフロがすとんと腰をおろした。




「わっ!」


 びっくりして陽子は思わず叫び、のけぞった。




「仕事中?」


 アフロは当たり前のような顔で尋ねた。




 窓の外は穏やかな日和で、通りを行く人々も車の流れもガラス越しなせいかどこかしら牧歌的に見えた。




「な、なに……」


 陽子は自分を落ち着かせようと、深く息を吸い込んだ。




「なにやってんのよ……。まさか後を尾けてるとか言うんじゃないでしょうね」




「えらい言いようやな。そんなストーカーみたいなことせんでもあんたがどこにおるかは分かるねん」




「なんで分かるのよ」




「分かるから分かるねん」




「答えになってない」




「まあ、ええがな。そんなことより、願い事決まったんかいな」




「まだそんなこと言ってるの? あんた、どこの学生だかフリーターだか知らないけどね、悪ふざけもいい加減にしなさいよ」




 陽子はチョコレートバーの包みを開きながら、なんだか自分はいかにも年上の女くさい説教をしているなと思った。そういうポジションは会社だけで充分だというのに。




 陽子は社内でもすでに中堅の立場になりつつあり、新人教育を任されることもあるし、実際に後輩たちにも説教せざるを得ないことも多い。が、そのどれも、彼らから快く思われていないのを陽子自身が知っていた。即ち、口うるさいハイミスだと。




 なにも陽子だって怒りたくて怒っているわけじゃない。注意しないと自分も当人も困ることになるから言うのであって、まさかプライベートに口出しするわけでなし、恨まれるのは甚だ心外だった。




 だから陽子は哲司との破談を彼らに知られたくないと思っていた。口やかましい嫁き遅れだからフラれたなんて噂されるのはごめんだ。それが見栄だというなら、社会で働く女には見栄とは肌を健やかに保つ基礎化粧品なみに必要なものなのだ。




 陽子は気を取り直すようにもう一度深呼吸し、今度はできるだけ優しく言った。




「私なんかにかまうより、他にするべきことあるでしょう?」


「な、なんや。気持ち悪いな……、急に優しい声だして」


「……」


「まあ、ええわ。俺もあれからちょっと考えてんわ」


「……なに」




 アフロはコーヒーを啜ると陽子の手元のチョコレートバーに手を伸ばし、勝手にばきっと折って口に放り込んだ。つくづく遠慮のない奴だ。陽子はそう思ったが黙ってアフロがチョコレートを咀嚼するのを見つめていた。




「俺のこと、信用できへんって言うたなあ?」




「うん」




「あれはあれでもっともやなと思うねん。せやから、まずは俺の存在っていうもんを理解してもらわんならんと考えてん」




「はあ」




「ようするに、あれやな? 俺が悪魔やって言うのが信じられへんねんよな?」


「普通はそうでしょう」




「そしたらどないしたら信じてくれる?」




 アフロはテーブルに肘をつき長い指を顔の前で組み合わせ、陽子の目をまっすぐに見ていた。




 仕方がない。陽子はため息をついた。




「悪魔って一体なにができるの」




「空とか飛べるで」




「……とか言って、ひょいってジャンプして見せるのは駄目よ」




「……うーん……。あ、猫とかカラスとか呼べる」




「家で飼ってるとか言うんじゃないでしょうね」




「うーん」




「本当はなんにもできないんでしょう?」




「あ、その言い方、心外やなあ」




 陽子は自分もチョコレートバーをひとかけ折りとって口にいれた。




 甘い。この甘さだけが心をゆるやかにしてくれる。陽子はもう開き直ってこの状況を許容することに決めて、肩をすくめて見せた。若い男の冗談に付き合うのも女の度量かもしれないし、少なくともこうしている間は哲司のことを考えないですむ。




「とにかくね、あんたの力が証明されない限りは何を言っても駄目よ。願い事なんて考える気も起きやしない」




「……分かった。ちょー待ってや」




 アフロはそう言うとおもむろにジーンズの尻ポケットから煙草を取り出した。それは例のラッキーストライクで、陽子はちょっと笑って椅子の背にもたれて両腕を組んだ。




 アフロは煙草を一本抜き取ると、陽子に差し出した。




「これ、持ってて」




「なに? 手品?」




「ええから持ってて。てゆーか、咥えて」




 陽子は煙草を吸わない。だからその仕草は中学生が初めて煙草を吸ってみるような奇妙に緊張した様子で、表情はいくぶん強張っていた。




 唇に触れる煙草の感触。乾いた匂い。陽子は「?」と目で問いかけた。




「あんまり人前でこういうことするのんあかんねんけど……」




 アフロは呟くと、テーブルを挟んで右手の人差指を真っ直ぐに伸ばし、視線を煙草の先に集中させた。




 時間にしてものの数秒だろうか。陽子はその時確かにアフロの指先から炎が現れるのを見た。




 それは青い炎だった。マッチやライターの黄色い火の色ではなく、本当に青い炎。怪談に出てくるような、人魂を思わせるほどの冷たい青。それがアフロの指から出たかと思うと煙草の先に近づいてきて、微かに紙の焼ける音がして、次いで細く白い煙が漂い出た。




 陽子は唖然とし、口をぽかんと開いた。火の点いた煙草がテーブルにころんと落ちた。




「うそ……」




 陽子は驚きの中に恐れとおののきを合わせて、アフロを凝視した。




「どうや、信じた?」




「本当に……悪魔なの?」




「だからそう言うてるやん」




 アフロは得意げに煙草を拾い上げた。




 陽子は悪魔というものが登場する小説や漫画や映画を思い出そうと記憶を巡らせた。悪魔と呼ばれし者はいつでもその邪悪な力で何でもできて、人心を掌握し、破滅をもたらす。概ね、悪魔が登場して幸福な結末に至ることなどないのが普通だ。




 しかし、これまでに見たどんな絵画も実写も、悪魔がアフロであったことは一度もない。一体いつから悪魔にも個性が尊ばれるようになったのだろう。陽子は不意にさっきの打ち合わせのファンキーな新郎新婦が来たらという仕方話を思い出し、それではファンキーな悪魔が来たらばもっとどうするべきなのか比較にもならないようなことを考えていた。




 陽子はアフロに悪魔的な牙がないか、耳はとがっていないかという証拠のようなものを探さずにはおけなかった。




「これで分かったやろ? なんでもできるねん」




 アフロがそう言うと、グリーンのエプロンをかけた若い男がレジから飛び出し、陽子たちのテーブルめがけて走ってきた。




「すみません、お客様! 店内は禁煙です!」




 アフロも陽子も煙草は吸っていなかった。そこにあるのは吸いつけずに火をつけた煙草。ライターやマッチを使わずに、もちろん木切れを擦り合せて火を起すような原始的な真似もしないで点火させたラッキーストライク。




 アフロは「あ」と間抜けな声を漏らし、店員が大慌てで差し出した灰皿に煙草を押しつけた。店員はほっとしたように、


「申し訳ございません。お煙草は外のお席でお願いします」


「す、すんません……」


 あたりは柔らかいけれど、きっぱりとした口調だった。




 アフロはばつ悪そうな顔で陽子の顔色を窺っていた。今あるのは火の点いた煙草ではなく、消えた煙草が死んだようにつくねられた灰皿だけだった。




「……なんでもできるけど、スタバを喫煙にすることはできへんで……」




 呟いたアフロは照れたように頭を掻いた。




 信じられない。陽子は今見たものもまた違った意味で信じられないと思った。




「……私、仕事があるから戻らなくちゃ……」




 陽子はどうにか声を絞り出した。隠しきれない動揺が言葉を重くする。アフロが本物の悪魔であることが怖いというよりも、これからどうしたらいいのかが分からなくて頭の中が大混乱だった。




 そんな陽子の態度をよそに、アフロの言葉はさらなる衝撃を与えるものだった。




「じゃ、俺も行くわ」


「は?!」




 陽子は思わず大きな声を上げた。店員も周囲の客も陽子たちを振り返った。けれど陽子にはそんなことは目に入らず、


「行くってどこに」




「あんたの行くとこどこでも行くがな」




「そんなの困る。だいたい、あんた、そんな非常識なこと……なに考えてんの?」




 陽子はなじるようにアフロを責め立てた。




「いやいやいや、心配せんでも邪魔せえへんよ。それに、今は俺の姿他の人にも見えてるけど、これ、見えへんようにすることちゃんとできるし。とにかく俺はあんたに願い事してもらわんとあかんねん。あんたがなんか言うまで、俺はあんたから離れへんで」




「誰がそんなこと決めたのよ。勝手に決めないでよ」




「勝手もクソもあるかいな。運命やいうたやろ。ほんなら、それが神様が決めたことやいうたらあんたは納得するんか?」




「うち仏教だもん」




「またそういう理屈を……。とにかく、ついて行くからな」




 アフロはそう言うと立ち上がり、紙コップを手にさっさと出口へ向かって行った。


 戸惑う陽子を置いてアフロは通りに立ってこちらを振り返っている。あのスチールウールみたいに膨張した髪が眩しい光を受けて健やかに見える。まるで光合成する植物のように生きた力を感じる。




 陽子は不意にヤケクソのような、もう、ほとんどやぶれかぶれな気持ちが胸に湧き上がってくるのを感じた。自分にだって今は生きた力などないのに、悪魔には生命力が宿っている。




 陽子は食べかけのチョコレートバーを掴んで鞄に突っ込み、観念したようにすっくと立ち上がった。だったら。だったら見せて貰おうじゃないの。人間の果てのない欲望とやらを。心の中で呟く。




 アフロに並んで歩道に立つと、陽子は挑戦的な眼差しでアフロを見据えた。

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