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ランドリーより愛をこめて  作者: 三村真喜子
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日本ラブストーリー大賞最終候補

アフロは通りの向こう側に立って陽子を見ている。昨夜も思ったが、本当に巨大だ。たぶん180センチ以上あるだろう。けれど、アフロの膨張で優に190センチは超えている。




 陽子は涙ぐみながら言った。




「私、頭おかしくなった……」


「やだ、なに言ってるの?」


「だって……」




 鼻の奥がつんとする。声はすでに泣き声だ。千夏は慌てたように陽子の手に自分の手のひらを重ねた。




「しっかりしてよ」


「……」


「……ねえ、陽子。あれ誰……? 知り合い?」


「え?」




 視線をあげるとアフロが笑いながら手を振っている。




 千夏は陽子の手を握ったまま不審そうに顔を歪めてもう一度言った。




「でかいアフロね」


「千夏、見えるの?!」




 陽子は思わず頓狂な声をあげた。




「そんなに目は悪くないわよ」




 そう答えた千夏はまるでその言葉を裏打ちするように、あろうことかアフロに愛想笑いをしながら軽く手を振り返した。




「まさかナンパじゃないよねえ?」


「……」




 信じられない。乾燥機から出てきたアフロが今度は街の雑踏に現れるなんて。




 陽子はワインの入ったグラスを掴むと一息に呷った。そうでもしなければ正気を保っていられなくて。しかも、そうしている間にもアフロはこちらへやって来るではないか。平然として長い足でアスファルトを踏みしめながら。




「ちぃーっす」




 アフロは二人のテーブルまで辿りつくと、今時の若者同様に首をひょいとすくめるような挨拶をした。しかし陽子はその姿を間近に見るのが怖くて、顔をそらしたまま黙っていた。




 一体、自分は頭がおかしくなったのか。それとも何者かに騙されているのだろうか。所謂「ドッキリ」みたいなものに。




「ちょっと、無視せんとってくださいよ」


「……」


「なに怒ってるんすか」




 アフロがなんの邪気もなく朗らかに陽子の顔を覗き込んでも、陽子は頑なに唇を噛みしめて黙っていた。




 陽子のそういう態度にアフロは苦笑いしながら、連れである千夏に向かって、


「すみませんね。お邪魔して。あ、ここ、座っていいっすか」


「あ、はい。どうぞ」


 千夏は咄嗟に空いた椅子を勧めた。




「ちょー、ほんま、無視すんのんやめましょーよ。人の話しちゃんと聞いてよ」




 あろうことかアフロは片手をあげて店員を呼び、ビールを注文した。




「お友達ですか?」


「あ、私は同期で……」


「へえ、同僚なんや。でも、えらい若くみえますやん」


「年は私の方が下だから」


「あー、どうりで」




 アフロは異様な人懐こさで千夏に話しかけ、千夏も戸惑いながらもそれに答えている。




 それは自分の預かり知らぬとところで世界が変質し取り残されていく孤独の味を思わせる。




 陽子はとうとうたまらなくなって、


「あんた一体なんなのよ! あつかましいわね! なんでいきなり現れんのよ?!」


 と怒鳴った。




 驚いたのは千夏だった。失恋直後の、友人でもある同僚がめずらしく真剣に、切実な顔で誘いにきて半泣きの顔をしていたのに、そこへ明らかに年下であろう若い男が現れて馴れ馴れしく話しかけると思ったら、いきなり怒りを爆発させるなんてどういうことなのだろう。




 千夏はテーブルを叩いて今にも立ち上がりそうな陽子を「まあまあ」と制した。




「えーと、あなた達どういう関係なの? 友達?」


「ちがうよ!」


「そうっす」




 陽子とアフロが同時に答える。




 ビールが運ばれてくるとアフロはグラスを手にして、女二人に言った。




「ま、とりあえず飲みましょうよ。おつかれさまでーす」




 グラスの中で金色のビールが細かい泡を立てて弾けている。悪びれもせずグラスを掲げるから、千夏は思わず自分のワイングラスを取り上げると反射的にアフロと乾杯をした。




「えーと……」




 千夏は陽子をちらと見た。けれど陽子は何も言わない。ただ憮然とした表情で黙っている。千夏は内心、陽子のこういう融通の利かない頑なさが前々から恋愛向きではないと思っていた。




 恋愛向きなんて性質があるのかというと、どうとは言えないのだけれど、少なくとも男に愛されやすい性質はある。陽子の真面目さはそのまま硬質な印象で、男を怖気づかせる。頭がよくて、冷静であろうとする性格はいつだって正論を言おうとする。それもきちきちの正論で、言いわけ一つ許すゆとりもないほどに。




 可愛げがないのよね、ようするに。千夏は心の中で苦く笑う。アフロは気持ちのいい飲みっぷりで、咽喉をのけぞらせてビールを流し込んだ。




 その美しい、妙に健全な佇まいと隆起する咽喉仏を見ながら、千夏ははっとして再び陽子に視線を投げた。




 陽子の話しはこれか……? 失恋直後の友人が、自分の頭がおかしくなったと半泣きで言う。それはこの男のことなのか? 確かに陽子の相手にしては若いし、まさか学生でもないだろうけれど、何をしているのか分からないとんでもないアフロのことを言いたいのだろうか。




 千夏はアフロを見つめながら、外見はさておき、そう悪い人間でもなさそうだと仕事の時にお客の好みや恋愛遍歴、財布の中身まで推し量るように観察眼を働かせた。




 千夏は充分にアフロを検分すると、訳知り顔で微笑んだ。




「陽子、大丈夫よ。心配しなくても別におかしくないよ」


「えっ」




 びっくりしたのは陽子だった。千夏は妙に穏やかに、すべてを知ったような調子でうんうんと頷いてみせるけれど、陽子にはなにが大丈夫なのかやっぱり分からなかった。




「待ち合わせてたんならそう言ってよ。ていうか、紹介してよ」


「しょ、紹介? 誰を?」


「彼、でしょ?」


「ええっ」




 千夏の言葉の意味が初めて分かった陽子は椅子から転げ落ちそうなほどのけぞった。




「ち、違う違う違う!」




 陽子は両手をぶんぶん振って、全力で否定した。




 乾燥機から出てきたアフロを新しい恋人にするなんて冗談じゃない。第一、当分恋愛なんてしたくもないと思っているのに。陽子の頭の中に「食傷」という言葉が浮かぶ。




 しかし、またはっと気づく。そういう問題ではない、と。




 アフロが自分の何かなんてどうだっていいのだ。問題はアフロの姿が千夏は勿論のこと、店の店員にだって見えているということだ。自称悪魔という男の姿が……!




「ぜんっぜんそういう関係じゃないから! むしろ無関係なのよ! いや、そうじゃなくて、千夏、本当に本当に見えてるの?」




「なに言ってるのよ?」




 千夏はきょとんとして陽子を見返した。




「別にいいじゃない。世間体とかそういうの気にすることないわよ。次の恋愛に早いも遅いもないわ。むしろ、早い方がいいぐらいよ。立ち直っていける証拠じゃない?」


 と、まるで諭すように言った。




 そしてさらに、


「よかったじゃない」


 とまで付け加えた。




 陽子はそれを聞いていたアフロがにやりと笑うのを感じ、キッと睨みつけた。




「ね、ずいぶん若いみたいだけどどこで知り合ったの?」


「……こ、コインランドリー……」




 陽子が観念したようにぼそりと答えると、アフロが椅子の背に背中を預けてぶっと吹きだした。




「ちょっと運命的な出会い方してもうたからな」


「へえ、運命的?」


「やめてよ!」


「テレんでもええやん」


「やめてったら!」




 ムキになる陽子とからかうように笑うアフロの男。千夏はそれを見比べて、肩をすくめた。




 誰だって自分のしていることが本当に正しいのか分からなくて不安に陥り、確かめたくなるものだ。千夏は陽子が自分を正当化したくて今日誘ってきたのだと納得した。




 それにしても、哲司と比べてあまりにも違う相手なのが千夏には少しひっかかっていた。




 哲司は造園会社で設計の仕事をする、当たり前のサラリーマンだった。背が高くて細面、細いフレームの眼鏡をかけているのがいかにも朴訥で善良そうに見え、実際真面目な男だった。それなのに哲司のようなサラリーマンとはまるで違う若い男を次の相手に選ぶとは、確かに意外というより乱心のようでもある。




 食事の間中、千夏の目が探るように陽子とアフロを見つめるが、陽子は無口になりワインばかりをひたすら啜った。




 そんな陽子をよそに千夏とアフロは、


「仕事、なにしてるの?」


「便利屋みたいなこと、かな」


「へえ? あ、引っ越し手伝ったり、犬の散歩代行したりっていうのあるよね。そういうの?」


「ま、そんなとこ」


「そういう仕事でその髪型ってありなの?」


「別に駄目ってことはないねん。もっとすごい奴とかおるし」


「ふうん。自由なのねえ」


 といった具合に、普通の、初対面らしい会話を交わしている。




 こういう時の千夏を陽子は大人だなと思う。何が起きても動じないで、臨機応変に対応しようとする。それもにこやかに、美しい笑顔を崩さないで。




 それに比べて自分はどうだろう。慌てるばかりで、今だって子供が拗ねて不貞腐れるように黙ってワインを飲んでいるだけだ。




 食事が終盤に差し掛かっても陽子はほとんど喋らなかった。千夏はそんな陽子を「照れて」いるのだと思い、幾度もくすくすと忍び笑いをした。笑うたびに片頬に笑窪が浮かぶ。




 アフロは旺盛な食欲を見せて、ピッツァやミラノ風カツレツを追加注文し、綺麗にたいらげていった。




 実に奇妙な晩餐だった。それぞれが腹の中を探り合い、誰も真実など知らず、何も信じるものがない状態。空腹が満たされても、まるで釈然としない空気が漂う。




 陽子は当初の目的を見失い、今はワインを飲み過ぎたせいで視界がぼんやりとするのをどうにか正気を保っていた。




 千夏が腕にはめた華奢なブレスレット型の時計を見た。




「あら、もうこんな時間?」


「二軒目、行きます?」


 アフロが言った。




 なぜこのアフロはこんなにもしゃあしゃあとしているのだろう。陽子はもうアフロを睨むよりは頭を抱えてその場に突っ伏したくなった。




「うーん、悪いんだけど私は明日早いから……」


「あー、そうなんすか」


「陽子は明日休みだっけ?」


「え? 私?」


「陽子、今日はやけに飲んだわね。顔が赤いよ」


「う、うん……」


「私、しばらく忙しいのよ。資料まとめたりとか、デスクの仕事で」




 言いながらすでに千夏は帰り仕度になっていた。




 陽子もそれに促されるように身支度をし、鞄から財布を取り出した。そして今になって初めて、自分が話しを聞いて欲しくて、いや、もう、正確には泣きつきたくて千夏を誘い、それなのにろくに話しもしなかったことを思い出した。




「今日は私が誘ったから」




 陽子は同じく財布を出しかけていた千夏を制して、さっと手をあげて店員を呼んだ。




「えー、いいよ、そんなの」


「ううん。いいの。なんか、一方的な感じになっちゃったし……。本当はもっと色々聞いて欲しいことあったんだけど、それはまた改めて」




 店員がテーブルに勘定書きを持って来ると、陽子はカードで支払いをした。




「あんまり気を使わなくていいんだよ」


「でも、私、今日いっぱい飲んだしさ」


「それじゃ、今度、私がなんか奢るわ。……私も聞いて欲しいことあるし……」


「うん」


「……それにしても、元気みたいでよかったわ」




 女二人のやりとりをアフロは黙って聞いていた。




 店を出て千夏が帰ってしまうと、陽子はその背中を見送りながら、結局事態はなにも変わっていないことに気がついた。




 頭がおかしくなったのではないとしても、アフロはここにいるということ。この事実を一体どう受け止めればいいのだろう。




「さー、あんたの願いごと、ひとつ言うてみ」




 陽子はアフロを見上げた。やはり、アフロはその髪の分だけより大きいと思った。

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