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ランドリーより愛をこめて  作者: 三村真喜子
23/25

日本ラブストーリー大賞最終候補

陽子は仕事を続けた。他にすることがなかった。仕事への意欲は失われているのに、目だけが数字を追い、文字列を追いかけた。




 アフロはいつ、どのようにして事を運ぶのだろう。




 時計を見る。まだ会は続いているだろうか。それとももう終わる頃だろうか。千夏は生きているんだろうか。そして哲司は……?




 陽子は携帯電話を取り出し、履歴からアフロに電話をかけた。アフロが電話を寄越した時も驚いたが、今、自分が悪魔に電話をかけているというのも奇妙なことだった。




 呼び出し音が鳴る。陽子はイライラと机を指で叩く。




「あっ、もしもし?!」




 繋がった瞬間、陽子はかみつくように叫んだ。が、それはアフロではなくマナーモードのアナウンスで、留守番電話への伝言案内だった。




 悪魔にマナーモードって一体なんなの! 陽子は心の中で声を荒げる。




 続けざまに今度は送別会に出ている後輩に電話をかけると、こちらはすんなりと電話に出て、怪訝そうに、


「どうされました?」


 と尋ねた。




 どうもこうも、ない。陽子は一瞬、言葉に迷った。聞きたいのは、千夏が生きているのかどうかだった。




「あの、送別会、もう終わった?」




「今、終わりましたよー」




「そう。えーと、どうだったかなと思って」




「え、普通でしたよ? ブライダルの子とかは泣いたりしてたけど……」




「そう……」




「どうしたんですか? なんかあったんですか?」




「いやいやいや、なんでもないのよ。無事終わったんならいいの。二次会とかあるんじゃないの?」




「あー、それが……」




「ん?」




「宮本さんねえ、お腹大きいらしいんですよ」




「え!?」




「……だから二次会とかはなしってことで」




「……」




「岡崎さん?」




 陽子は携帯電話を握り締めたまま愕然として、言葉もなく、ただ口を鯉のようにぱくぱくと開き、倒れそうになる意識に空気を送り込もうとした。




「岡崎さん? 大丈夫ですか? 私らだけでこれからカラオケ行くんですけど、もしよかったら岡崎さんもどうですか? 今、どこにいるんですか?」




「宮本は? 帰ったの?」




「あ、はい……」




 陽子は通話をいきなりぶちっと切った。




 そんなことってあるだろうか。千夏が妊娠しているなんて……!




 頭がひどい混乱にはまりこみ、陽子は椅子をなぎ倒すように立ち上がり、オフィスをうろうろと歩きまわり、何度も立ち止まっては爆発しそうな胸を押えて深呼吸を試みた。




 こめかみの血管内で血流が音をたてるのがはっきり感じられるほど興奮していた。


 千夏が妊娠。いや、それなら辻褄があう。急な結婚も、逃げるような退職も。ロッカーで噂されていた「このままドロンするつもり」という言葉はまさにその通りだったのだ。




 驚きに次いで怒りが再び沸き起こるのを感じ、嗚咽が胸にせりあがってきた。それは嘔吐にも似て、陽子は発作的に口元を押さえる。その手がぶるぶる震えていた。




 またしても陽子の中で「いつ」という疑問が湧き上がる。今、何カ月なんだろうか。逆算したら、二人がいつから関係を持っていたのかは分かる。自分との婚約中なのか、それとも別れた後なのか。それによって、別れた理由が明らかになる。けど。しかし。




 陽子は唇をかみしめた。涙を堪えるのに必死で、頭ががんがんしていた。




 今更そんなことを知ってなんになるというのだろう! もう、陽子は願い事をしてしまったのに!




 デスクに投げ出した携帯電話が、けたたましく鳴りだした。




 後輩からの折り返しだろう。陽子はとてもカラオケなんて気分ではなくて、着信音が鳴り響くのを黙って聞いていた。




 携帯電話はしばらくしつこく鳴り続け、ふっと途切れた。陽子は携帯電話を取り上げると着信を確認した。それは後輩からではなくアフロからだった。




 陽子は慌ててコールバックした。今度はアフロもすぐに電話に出た。




「もしもし! 今どこにいるの?!」




 陽子は怒鳴った。アフロの背後には賑やかな雑踏があるらしく、周囲の音を拾ってひどく耳障りでうるさい。




「もしもし?!」




「聞こえてるがな」




「どこにいるの」




「今から駅に行くところ」




「……駅ってなんで……?」




「あの人に着いて行くねやん。どっちを殺すかは俺が決めるって言うたやろ」




「どっち?! どっちを殺すの?!」




「さあ、どっちやろうな」




 電波の向こう側でアフロが笑ったような気がした。意地悪く。悪魔的に。




 陽子は電話を切ると、鞄を掴んでオフィスを飛び出した。




 猛烈な勢いで通用口から出ると、その勢いのままタクシーに乗り込んだ。




 自分がなにをしようとしているのか、陽子には自分でも分からなかった。頭の中で後輩が教えてくれた言葉がエコーのようにいつまでも響き、その次になぜかアフロと行ったあのヤケクソなカラオケの「リンダリンダ」が鳴っていた。




 いつもなら歩いたところで大した距離ではないから、駅までタクシーで乗り付けるのにはほんのわずかな時間だった。




 陽子は「お釣りは結構ですから」と転がるように車を降り、コンコースに行き交う人々を押しのける勢いで改札を抜け、ホームへ駆けあがった。




 混雑するホームを、靴の細い踵が折れそうになりながら走る。




 陽子は血眼になって千夏の姿を探していた。そうしながら、はっきりと自分の中で浮かび上がって来たことがあった。




 電車を待つ列をなす人々が不審顔で、さも迷惑そうに陽子を睨む。でも陽子にはそんなことどうでもよかった。




 陽子は携帯電話を取り出し、千夏に電話をかけた。呼び出し音が数回鳴ってから、千夏が電話に出た。




「もしもし……?」




「千夏?! 今どこにいるの?!」




「どうしたの? なんかあったの?」




 尋常じゃない叫びに千夏は驚いているようだった。




「もう、家帰った? 今どこ?」




「今、駅にいるよ。今から帰るけど……。どうしたの?」




 その返答を聞いた瞬間、陽子が見たのは反対のホームにいる千夏と哲司の姿だった。




 送別会で千夏が貰ったのであろう花束とプレゼントを哲司が抱えている。その横で千夏が携帯電話を耳にあて、怪訝な顔をしている。




 そうして、さらにそこに陽子が見たのは、二人の背後に周りの人より頭ひとつ、ふたつ高いアフロだった。


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