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ランドリーより愛をこめて  作者: 三村真喜子
21/25

日本ラブストーリー大賞最終候補

「不倫しとったやん。おっさん。初恋の……おばはんと。それが嫁にバレてなあ。嫁が相手と別れてくれって頼んだんや。子供もおるねんから、相手の女とは手を切ってくれって。でも、おっさんは断ってん」




「……」




「断られへんかってん。なんでか分かるか?」




「それはその人を好きだったからじゃないの……?」




「ちゃう。恋愛を続けるのがおっさんの願い事やったから、や。おっさんがなんで初恋のおばはんと再会して、また付き合うようになってん。それはおっさんが俺に願い事したからや。俺はそれを叶えた。ようするに、おっさんはその願いから逃げられへんねん……。もしもおっさんが別れたくなっても、嫌になっても、おっさんはおばはんと別れることはできへんのや。嫁と別れることはできても、初恋成就は絶対や。死ぬまでおっさんはその恋を続けんとあかんねや……」




「……」




「とにかく、おっさんは別れへんって言うた。そんで、喧嘩になって嫁に包丁で刺し殺されてしもてん」




「それ、あんたのせいじゃないの?」




 陽子はビールに口をつけ、コンクリの床に視線を落とした。




 悪魔が叶えた願い事。初恋の成就。永遠の恋。陽子は俄かに背筋がぞっとするのを覚えた。




 アフロは陽子の問いには答えなかった。




「なんで不倫がバレたか分かるか」




「なんで?」




「相手がな、自分から暴露しに行ってん。おっさんに内緒でな」




「……」




「あんた、おっさんを殺したんは嫁と相手の女とどっちやと思う?」




 陽子はアフロが何を言わんとしているのか測りかねた。




 悪魔の手を借りた身勝手な願いのツケがそんな風に回ってくるのだとでも言いたいのか。そうやって陽子を戒めようとしているのか。悪魔のくせに。




 死んだ男は妻に詰問されなんと思っただろう。子供の為にも女と別れてくれと言われて、迷いはしなかっただろうか。悪魔の効力はどこまで彼を動かしていたのだろうか。




 それに、初恋の女。なぜ密告したのだろう。なんの為に。男にとって永遠に守りたい恋であっても、女にとっては違ったのか。




 いや、ちがう。女にとっての恋の語りが男とは違っていたのだ。女は男を自分だけのものにしたかった。




 しかし男にとっては。永遠だった。本当に、永遠になってしまった。死をもってして、永遠に。




 悪魔は願いを叶えた。男の願いを。女の思惑は、願い事には含まれていない。それだけのことなのだ。




 陽子もアフロの問いには答えなかった。男を殺したのは愛人でも妻でもなく、悪魔だと思った。




 ビールを飲み干すと陽子は空き缶をゴミ箱に向かって投げた。空中を綺麗な放物線を描いて空き缶が吸いこまれるようにゴミ箱に落ちる。固く乾いた音が警鐘のように響いた。




「あんたの願い事のことやけど」




「うん……」




「初めに言うたと思うけど」




「うん……」




「二つの願いはでけへん」




「うん……」




「一つの願いの中に二つのことは盛り込まれへん。俺、そう言うたやろ」




「うん……」




「どっちか一人や」




「……」




「殺すのは、一人だけ。どっちにする」




「……」




 陽子は無意識にごくりと唾を飲み込んだ。




 重い沈黙が二人の頭上にどっしりと圧し掛かり、気圧がぐんぐん下がっていくような錯覚さえ覚えた。




 陽子は二人が未来へ進むことを阻止したいと思っていた。それ故の願い事だった。二人の死。でも、どちらか一人だけというならば、自分はどちらの死を望むだろう。憎いのは、どちらだろう。




 二人とも自分を裏切っていたのに変わりはない。どちらも同じだけの罪だと思う。どちらが先に恋を仕掛けたとか、応えたとかではない。すべては結果でしかないのだから。




 では、彼らにとってどちらの死がよりダメージが強いだろう。哲司が千夏を失うことか、それとも千夏が哲司を失うことか。恐らくはどちらにとっても同じだけの痛みだろう。今、彼らは愛し合っているだろうから。




「……どっちでもいいわ。あんたが決めて」




「そんなん俺には決められへん」




「私にも決められないわよ。だって、どっちも死ねばいいと思ってるから」




「……」




「私、今、自分がすごく最低だって分かってる。でもあの人たちが死なないと私が生きていけない。あの人たちが幸せになることが許せない。すべてなかったことにして前に進んでいくなんて……。希望と幸福の前に、反省は存在しないのよ。だって過去は捨てればいいんだから」




「あんたも捨てたらええやん」




「……」




「……」




 二人はまた黙った。




 アフロは陽子を止めようとしているのだろうか。悪魔なら悪魔らしくもっと残虐になって陽子が後悔するぐらいに素早く決めて、実行すればいいのに。




「あんたは過去は捨てられへんのんか。全部忘れることはでけへんのんか。あの人らが死んだところで、あんたはどっちみち忘れへんのんやろ。せやったら、殺さんでもええんちゃうん」




「そうね。そうかもしれないわ。あの人たちが死んでも、そう私の人生は変わらないかもね。でも、それってようするにあんたが殺したくないんでしょう? 悪魔のくせに」




 陽子の心は残虐さに炒られていた。




 アフロの手が陽子の手をつかんで、握りしめた。その手は驚くほど冷たくて、陽子は思わずアフロの顔を見た。




 アフロの横顔はこれまでのどんな時よりも真剣で、青ざめてさえいて、陽子は急に不安を覚えた。




「どうしたの……?」




「……どうしても、か」




「……」




「どうしても殺すんか」




「……」




「……分かった。そしたら、殺す。どっちを殺すかは俺が決める。ええな」




 アフロの手に力がこめられた。陽子は急にアフロを抱きしめたい衝動に駆られ、アフロの手を握り返した。強く、強く。痛いぐらいに。




 アフロは絞り出すように続けた。




「明後日、あんたの元彼か、あんたの同僚のどっちかが死ぬ。方法は、俺が決める」




「場所は……」




「そんなん、あんたは知らんでもええ」




 二人の間を割るように洗濯が終わったという知らせの電子音が鳴った。それが合図であるかのように二人は無言のうちに顔を寄せてキスをした。陽子はこのキスが悪魔との契約であると思った。

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