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ランドリーより愛をこめて  作者: 三村真喜子
11/25

日本ラブストーリー大賞最終候補

二人は街へ出ると前に来たのと同じバーへ入った。遅い時間なせいか店は空いていて、二人はカウンターに座った。




 アフロは一番好きだというテキーラを頼み、陽子はハイボールを注文した。




 一体、周囲から見るとアフロと陽子の二人はどのように見えているのだろう。やはり男女が二人で飲んでいれば恋人同士かと思うだろうか。実際、千夏だってそのように誤解していたし、それが自然なのだろう。




 陽子は奇妙な秘密を抱えた自分に小さく笑った。こんな秘密、誰に言っても信じるわけもないのに、でも、やはり秘密は秘密なのだ。冗談にしかならないような、秘密。精神を病んでいるととられかねない、秘密。全部事実なのに、自分は今ファンタジーの世界にいる。




 ハイボールは涼しい味で舌先を刺激し、滑らかに咽喉を落ちていく。グラスの中で氷が音を立てた。




「そういや、もうすぐやな」


「なにが」


「あんたの企画したブライダル・フェア」


「そうね。忙しくなるわね」


「今でも忙しいやん」


「ヒマよりいいわよ」


「まあな」




 アフロもテキーラにレモンを絞ったのをぐいとあけた。




「ヒマなの?」


 陽子は尋ねた。




「前も聞いたけど……、あんた、普段なにやってんの?」




「そうやな……。俺はあんたらと違う時間軸におるから、時間の概念を持たへんねんけど、強いて言うなら、昼は寝て、夜は召喚されたり、契約者との間の契約を実行したりやな」




「契約者って私だけじゃないんだ」




「こっちも仕事やからな。一人じゃどうにもならんで」




「で、そのお代っていうのは、その……みんな同じなのかな。ようするに、私が払うのとってことだけど」




「いや、色々やで」




「じゃあ高い安いもあるわけね」




「サービスもあるで」




「セールも?」




「今がセールみたいなもんや」




 スピーカーから流れるアレサ・フランクリンが、低く、パンチのきいた声で静かに空間を埋めていく。陽子はアレサの声に聴き入るようにグラスの縁を指で小さく叩いて黙り込んだ。




 そんな沈んだ様子にアフロは、


「どないしてん」


 と、陽子の顔の覗き込んだ。陽子は俯いたまま、


「ねえ、私の他にも人の願い事叶えてるんでしょ? 今まで、どんな願い事叶えてきたの?」


 と尋ねた。




「あ、そういうのってやっぱり秘密だったりする?」




「……いや。ええよ。……そやな……、初恋を成就させたいっていうのがあったな」


「へえ?」




「ええ年して、もう結婚もして、子供もおるおっさんがな」




 アフロがふっと鼻先で笑うのが分かった。陽子はマスターにお代わりを頼むと、ちらりとアフロの顔を盗み見た。




「高校の時に好きな子がおってんて」




「うん」




「けど、大人になって別れてしもたんや。その時の恋愛を今からやり直したいって」




「……それって……」




「おっさん、家庭的にあんまりおもしろうなかったんや。嫁さん、ごっつい鬼嫁で、子供はグレて父親なんか屁とも思てえへん。ようするに、おっさんはやり直したかったんやろな。人生そのものを」




「でも過去にさかのぼることはできないんでしょ」




「そうやで」




「それじゃあ、どうしたの?」




「叶えたったよ」




「どうやって?」




「その、初恋の人と会わせたったよ。で、ちゃんとくっつけたった。どっちもええ年したおっさんとおばさんやけどな」




 陽子はいつの間にかアフロの顔をしっかり見据え、アフロもまた陽子の顔を見返していた。




 陽子にとって初恋と呼べるのは高校二年の時だ。相手は同じクラスの男の子だった。陽子から告白した。およそ高校生らしい恋愛のすべてを、ようするに「初めて」するようなことは全部、その男の子と経験した。しかし、大学受験をきっかけに別れてしまった。一丁前に「すれちがい」なんて言葉が出るような、でも、たぶんそれが真実で、受験勉強に忙殺されているうちに心は離れ、気がついたらもう恋は終息を迎えていた。




 別れる時、陽子は悲しさとせつなさに泣いた。単純に恋を失うことへの悲しさだったが、それよりも陽子はそれまでの思い出の為に泣いた。美しい思い出の数々が、ただの「過去」になっていくことへの涙。




大人になった今、確かに陽子にとってもその頃の恋愛は美しいイメージとして存在するし、懐かしくもある。あの頃、純粋に男の子を好きだと思えたことはある種の奇跡とさえ思う。が、だからこそ。二度と繰り返せないと知っていた。




「私だったら、再会しても好きにはならないと思う。だって相手が昔のままとは限らないもん」




「さあ、普通はそうかもな。でも、おっさんがそれを望んだんやから」




「よっぽど奥さんと別れたかったのね」




「別れてへんで」




「えっ」




 マスターがちらっと二人に視線を投げる。が、すぐに目を逸らして知らぬ顔に戻った。陽子は声を潜め、


「……どういうこと?」


 と、眉を寄せた。




「離婚するかどうかは俺の知ったことやないもん」




「なにそれ……」




「だから。初恋は成就したやん。二人、再会して、また付き合うようになったやん」


「でも、それは……」




「まあ、所謂、不倫やなあ」




「成就って言ったじゃない」




「結婚が成就やなんて聞いてない」




「そんなの屁理屈じゃないの!」




 また、陽子は大きな声を出してしまった。アフロは奇妙な怒りに駆られる陽子に、ついぞ見せたことのない真面目な顔で言った。




「結婚が恋愛の最終的な形なんか? フランス人は事実婚つーのも多いやろ。結婚がゴールなんて思てたら大間違いや。そんなん人生の過程、通過点に過ぎんやろ。おっさんの願い事は恋愛の成就やったから俺はそれを叶えた。おっさんはどんな形であれその恋愛を死ぬまで続ける。望み通りにな」




 結婚だって一つのゴールだ。陽子は今度は口に出さないで、胸の内で呟いた。




 もちろん人生のゴールじゃない。そんなことは分かっている。でも一つの区切りであることには違いないだろうし、言うなれば駅伝の一区間。タスキを繋ぐ中継点ではないだろうか。そこが繋がらなければ、次の区間にも走り出すことはできない。




 陽子は辿りつけなかった通過ポイントについて考えずにはおけなかった。果たして、あの先には何があったのだろうか、と。




 ふと砂漠の蜃気楼を思う。そこに見えているのに、辿りつけない場所。まさか、そんな。陽子は頭を振って、厭世的な思考を追い払おうとした。




「なんや、えらいこだわるな。まあ、ええやん。恋愛は人それぞれなんやから。あんたが考えたかてしゃあないで」




「……」




「願い事も人それぞれ。いろいろやで。でも、そうやな……。人は大抵の場合長生きとか金とか、病気治すとか、モテたいとか、片思いをどうにかするとか、出世とか……そういうことを願うな。パターンは決まってるねんな。俺、人間のそういうとこ、好きやわ。俺らみたいにあんまり長生きするとな。色んなことに関心なくなっていくねん。生きることも死ぬことも、金も名誉も、どうでもええように思えるねん。あんた、願い事ないって言うたやろ? たぶん、俺もないと思うわ」




「人を年寄りみたいに言わないでよ」




 アフロが煙草に火を点けた。長々と吐き出される煙が視界にうっすらと靄をかける。こんな風に世界のすべてが曖昧に、薄いベールをかけたようになっていればよかったのに。そうしたら無知で幸福でいられた。しかし陽子はもう世界を明晰な瞳で凝視してしまった。嘘も裏切りも悪意も偽善もそこかしこに散乱している世界を。そしてそこで生きていく術を知ってしまったのだ。




「ねえ」




「ふん」




「もし私がなんにも願い事しなかったらどうなるの」




「それは……、まあ、色々と……」




「罰とかあるの」




「……あんたはそんなこと考えんでええ。それより、願い事の方考えてえな」




「だって今思いつかないんだもん」




「だいたいの人はな、自分のことを願うもんや」




「自分のこと、ねえ……」




「洗濯機欲しない?」




「そんな願い事しないわよ」




 陽子は声を立てて笑った。洗濯機なんて、わざわざ悪魔に頼んでまで叶える願い事なわけがない。




 空になったグラスを揚げて見せ、お代わりを頼むとアフロはにやっと笑って言った。




「あんた、今日初めて(わろ)た」




「え」




「あんた、普段からあんまり笑わん人みたいやけど」




「そんなこと……」




「まあ、ええわ。飲もうや。せっかく来たんやから」




 新しく手元に置かれたハイボールと、アフロのテキーラのグラスがかちりと合わせられた。




 陽子は洗濯機がないことの不便さは今も感じていたけれど、だからといって洗濯機を買う気は以前よりもなくなっている自分に気付いた。むしろ、買うつもりはないと思うほどに。




「ねえ、その人、その後どうなったの」




「さあ? 俺の仕事は終わったからな」




「恋してんのかな」




 アフロはもう陽子の質問には答えず、煙草を指に挟んだまま、大袈裟な身ぶりでこれまでに出会った人々の奇癖や奇妙な願い事を話し始めた。陽子はそれを聞きながら笑いつつも、いつか自分もこの話しの中の一人になるのだろうかと埒もないことを考えていた。過ぎ去ったこと、つまりは哲司のように過去の人になっていくのだろうか、と。

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