うそつきバレンタイン
プュトニアス王国連合の中心部に設置されています学園の談話室にて、ロザン伯爵令嬢マリエルは彼女が密かに想いを寄せるミラージェス伯爵令息アンリエットを呼び出していた。
* * *
「ロザン伯爵令嬢、何か用事がお有りかな」
部屋に一つしかない扉を開けて入室するアンリエット様様は訝しむような風体です。
私を怪しげに見つめる橙色の瞳と御姿も魅力的ではあるのですが、今日の私の一大計画にさして重要ではないので置いておきましょう。
なんのことはありません。
私とアンリエット様は顔見知りではありますが、二人きり談話室で会話するような間柄ではないのです。
アンリエット様は昨年卒業したフラベル公爵令息の最側近であり、高位の魔術師を代々輩出する家柄でもありますので、その甘汁を吸いたい人物がしばしば寄ってきます。
ゆえに彼は人間関係、特に女性との関係には気を付けていますのです。
そういう相手は往々にしてお茶会や剣術を出汁にして近づこうとします。私から言わせれば趣味さえ合わせれば良いと考えて行動するなど短絡的すぎて一笑に付してしまいたいほどです。
しかし、不本意ながら私も彼らと同類として扱われているようです。
アンリエット様の瞳にはそれを象徴するかのように、優しげな穏やかさの中にも冷徹な色が浮かんでいます。
いくら日頃より会話する私が相手とは言えども、警戒を怠ってはいません。
しかしアンリエットの警戒は予想外の形で梯子を外されることになる。
「いいえ、これと言ってありませんわ」
「······は?」
それじゃあ何のために呼んだんだ、と言わんばかりの態度です。アンリエット様とて暇ではありません。
騎士科の講義の前準備も必要ですし、学期末に行われる騎士大会に向けての鍛錬をしなければならない忙しい時期なのです。
そのせいか、アンリエット様の口調には怒りが僅かに滲んでいました。
怒らせてしまったようです。
「ただ渡したい物があっただけです」
アンリエット様の心の機敏を見逃さなかった私は、長居は危険だと判断して本題に入ることにしました。
できるだけ長く歓談したかったのですけれど、アンリエット様様はお忙しいので仕方ありませんわね。
ちょっとだけ落胆です。まあ、そういった毅然としたアンリエット様も好ましく思います。
「実は今日は下々の民の間ではバレンタイン、という日だそうなのです。なんでも女性の側から友人にチョコレートを渡す日だと聞きました。ですのでわたくしも友人の方々に配ろうと思いまして」
さて、ここには一つの欺瞞があります。
確かに平民の文化にはそういうものはあります。
しかし神殿の定めた記念日ではなく、商人達がチョコレートを多く売るために宣伝しているだけです。
なによりバレンタインはチョコレートを好きな相手に贈るだけのものであって、友人に渡すなどという文化は存在しません。
ちなみに私は前日に友人達に実際にチョコレートを配るという工作まで行っています。アンリエット様への話で生じた齟齬を埋める為です。
「そういうことでしたか。マリエル様は平民の事情にも通じていますのですね。······ただ、それではどうして私を談話室に?廊下でも渡せたのですと思うのですが······」
そんなこととは露知らず、アンリエット様は"そういうもの"として話を飲み込んだ。
しかしながら、それでは談話室に呼び出す理由になるはずがなく、理由がしっかりとあったことにアンリエット様は矛を収めつつ問う。
「ええ、渡すだけならできたかもしれませんね。しかしそれではよくないのですよ」
「よくない、とは?」
「はい。わたくしは友人に渡すと知っておりますが、他の方はどうでしょう。バレンタインを知らない人物にはわたくしがアンリエット様様に贈り物をしていますようにしか見えないでしょう。そうなれば、アンリエット様様まで誤解されるかもしれませんわ」
「なるほど、そういうことでしたか」
マリエルはやれやれという風に肩を竦めた。
アンリエット様もそれらしいマリエルの供述に納得しています様子です。
もちろん本当は、バレンタインの内実を理解する人物ならチョコレートは懸想する相手に渡すものですと判るので、それが発覚するのを防ぐためです。
アンリエット様のためというのは清々しいまでの嘘で、完全に自分のためです。
「そういうわけですので、どうぞ。アンリエット様様にもお贈りいたしますわ。受け取ってくださいませんか?」
「ありがたく頂戴しよう」
そうしてアンリエット様はチョコレートを受け取る。
その後はしばらく歓談して、アンリエット様が用事のために部屋をあとにする。
残るのは私ひとりだ。
「これでわたくしの勝ちですわね」
アンリエット様の性格からして、バレンタインについて調査を行うだろう。そして対になる日としてホワイトデーがあることを知る。
律儀なアンリエット様はお返しするに違いない。
アンリエット様が談話室以外でチョコレートを返せば、恋人同士だとの噂が立ちます。反対に談話室で返しても、何度も二人きりで歓談する間柄という立場を得られます。
どちらにせよ、外堀から埋まってゆくのは明白の運命なのです。
それに元々家格も近く、実家同士の関係も良好な私達は既に婚約者候補に互いになっているそうです。
司書の家系と魔術師の家系で、政治的対立が全く生まれないのも一因でしょう。
これから立つであろう噂は学園にて教師をしているイザベラ様のお耳に入るでしょう。
そうなれば私のアンリエット様様の婚約者という立場は確固たるものとなるはずです。
私はひとりきりの談話室で、高らかに笑いました。
成功は約束されたも同然なのですから
* * *
アンリエットはマリエルと別れてから、騎士科の講義棟へと向かっていた。
「ロザン嬢が思惑通りに動いてくれて助かった」
ポツリ、アンリエットは呟く。その瞳には、先程まで浮かべていたバレンタインという行事に対する初々しさは微塵も感じ取れない。
それもそのはず、アンリエットはバレンタインを知っていたのだ。
そう、全てはアンリエットの手の平の上で起こったことであり、マリエルが不審に思わないための演技である。
アンリエットはマリエルに恋をしている。
マリエルと同様に、両家の間で話し合われている婚姻の話を最大限利用して、婚約を取りまとめようとした。
しかし、領内の一部の貴族が、それぞれの方面で重要な役割を果たす両家の縁戚によって権力が集中するのではないかと恐れて、強硬に反発した。
ただ、一度恋愛関係にあると見せることができれば、恋愛結婚が主流になりつつある王国で、表立って反発できる者はいなくなる。
その為にアンリエットは民衆の間で流行るバレンタインを利用することにした。
買収した商人を使って、それとなくマリエルにバレンタインのことをチョコレートを友人に贈る日だと教えた。
実はその商人は伝えそびれていたのだが、アンリエットはそうとは塵程も思っていなかった。
ちなみにアンリエットはマリエルも独自にバレンタインの内容を調べていたことも知らない。
とはいえ、アンリエットの思惑通りにチョコレートを貰うことに成功した。
「これで後は噂の種を蒔くだけ。パウリーナ様にもご協力いただきましょう」
アンリエットは心中でほくそ笑んだ。主の婚約者であり伯爵令嬢であるパウリーナを利用するのは褒められたことではないが、優しいパウリーナである。
協力してくれるだろうというのは目に見えていた。
思惑が合致しつつも交差したうそつき達のバレンタインは、アンリエットの嘘が一段上回り、次のホワイトデーに向けて進行していくのである。
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