前編
冷たい牢獄のような塔の中、私と姫様は二人きりでいた。
これはいつものことだ。別に特別なことは何もない。
……ただ、姫様がいつものように微笑んでおられず、どこか上の空の目をしていることを除いては。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
姫様はとても麗しい方だ。
ふんわりとした薄茶色の髪、海のような深い青色の瞳。その佇まいはどこか儚げで見る者をうっとりとさせる。
かといってその美貌を武器にして人を傷つけることもない。むしろ話しているだけで心を癒してくれるような、まさに聖女のような人だった。
きっと普通に暮らせていれば姫様はとても幸せに生きることができたろう。
しかしそうはならなかった。母君が死に、継母がこの城へ後妻としてやって来てからというものの、姫様はひどい扱いを受けてこの塔に閉じ込められることになったのだ。
それでも気を確かに持っていたことは奇跡と言ってもいいだろうと私は思う。
いつも微笑みを絶やさず、私に優しく語りかけてくれる。
本当に人間の手本のようだと私はいつも思っていた。
そんな姫様と共にあることを許された唯一の存在である私は、姫様のペットの鷹である。
別に特別なところのない、極めて平凡な鷹だ。少し優秀と言える部分があるとすれば、人の言葉が解せることくらいしかない。
そんな私だが、長年姫様をお支えしようと努力を重ねてきた。
しかしそのことごとくが叶わずにいる。一度、城を脱走しようとした時などはうっかり見つかってしまい大変なことになった。
以来、私は極端な行動を控え、姫様をただ見守ることにしている。
……あれはそんな日々の中に突然生じた出来事だった。
姫様の妹君である少女――彼女は後妻の子で姫様よりも優遇されている――が、突然病に臥せってしまったのだ。
その日はちょうど大切なパーティーがあり、どうしても姫が一人出なければならなかった。そこで代役とされたのが我が姫様である。
私は塔の中で姫様の帰りを待っていた。
帰って来た姫様は、まるで何かに取り憑かれたかのように譫言を言っていた。
もしかしてひどい目に遭ったのでは、と私は心配したが、しかしそれは違った。姫様はパーティーで出会った隣国の王子に惚れてしまったそうなのだ。
姫様も十五になり、程よい年頃だった。だからそのこと自体はとても喜ばしいのだけれど。
誰からも疎まれる彼女が王子との結婚など許されるはずがなかった。しかも、その王子は義妹が婚約者にしたがっている人だった。
当然ながら姫様は蔑ろにされ、また塔に閉じ込められる生活を送る。
ただし姫様が王子を忘れることはなく、まるで魂の抜けた人形のようになってしまっていたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この状況をなんとかしなければ。
私は焦った。このままでは姫様は、一生この塔の中に囚われ、王子の幻影を見続けることになる。
それだけは私は嫌だった。
姫様の柔らかい腕の中で撫でられながら私は、良案がないかと考えていた。
なんとしても姫様と王子をもう一度会わせてあげたい。それが叶わずとも、せめて言葉だけでも。
私はその時、ふと閃きを得た。
昨日姫様がラブレターを書いていたのを思い出したのだ。
あの手紙さえ王子に届けられれば、きっと何かが変わるはずだ。そしてそれが私にはできる。
だって私は鷹。大空を自在に飛べる鳥なのだから。
私は姫様の元を抜け出すと、そっと一枚の手紙を咥える。
そこに何が書いてあるかはわからない。言葉はわかっても、文字までは読めないのである。
まあいい。
私はふと姫様を首だけで振り返った。
「あなたが……わたくしのそれを、届けてくれるというの?」
私は頷く。
「そんな。でも隣国はとっても遠いのよ?」
そんなことはわかっている。
でもこれが私にできることだから、死力を尽くしてでもやり遂げたいのだ。
「……そう。気をつけて行ってらっしゃいね」
心配するようでいて、ウキウキした声。
姫様のこんな様子を見るのは初めてだなどと思いながら、私は静かに塔の窓から飛び立った。
どこまでも青い空が私を歓迎してくれているかのようだ。
私は、残して来た姫様のことを心配に思いつつも、風に乗って隣国へと向かう。