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04.自覚した恋心(1)

 昼間のアレはなかったことにしよう。


 自室に戻ってから夕食を終えるまで、ひとりで悶々とし続けたわたしの結論はそれだった。


 なかった。

 何もなかった。

 そういうことにしてほしい。


 次にハルさんに会ったら、これまでどおりのわたしを見せよう。


 そう決心したけれど、実際に立ち上がるまでには少し時間が必要だった。


 昨日まで書斎に行ってハルさんに声をかけていた夜遅い時間になってようやく、わたしは閉じこもっていた部屋を抜け出した。


 空気の冷えた廊下を歩いていると、書斎から出てきたエヴァンくんがわたしとは逆方向に走っていくのが見えた。


 何だろうと思ったけれど、エヴァンくんは声をかける間もなく廊下の角を曲がっていってしまったのでわからない。


 開けっぱなしで放置された書斎の扉まで辿り着き、深呼吸してから中を覗いてみる。

 これまでどおり。そう、いつもどおり。


「ハルさん、まだいらっしゃいますか?」


 緊張を必死で隠して声をかけたけれど、返事はなかった。


 ハルさんがソファーに横になって寝ていたからだ。ハルさんの胸には分厚い本が乗っているけれど、本は今にも落っこちそうだった。


「……ハルさん?」


 近づいてみたけれど、やっぱり返事はない。

 ハルさんは背が高いから、横長のソファーから足がちょっとはみ出している。


 相変わらず目は前髪で隠れていて、閉じているのかどうかもよくわからない。


 でも、もしかして、前髪の下を見るチャンス?


 できるだけ静かにソファーの前にしゃがんで、そおっとハルさんの顔に手を伸ばしてみる。


 あと少し。もうちょっと……。


 わたしの指先がハルさんの前髪に触れ、それをすくい上げようとした瞬間、ぱっと手首をつかまれた。


「きゃっ」

「……えっ? リッチェル様!? あれっ、僕、寝てました?」


 寝起きだからか、ハルさんの声がかすれてる。

 身を起こしたハルさんは相変わらずわたしの手首を握っている。


 ハルさんの手がすごく熱くて、その熱が急速にわたしの顔にまで伝わってくるようだった。


「リッチェル様、今――」

「あっ、そ、その、わたし――ごめんなさいっ!」


 手首をつかむ力がゆるんだと同時に立ち上がり、慌てて身をひるがえす。


 いつもどおり接しようと決めたばかりなのに、わたしは何やってるんだろう。


「あっ、待って」


 後ろからハルさんの声がした途端、どさっと何かが床に落ちる音がした。


 振り返って声を失った。

 ハルさんが床に倒れていたから。


「ハルさん、大丈夫っ!?」


 駆け戻ってハルさんの肩に触れ、布ごしに伝わってくる体温がすごく熱いことに気がついた。


 そういえば昼間も少しぼうっとしていたけれど、あれは体調が悪かったってこと!?


「だ、大丈夫です。ちょっと転んだだけなので……」


 のろのろと身を起こしたハルさんは、座り込んだまま立ち上がろうとしない。

 ハルさんは片手で額を押さえると、疲れたような長い息を吐き出した。


 廊下からバタバタと複数の足音が近づいてくる。


「ハル様、大丈夫ですか!?」


 執務室に入ってきたのはエヴァンくんとモニカさん、それから男性の使用人さんだ。


 三人ともこちらに駆け寄ってきて、エヴァンくんが右手でハルさんの肩をつかんだ。


「ギリギリまで頑張ってぶっ倒れるその悪癖、直してくださいって言ってんでしょうが!」


 眉を釣り上げたエヴァンくんに、ハルさんは小声で謝っている。

 使用人さんに支えられて立ち上がったハルさんに続いてわたしも立ち上がる。

 支えようと手を伸ばしたわたしを、ハルさんは手で制止した。


「あ、大丈夫です。いつものことなので、心配しないでください……」

「〝いつもの〟にしないでくださいと言ってんですよ」


 エヴァンくんの声がとげとげしい。

 モニカさんも「ハル様はこれだから」とあきれ顔で両手を腰に当てる。


「す、すみません」


 消えそうな声でそう言ったハルさんは、使用人さんとモニカさんに支えられて執務室を出ていった。


 不安で胸が締めつけられたけれど、わたしにできることは何もない。


 エヴァンくんはハルさんが落とした本を拾って本棚に戻し、奥のデスクを片付け始める。


 不安な気持ちのまま部屋に戻りたくなくて、エヴァンくんに声をかけてみた。


「ハルさん、大丈夫かな」

「本人も言ってるとおり〝いつものこと〟なので、一日か二日でけろっとして戻ってくると思いますよ」


 エヴァンくんの声からとげが抜けない。怖い。

 うう、話題を変えよう。


「そういえば、エヴァンくんはとっても優秀なんだって、読み書きも計算もすぐ覚えたんだって、ハルさんが褒めてたよ」

「別に優秀なんかじゃありませんよ。何か一つ覚えるたびハル様が大喜びで褒めてくれるから、努力しただけです」

「ああ……なるほど」


 大喜びでエヴァンくんを褒めるハルさんがありありとに想像できた。

 エヴァンくんに限らず、他の子に対しても同じなんだろうな。

 ハルさんはたぶん、そういう人だ。


「……奴隷なんて、普通はモノと同じかそれ以下の扱いなんですよ。できることには何も言われず、粗相をすれば暴力を受ける、そんなものです。でもハル様は一人一人を見てくれて、できないことは〝どうすればできるようになるか〟を一緒に考えてくれて、少しでもできることがあればたくさん褒めてくれるんです」


「……うん」


「俺だけじゃない。ハル様に買われた奴らは皆そうです。ハル様に喜んでほしくて、間接的にでもハル様の役に立ちたくて頑張ってます。俺らが稼げばその一部は税としてこの領地の収入になるから。でもハル様は気の使いかたが変なところでズレていて、手放すのが相手のためだと思ってるフシがあるから、ひとりで生きていけるようになったらいつでも領地を出ていいって言うんですよ」


 徐々にとげも熱も増していくエヴァンくんの声は、内にためていたものを吐き出すみたいだった。


 ハルさんは、子どもたちには自由を得てほしいんだって言っていた。


 子どもたちにずっと領地にいてほしいと思っていても、あえて黙ってるんじゃないのかな。


 そう思ったけれど、たぶん私が言わなくてもエヴァンくんなら理解していそう。


 大きな息のかたまりを吐き出したエヴァンくんがわたしに目を向ける。


「だからリッチェル様も、手放されたくなければはっきりそう言ったほうがいいですよ」

「わたしを手放すなら、ハルさんじゃなくてモルト伯爵じゃないの?」


 家令のハルさんにはわたしをどこかへやる権限なんてない。

 だってわたしはハルさんの主人であるモルト伯爵に嫁いだのだから。


「……まあ、そうですね」


 エヴァンくんはそれだけで話を終わらせ、黙って片付け始めた。


 会話を続けられなくなったわたしは、おやすみなさいと声をかけてから書斎を出る。


 すぐ忘れそうになるけれど、そうだった。

 わたしはモルト伯爵に嫁いだんだった。

 実家の借金を返してもらう代わりに。


 わたしはどうして買われたんだろうと最初は思っていたけれど、今はなんとなくわかる。


 たぶん、ユルくんやソアラちゃんとわたしの立場はそう変わらない。


 何かを望まれたわけではなく、助けてもらった。ただそれだけだ。


 モルト伯爵が一度も会いに来ず、ハルさんやモニカさんがわたしの世話を焼いてくれる理由もそこなんだろう。


 じゃあ、ひとりで生きていけるようになったら領地を出てもいいって、わたしも言われるのかな。


 ――リッチェル様も、手放されたくなければはっきりそう言ったほうがいいですよ。


 エヴァンくんがわざわざ忠告してくれたんだから、きっとそうなんだろう。


 不意にハルさんの笑顔を思い出して、目頭が熱くなった。


 ……やだな。ハルさんから、どこに行ってもいいって言われるのは。


 だってわたしはハルさんのそばにいたいから。

 

「そっか、わたし……」


 ハルさんのこと、好きなんだ。


 もっと相手を知りたいと思ったり、そばにいたいと思ったり、可愛いと言われて嬉しくなったり。


 地に足のつかないふわふわしたこの気持ちを、きっと恋って言うんだね。


 物語を読んでも人の話を聞いてもどこか他人事のように感じていた言葉が、初めて理解できた気がした。


 でもできたらこの気持ちは、結婚してからは知りたくなかったな……。


 ハルさんが好きだと思っても、口にはしちゃいけない。


 いくら夫が会いに来ないといっても、わたしはもう人妻なんだから。

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