夢
真っ暗な空間に1人で立っていることに気が付いたときは、特に恐怖を感じることはなかった。
「どこだろう」
冷静な声が出る。
あちこちに視線を向けてみても何も見えない。
部屋で寝ていたはずなのにと思うと、すとんと心に納得するような何かが落ちてきた。
「・・・夢ね」
夢を見ているのだと理解してしまうと余計に落ち着いてしまう。
どこに何があるのか、何もない空間なのかもしれない。判断がつかなくて一歩を踏み出すのに躊躇ってしまっていた。
「どうせ夢なら大丈夫かな」
痛い思いはしないだろう。そう思いなおして前に一歩踏み出した時、何かが左手の甲を撫でた気がした。
腕に鳥肌が立つ。
何かはわからなかったが、触れた手を庇うように右手を動かそうとすると、その手首を何かに掴まれた。
「いやっ」
咄嗟に振り払うと簡単に離れていった。
全身に悪寒のような震えが奔った。
先ほどまで恐怖など全くなかったのに、今は心臓が早鐘を打つほどの恐怖がライラを支配していく。
触れてきたものが恐怖の対象なのだと見えないにもかかわらず理解できたのだ。
それが今度は右腕を掴んできた。
その瞬間、掴まれた腕を掴む白い手が視界に移った。
ライラよりも大きく武骨な手は男性の手だとわかる。
手首から先の相手の姿は見えないが、ライラの視線は相手よりも掴んでいる手に集中していた。
無意識に息を飲んで硬直する体。
悲鳴を上げることもできずじっと掴まれた腕を見ていると、手がわずかに力を緩めて腕に沿うように肩へと移動してきた。
「やっ、やめて」
咄嗟に声が出た。腕を振り払うと手が離れる。その隙に逃げ出そうとしたライラだったが、離れた手とは別の手がライラの首に掴みかかってきた。
今度は腕まではっきり見えた。
首を掴まれたことで息が詰まる。
「う・・・っ」
声を出せなくなり掴んでいる手を引き離そうと咄嗟に腕を掴んだ。
その腕がやけに熱かった気がしたが、それよりも首から引き離す方が先だった。
だが、腕はびくともしない。
手に力が込められているわけではないのに、だんだん呼吸が荒くなっていく。
「だれ、か・・・」
僅かに漏れた声は助けを求めるが、真っ暗な空間に助けてくれる人はいないとライラは理解していた。
瞼を閉じると涙がこぼれる。
なぜこんな目に合わなければいけないのだろう。そんな疑問が浮かぶ。
どうしてこんなにも苦しまないといけないのだろう。
そう考えた時に脳裏に王都の学園にずっといて離れて暮らしていた義理の弟の姿がよぎった。
「ルー・・・」
名を呼んでも届かない。
そう思うと手の力が抜けていった。腕を掴んでいた手が離れてしまう。
それと同時に耳元で誰かがささやく声が聞こえた。
『誰も助けてはくれないぞ』
はっとしたように目を開けたライラは、忘れていた呼吸を取り戻すと体を起こして肺にありったけの空気を吸い込んだ。
思い切りむせ返る。
涙を流しながらもなんとか呼吸を安定させていくと、夢から覚めたのだとはっきり自覚できた。
周りを見れば薄暗いとはいえ自分が寝ている部屋であることがわかる。
まだ夜明け前なのだろう。
呼吸を整えて意識がはっきりすると、安心したように長いため息をついてベッドに倒れ込んだ。
「よかった」
目が覚めたことを感謝するように呟く。
夢の内容なはっきりと覚えていた。
最期の言葉が頭にこびりついて離れない。体を丸くして耳を塞いだライラは体が震えるのを感じていた。
「あんなのは、もう嫌だよ」
その呟きは誰にも聞かれることなく空気に溶けていってしまった。
夜が明けて侍女が顔を出すまで、ライラは1人ベッドの中で縮まっていることになった。