給金
用意され、シシィ以外の侍女は部屋を出て行く。アスルは部屋の前で待機となった。
「久しぶりの再会です。話したいこともあるでしょう。今日は時間がありますからゆっくりお話をしてください」
ライラの予定は特になかった。だからこそロック夫妻との面会を実現してくれたのだろう。
お茶を飲んで前を向くと、ソファに座る2人がじっとこちらを見つめてきていた。
「お2人とも変わりないようで安心しました」
ライラが無事であることを知らせる手紙は送ったが、ロック夫妻の状況はわからなかった。休みの侍女に頼んで食堂の様子を見てきてもらったことがあったが、変わりなく営業されている店の確認ができたので、きっと元気にしているだろうと考えていた。
「なんていうか、ライラちゃんの雰囲気が違いすぎて少し驚いているよ」
レオンが戸惑ったように口を開く。
「ライラちゃんだなんて失礼なのかな。えっと、ライラ様?」
キリも困ったように眉根を寄せている。2人と出会った時のライラはボロボロで今にも消えてしまいそうな悲壮感が漂っていた。元気になってからも娘のように接してくれていたが、今のライラはドレスを身にまとい貴族らしい品格を漂わせたご令嬢になっていた。
「今まで通りライラちゃんでいいですよ」
そう言ってみたが、2人を余計に困らせるだけだったようだ。困惑した顔を見合わせていた。
「冷めないうちにお茶をどうぞ」
困惑した雰囲気が漂う中、シシィが温かいお茶を淹れ直してあげるが、2人はカップに手を伸ばそうとしない。
「もしかして嫌いでしたか?」
用意されたのは紅茶だ。街の人間も紅茶は飲む。貴族と領民の違いは品質だろう。上等な茶葉で煎れられた紅茶が用意されたはずだが、紅茶自体を嫌っていては飲もうと思わないかもしれない。
シシィが別のお茶を用意しようとすると、キリが慌てたように手を振った。
「の、飲めます。ただ、こんな高そうなカップで飲んだことがなくて」
「そうだな。割ったりしたら弁償できる気がしない」
お客様に出すためのカップに注がれた品質の良いお茶。領民からすると味を確かめるよりも先に綺麗なカップを割りでもしたら大変だという意思の方が強かったようだ。
シシィが何度か瞬きをしている。予想外の返答だったのだろう。
ライラもカップのことを気にしたことがなかった。
「大丈夫ですよ。そんなに高いものではないはずですから」
母は調度品を買い漁っていたが、その中には高級なカップのセットも含まれていた。必要な物は残してあるはずだが、それ以外はイクルスが売却している。今出されているカップはそれほど高いものではないはずだ。
それでも2人がカップに手を出すには勇気が必要だったらしく、しばらく手が伸びることはなかった。始めてクリスタラーゼ城へ来て、高品質のお茶を出されているのだ。緊張するのは仕方がない。これ以上勧めても酷なだけだと判断してライラは話題を変えることにした。
「私がいなくなってからお店の方は変わりありませんか?」
食堂で数日ではあったが働かせてもらった。常連客には顔を覚えてもらえただろうし、急にいなくなって不思議に思われたことだろう。
2人とも色々と聞かれたに違いない。
迷惑をかけてしまったなと思っていると、2人は顔を見合わせて複雑な顔をした。
「確かに急にいなくなったライラちゃんのことをいろいろと聞かれたよ。でも、心配しているというか興味のほうが上のような感じだったな」
「ライラちゃんの心配というより、あたしらの心配をされたねぇ」
何かを思い出したようで、どことなく疲れた顔をする。
2人のその後はライラの予想とはどうやら違っていたらしい。
「ほら、ライラちゃんが出て行った日馬車が食堂の前に停められていただろう」
ルークが馬車で迎えに来た日のことを思い出す。食堂の前に停められた馬車の家紋を見て、2人は動揺していた。
「あの家紋を近くに住んでいる常連客が見てね。貴族の馬車がうちの食堂の前に停まったから何事かと思ったらしいよ」
何か貴族の不興を買うようなことをしたのかと思われたそうだ。それで城の牢屋にでも連れて行かれたのかと心配していたところ、姿を消したのはライラだった。まさかライラが犯罪者だったのかと常連客は混乱したらしい。
詳しい事情を聞きに来た客たちに2人はライラが貴族の出身であったこと、一時的にロック夫妻が保護していて、迎えが来たことを伝えた。
つまりライラがクリスタラーゼの関係者だと知られてしまった。
クリスタラーゼにいる成人したばかりに見える女性と言えば、公爵とは血の繋がらない令嬢ただ1人。領民は直接会ったことがなくても噂程度には情報を持っている。
ライラの素性を知った客たちは、心配よりも公爵令嬢に対しての興味の方が勝ってしまった。食堂には食事をするためでは噂を聞きつけた人たちが話を聞きに数日来ていたという。
「話が聞きたければ食事をしろとキリに叱られていた客もいたくらいだ」
「貴族と接点を持てる人間は少ないからね。みんな興味があったんだろう」
レオンは調理場で作業があるので話を聞かれることは少なかったようだが、接客を担当しているキリは大変な思いをしたようだ。
「それは、ご迷惑をおかけしました」
ライラのことは親戚の子供を預かっていた程度で誤魔化しているとばかり思っていた。どうやら城の馬車で迎えに来たのがいけなかった。
派手な迎えではなかったのだが、普段目にすることのない物が突然目の前に現れたことで街に住む人の注目を浴びてしまった。そのことを知って申し訳ない気持ちになる。
「申し訳ございません。私たちの配慮が欠けていたようです」
控えていたシシィが口を開いて頭を下げた。彼女もライラを迎えに来た1人だ。それほどまでに注目されているとは思わなかったのだろう。話を聞いて反省しているようだった。
「大変ではあったけど、最初の数日だけだよ。その後はいつも通りに戻ったからね。ただ、ライラちゃんがいなくなって、店の雰囲気がしばらく暗いようには感じたけど」
若い娘が働いているだけでその空間は華やいだ。ぎこちない働きをするライラを皆が優しく見守っていた雰囲気があったが、それもライラがいなくなった寂しさと貴族令嬢がいたのかという戸惑いに支配されてしまった。
「とりあえず今は落ち着いていつもの食堂になったよ」
レオンは明るく言っているが、キリは微妙な顔をしていた。接客している彼女は客の些細な変化も感じ取れているのだろう。まだ、ライラが来る前の食堂の雰囲気までは戻っていないと思っているようだ。
こればかりは時間が解決するのを待つしかない。いろいろと誤解も解けてライラはここに残っている。食堂に戻ることはないだろう。
「あ、そうだ。もしもライラちゃんに会えたら渡したいと思っていたものがあるんだよ」
思い出したようにキリが隣に置いていたカバンに手を突っ込む。
身一つで食堂に転がり込んだライラが忘れ物をしたとは思えない。なんだろうと思って見つめていると、カバンの中から小さな袋を取り出してきた。
金属が擦れるような音も聞こえて、さらに中身の想像ができなかった。
「数日だったけど、食堂で働いてもらったからね。その分のお給金だよ」
「え、でも、特に役に立っていなかったですし」
まさか数日分の給金を持ってきていたとは思わなかった。すべてが不慣れのライラはほとんど役に立てていなかったと思う。給金をもらえるだけの働きをしたとは思っていなかったし、城に戻ってきたら衣食住は確保されている。生活には困っていなかったのであの時の働いた分の給金が欲しいとも思っていなかった。
「一生懸命働いてくれた証だよ。ちゃんと受け取ってもらわないと」
「そうだ。それに仕事以外でも俺たちに楽しい時間をくれたんだ。そのお礼だとでも思ってくれればいい」
2人の温かい心遣いに胸が熱くなる。
「もらってもいいんですか?」
「当たり前だよ」
「受け取ってくれないと、この金は行く当てがなくなっちまうよ」
渡された袋の中身は少ないとはいえライラが働いたという証拠が詰まっている。
それを胸に抱きしめてライラは礼を言った。
「ありがとうございます。初めてのお給金だから、大事に使いますね」
買える物は限られてしまうだろうが、自分で働いて作ったお金だ。きっと買う物はいい思い出になるだろう。
笑顔を向ければ2人も嬉しそうにしていた。
ライラに会ってお金を渡すことが目的だったロック夫妻はその後すぐに城を出て行った。平民としては貴族が住む城にいるのは居心地が悪かったようだ。帰りもどことなく緊張した面持ちで案内されていった。
そんな姿を見送ったライラは、もう少し落ち着いたらいつかロック食堂に顔を出したいと思うのだった。




