羨む気持ち
「クロウディス伯爵が面会に来ております」
「そんな予定はなかったはずだが」
執務室で仕事をこなしていたルークは突然の訪問者に首を傾げた。貴族との面会は通常事前の手紙などの知らせが必要になる。突然の訪問は失礼になり、顔を合わせることなく追い出される可能性の方が高い。
「それが、当主様への面会というよりも、ライラ様との面会が目的のようです」
「ライラに?」
伯爵がライラと親しいとは聞いたことがなかった。領地が近いだけで親族会議に参加することもない伯爵だがクリスタラーゼ城に足を運ぶ回数がそれなりにあるのは知っていた。
どういう経緯かわからないが、ライラとどこかで接点を持ったのだろう。
「頻繁に合うような間柄なのか?」
「時々尋ねてくることはありましたが、基本的に前当主様との面会でした。その後にライラ様とお話をする時間はあったかと」
イクルスも詳しくは把握していないようだ。シシィの方がもっと詳しく知っているかもしれない。
なんだか嫌な予感がした。
既婚者である伯爵がライラに手を出すようなことはしないと思うが、彼には年の近い息子がいたはずだ。
考えすぎかもしれないが、腹の奥にしこりのような感覚が生まれてしまう。
「当主になってから顔を合わせていなかったな」
考えすぎだと思うが、予感めいたものは胸の奥に残ってしまった。
葬儀には伯爵も出席していた。使用人にライラがいないことを聞いていたそうで、怪我の具合なども詳しく聞かれたそうだ。
その時は公爵令嬢への上辺だけの気遣いだと思っていたが、親しい間柄なら詳しいことも聞きたくなるのは普通だろう。
「応接室に通しているのか?」
「すでにライラ様が対応しているはずです」
当主であるルークが最初に顔を合わせることが普通だが、どうしても外せない時には別の者が対応することもある。ルークの判断よりも先にライラが対応していたことを考えると、やはり彼女に会うのが目的だったのだろう。
だからといってこのまま放置することもできない。
ペンを置いたルークはすぐに応接室に行くことにした。
ライラと伯爵を2人にさせておきたくないという気持ちもあった。
はやる気持ちを押さえて部屋へと向かったルークは、応接室の前に辿り着くと中から楽しげな声が聞こえてくるのに気が付いて扉に伸ばした手を止めてしまった。
両親がなくなってから楽しそうに会話をするライラの声をあまり聞いていなかった。それが伯爵を前に会話が弾んでいるのか明るい声が聞こえてくる。
なんとなく悔しさが込み上げてきた。
一度呼吸して気持ちを落ち着かせるとルークは扉を開いた。
すると2人の視線が同時にルークへと注がれる。
「これはクリスタラーゼ公爵様、挨拶申し上げます」
ソファから立ち上がった伯爵が一礼して挨拶をしてくる。
「随分と突然の訪問だな」
皮肉を込めたつもりだったが、相手に伝わったどうかわからない。それくらい顔を上げた伯爵は表情が変わらなかった。
「申し訳ありません。ライラ様の体調が気になっていたので、連絡もせずにこのような訪問になってしまいました。お元気そうでなによりです」
「心配をかけてしまいましたね。でも、もう大丈夫ですよ」
労わるような視線と言葉にライラは穏やかな表情で答えている。2人の間に漂う空気はルークと一緒にいる時とはまた違う落ち着いたものだと思えた。それだけの信頼関係が2人にはあるのかもしれない。
なんだか落ち着かない気持ちになってしまう。
「当主様は聖獣公爵として認められたと聞きました。おめでとうございます」
いつまでも立って話をしているわけにもいかない。すぐに動いてライラの隣に座ると伯爵も座ってお祝いの言葉を口にした。
「親族には手紙で報告していたが、伯爵には届いていなかっただろう」
「先ほどライラ様から聖獣に認められたということを聞きましたので、お祝いの言葉をと思いました」
「これからたくさんお祝いが届くかもしれないわね」
隣のライラは嬉しそうだ。嬉しそうにしている彼女はいいのだが、親しい伯爵からの祝いの言葉を心から喜べない自分がいることも気が付いていた。
そんな自分に幻滅したくなる気持ちがあった。そう気が付いてルークは伯爵に嫉妬しているのだと理解してしまった。
ライラと親しくしていることを知らなかったことと、彼女と信頼関係があるように見える伯爵が羨ましいのだろう。
全部理解してしまうと子供じみていて恥ずかしくなってくる。
「ルーク?」
反応がないことを不思議に思ったライラが首を傾げて顔を覗き込んできた。
「具合でも悪いの?」
「なんでもない」
「当主様もまだまだ若いですから、思うところはきっとあるのでしょうね」
伯爵を見れば子供を見守る親のような表情をしていた。ルークの心情を見透かしているように思える。
たとえ当主になったとしてもまだ18歳だ。伯爵からすれば息子のような存在なのかもしれない。
それでもルークはクリスタラーゼ公爵だ。相手に心を見透かされては足元をすくわれる。そうなってはいけない立場にいるのだ。
内心で気を引き締めると、表情にも出たのだろう。伯爵が少し寂しそうな顔をした後に彼も表情を引き締めた。
「当主様にご挨拶をする前にライラ様と面会したことはお詫びします。今後このようなことがないように立場をわきまえた行動をすることを約束いたしましょう」
話を最初に戻した伯爵は座ったまま頭を下げた。
怒られることを覚悟の上でライラと面会したのだろう。
はっきりと謝罪をされればこれ以上責めることもできない。隣を見ればライラは少し不安そうにこちらを見ている。伯爵が何かの罰を受けるのではないかと心配しているようだった。
「今後気を付けてくれればそれでいい」
それだけを言って話を終わらせることにした。それ以上責めたら伯爵よりもライラの方が傷つきそうな気がしたからだ。
その後伯爵はライラと会えたことで満足したのか、少しだけ会話をしてすぐに退室していった。
見送りをしたルークは、一緒についてきたライラと一緒に馬車に乗って帰っていく伯爵をしばらく眺めていた。
「羨ましいと思った」
「え?」
馬車が見えなくなって戻ろうとするライラに声をかけたつもりではなった。ただ何となく言葉が漏れたのだ。
「俺の知らないライラを知っている伯爵が羨ましいと思えた」
学園にいたルークは長期休暇で戻って来た時にライラと会うことしかなかった。そのひと時は大切で義母に虐げられていたルークにとっては心の拠り所でもあった。接する機会は少なくてもライラへの気持ちはルークの中にしっかり芽生えていたのだ。
ただ、学園にいる間の彼女の行動はほとんど知らなかった。城からあまり出ることのないライラは使用人たちと親睦を深めていたが、外の人間と親しくしていることを考えていなかった。
お茶会やパーティーなどはクリスタラーゼ城でも開かれていたが、そこで貴族としての交流もきっとあったはずだ。それについてルークは何も尋ねたことがなかった。
今さらながらもっとライラのことを知っておくべきだったと思ってしまう。
「貴族で親しいのは伯爵くらいよ。お茶会とかもあったけど、いつも挨拶をするだけでほとんど貴族令嬢との交流もなかったもの」
お茶会やパーティーは母親が主役だった。派手なドレスを身にまとって笑顔で他の貴族婦人や令嬢と交流をしていたのだろう。その中で似合いもしない派手なドレスを着飾ってライラは肩身の狭い思いをしていた。夫人の連れ子ということで白い目で見られていた可能性もあるが、そのことに彼女は触れようとしなかった。
「伯爵は貴族社会のこともいろいろと教えてくれたわ。おかげで他の貴族と接する機会が少なくても、いざ放り込まれても大丈夫な知識と振舞いはわかっているつもりよ」
彼女を貴族令嬢として立たせてくれたのはクロウディス伯爵のようだ。使用人の中にも貴族出身者はいるが、彼らも貴族社会から離れて仕事をしている。簡単な知識くらいしか教えられなかっただろう。それに比べると伯爵は貴族社会にしっかり入り込んでいる。
そういうことでは感謝すべきなのだろうが、親しくしているところを見てしまうと、自分の知らないライラを知っていることに羨望してしまう。
まっすぐに伯爵が帰っていった方向を見つめていると、不意に優しく手に触れるものがあった。
横を見ればルークの手にライラの手が重ねられていた。
彼女は少しだけ困ったような顔をしながら口を開く。
「私だって、学園にいたルークのことをそんなにたくさん知っているわけではないわ。帰って来た時に少し話を聞くくらいだったから」
ルークがライラのことを知らないように、ライラも長期休暇で戻って来た時にルークと話をするだけで、たくさんのルークのことを知っているわけではない。お互いにお互いのことをあまり知らないのだと言いたいようだ。
「だから、もっと私たちは話しをしないといけないのかもしれないわね」
知らないことがあって当然だ。だからこそ知ろうとすることも大切なのだ。
「そうだな。ライラのことをもっと教えてもらわないといけないな。それに、俺のことももっと知ってもらわないと」
ルークのことをもっと意識してほしいと願うなら、やはり自分のことを話さないと伝わらないだろう。
ライラはちゃんとルークを見ようとしてくれている。
握られている手を握り返してから持ち上げると、彼女の手の甲にそっと口づけをする。
「ル、ルーク」
慌てるライラだが手を離してはやらなかった。
「できることなら抱きしめたいんだが」
無性に彼女を抱きしめたいと思った。
「だ、駄目よ」
さらに慌てるライラだが、嫌がっているようには見えない。だからこそもう一押しすればと思ってしまうと、別の方向からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
2人が同時に視線を向けると、扉の前で別の方向を見つつもその存在をはっきりと示しているイクルスが立っていた。
「お2人ともいつまでもそこにいては風邪をひきますよ。夏も終わりなのですから体を冷やさないようにお気を付けください」
聖獣祭は秋の祭りだ。夏というには少しずつ肌寒さを感じるようになってくる季節。
「そうだな。戻って体を温めたほうがいいだろう」
今回はここまでがいいだろう。これ以上積極的に動けばライラが逃げてしまいそうだ。
それでも握られている手を離すことはしなかった。
手をつないだままルークが歩き出せば、それを嫌がることなく頬を少しだけ赤らめてライラは一緒に歩き出す。
振り払われないことをいいことに、そのまましばらく2人は城の中を歩くことになるのだった。




