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公爵令嬢は、聖獣公爵に愛される  作者: ハナショウブ
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聖獣の刺繍

「当主のルーク=クリスタラーゼだ」

「ライラ=クリスタラーゼです」

2人が名乗ると、緊張した面持ちの院長も口を開いた。

「孤児院で院長を務めておりますアッシュ=ドールです。本日は当主様との面会を快諾していただきありがとうございます」

白髪交じりで頭皮が薄くなってきている院長は額というより頭まで汗を拭っていた。相当緊張しているのがこちらにまで伝わってくる。

「毎年孤児院への寄付をしていただいてありがとうございます。おかげで院にいる子供たちは親がいない寂しさはあっても、健やかに成長しています」

事故や病気などで両親がいない子供から、孤児院の前に捨てられた子供、育てるのが困難になり預けられた子供と、事情の違う子が集まっている場所だ。未来の働き手の領民としてクリスタラーゼでは昔から孤児院への寄付をしてきた。

「私の代になっても孤児院への寄付は続けるつもりだ。ここへ戻ってきてまだ日が浅いため何か不備があれば言ってほしい」

「とんでもない。不備などありません」

両手を振ってアッシュが否定してきた。

借金で苦しんでいた公爵家だが、国への税と孤児院への寄付は変わることなく続けてきていた。そこだけは妻の贅沢とは関係なく、前公爵の矜持のようなものがあったのかもしれない。

おかげで孤児院が潰れることもなく、子供たちは健やかに成長することができていた。

ライラは後ろに控えている袋を抱えたシシィに目配せをすると、心得たようにシシィがテーブルに袋を置いて口を開いた。

「せっかく来ていただいたので、今年のハンカチの寄付もさせてください」

白いハンカチに花や小動物など簡単な刺繍が入っている。侍女たちが頑張ってくれたようで予想していたよりもたくさんあった。

それを見たアッシュは安心したように微笑んだ。

「今年はいただけないと思っていました」

公爵夫人が火事で亡くなったことを知ってハンカチの寄付は断念するしかないと思っていたらしい。いつも通りの寄付に心から安心したようだ。

「実はこのハンカチなのですが、3年前から寄付が再開したことを覚えていますか?」

少しだけ緊張しながらライラは尋ねた。ハンカチの寄付をするようになったのは15歳の時からだ。ハンカチの寄付が公爵夫人の役目だと知ったライラは公爵家の人間として何もしない母の代わりに刺しゅうを始めた。

公爵令嬢の嗜みとして刺繍はクリスタラーゼを名乗るようになってから少しずつ侍女たちに教わっていた。お金がないため先生を雇うことができなかったこともあり、刺繍が得意な侍女に教わっていたのだ。

こんな形で役に立つとは思っていなかったが、ライラはクリスタラーゼの象徴ともいえる聖獣をモチーフにした刺繍を縫ってきた。

「そうですね。10年以上前に亡くなった公爵夫人が寄付していましたが、その後はぱったりとなくなって、3年前から寄付が再開されて、とてもありがたかったのを覚えています」

ルークの実の母親が公爵夫人をしていた時は毎年寄付があったのだ。それが病気で亡くなってからライラが寄付をするまで、ハンカチが孤児院に届くことはなかった。

「そのハンカチですけど、ずっと母の名義で寄付していましたが、実は私が刺繍していたのです」

勇気をもってライラは告白した。驚かれるのは予想しているが、公爵夫人の刺繍ではないと知って院長がどんな反応をするのか気がかりだった。

伺うように院長を見れば、彼は何度か瞬きをしてから納得したような顔をした。

「知っていましたよ」

穏やかな表情で返事が戻ってくる。

「え?知っていた」

「はい。公爵夫人の名で届けられていましたが、ご令嬢であるライラ様が刺繍をしていたことは噂程度ですが知っていました」

驚いてシシィを振り返ってしまった。まさか毎年届けていた彼女が口を滑らせていたのかと思ったが、シシィも知らなかったようで驚いた表情をしていた。ライラと視線が合えば首を横に振る。

「噂だったのですが、公爵夫人は刺繍に興味がないようで、寄付にも後ろ向きだと。そのため娘であるライラ様が代わりに刺しゅうをしてくれていると聞いていました。どうやら本当だったようですね」

院長も確証があったわけではないという。そう言う噂がどこからか広まって来ていて耳にしたことがあったのだ。

ライラが直接ハンカチを渡しに来ないので本人に聞くこともできず、真相がわからないまま毎年のハンカチを受け取っていたのだ。

「それに、もうひとつ不思議な噂があったのですよ」

過去の寄付されたハンカチは孤児院に個人的に寄付をしてくれる人へのお返しとして渡されるものだ。刺繍は様々あるため、どんな刺繍がされているのかわからないように折りたたまれて渡していた。それももらった人たちの楽しみになっているそうだが、その中で聖獣をモチーフにした刺繍をもらった人が別の日に孤児院にやって来たそうだ。

「偶然なのか判断できなかったのですが、聖獣のハンカチをもらった人は良いことが起こるそうです」

「良いこと?」

きょとんとしてしまうライラに対して院長は楽しそうに続ける。

「恋人ができたり、結婚したり。家族の病気が良くなったり、事故に巻き込まれても無傷だったとか。いろいろありますが、どれもが良いことです」

どういうわけか聖獣のハンカチをもらえた人にそんな人がいたという。

まるで些細な良いことが起こるという魔法でもかけられているのではないかと噂が広がり、それが続けば今年は聖獣のハンカチを引き当てるために寄付しに来る人が増えそうだとも期待されていた。

ライラにそんな魔法は使えない。そもそも魔法使いでもない。魔法石という不思議な力を持った石は存在するが、不思議な力を自在に操れる魔法使いは国の中でも数名いると聞いた程度だ。その魔法使いは国に管理され王都で生活している。

聖獣のハンカチは偶然だとしか言いようがない。

隣に座るルークを見れば、彼は何か思案するようにハンカチの袋を見つめていた。

「もしかすると聖獣様のささやかな祝福ではないかと私は思っています」

魔法使いを否定すると、院長は心得ているように頷いてから自分の考えを口にした。

「公爵家の方が刺繍したハンカチですから、そこに聖獣様の祝福が宿ったのではないかと思っています。ハンカチは聖獣祭の日に配るものですから、聖獣様からのささやかなお祝いの意味があったらいいなと勝手に思っているだけです」

聖獣祭はクリスタラーゼ城で行われ、領地で収穫された物を聖獣の間に奉納する。領民と聖獣との唯一の繋がりでもある。そのお礼なのか、ハンカチを通して領民へのささやかな祝福をしてくれているのではと院長は考えていた。

「確かに、あり得ないことではないだろう」

ずっと考え事をしていたルークが納得したように口を開いた。

「聖獣の力は人間が考えている以上だ。だからこそ聖獣への感謝を忘れず、この領地ではなによりも聖獣が一番だ」

当主でさえ聖獣の許可があって領地を治めることが許されている。人間の知らない力をまだまだ持っていたとしても不思議ではない。

「それに、良いことが続いているのなら、領民たちの幸せにつながるだろう。ただ、ハンカチの争奪戦になるようなことだけは避けるべきだな」

噂が広がりあちこちから寄付をしに来る人は増えるだろう。それと同時に聖獣の刺繍を目当てにハンカチを奪い合うようなことがあってはいけない。

「そうなれば聖獣様の祝福も消えてしまうかもしれませんね」

院長もその懸念はあったらしい。醜い奪い合いを聖獣が知れば、せっかくの祝福もなくなってしまう可能性だってある。そうなれば良いことが起こるという噂は消滅するだろう。

「孤児院の子供から渡されるハンカチの中に聖獣の刺繍があれば良いことがあるだろう。その程度の噂で抑えられるようにした方がいいな。奪うようなことをすれば逆に悪いことが起こるというのも一緒に流せばいいだろう」

抑止のための噂をわざと流すことにした。

「そうしてもらえれば、私も聖獣の刺繍をするときに気が楽になります」

聖獣の刺繍はライラだけがすることになっている。その刺繍だけが良いことが起こるというのなら、ライラの責任は重大になるだろう。ただ、噂程度に広がっているだけなら気が楽に刺繍ができる。

大事になることだけは避けたかった。下手に噂が広がってライラに特別な力があるのだと勘違いされても困る。

「そうですね。上手く対処できるように考えてみます」

念のための警備として騎士団の騎士を当日孤児院に配置することをルークは約束していた。

領民の安全を守るのも当主の役目だ。

その後院長はハンカチを抱えて孤児院へと帰っていった。

ライラは今年の聖獣祭も無事に終れることを祈りながら院長を見送るのだった。


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