熱が下がって
ようやく熱も落ち着いて起き上がれるようになると、体力の回復を最優先にリハビリが始まった。
倒れてから今日で5日目。
食事は元がわからない離乳食のようなドロドロとしたものが出され、これを食べるのかとドキドキしたのだが、食べてみると意外にも美味しかった。
さすが専属料理長だと心の中で感謝しておいたものだ。
「食べ終わったらお薬も飲んでくださいね」
まだ移動が出来ないので食事は部屋で取っている。サイドテーブルに多いなと思う程の薬が置かれ、青い謎の液体まであった。
「これ全部飲むの?」
「当たり前です」
念のために尋ねると、当然だと腰に手を当ててアンナが言ってきた。
「熱が下がったとはいえ、病み上がりなんですからしっかり治すためにも飲んでいただきます」
「・・・はい」
固形の薬はまだしも、液体が謎である。
美味しい食事の記憶が吹き飛ぶような味でないことを祈ることにした。
「食事が終わりましたら包帯を変えましょう。その後お医者様が来ますので、歩く練習もすることになりますよ」
3日間も寝たきりだったので歩くための筋力が衰えてしまっていた。筋力を取り戻すために少しずつ歩く訓練をする必要があるのだ。足の怪我もあってリハビリは長期的になりそうだと説明を受けている。
「まずは立つ練習からよね」
「そうですね。すぐには歩けないだろうということですから、ゆっくり回復していきましょう」
「歩けるようになったら庭の散歩に行きたいわ」
窓の外を見れば青空が広がっているのがわかる。
今は夏だ。薄着で太陽の光を感じながら緑の匂いを嗅ぐと気持ちがいいだろう。
「今はこれで我慢してください」
そう言ってアンナが窓を開けてくれる。温かい風が吹き込んできて頬を撫でていった。早く外においでと誘われているようでライラは風を感じながら苦笑してしまった。
食事を再開して、謎の液体のよくわからない味に複雑な気分になっていると、部屋を訪ねてくる人物がいた。
ノックの音にアンナが扉を開ける。
「あ・・・」
部屋に入ってきたルークを見て、ライラは一気に体を硬直させた。
「ルーク」
「想像していたよりも元気そうだな」
アンナがすぐに近づいてきて薄い布を肩にかけてくれた。寝間着姿だったのでそれを隠してくれたのだ。
髪を手櫛で整える。病み上がりとはいえ家族に醜態を晒すのは恥ずかしい。
ライラの乙女心をわかっているのかいないのか、ルークは特に気にする素振りも見せずに近づいてきた。その後ろに護衛騎士のアスルがついている。彼の視線は鋭くライラを捉えていて敵視されているのだとすぐに理解できた。
アンナが用意した椅子に座ると、ルークは片手を上げてアスルにさがるように無言の指示を出した。睨んでいることに気が付いていたのかもしれない。
すぐに扉まで戻ったアスルだが、その視線はライラを貫きそうに鋭い。居たたまれない気持ちになって視線を落としたライラは、すぐにアンナが鋭い視線を遮るように立ち位置を変えてくれたことに気がついた。
ルークとアスルの間にすました顔で立ったのだ。
さすがライラの専属侍女。対応が早く物怖じしない。
彼女の行動に感謝していると、ルークが顔を覗き込むようにしてきた。
「まだ顔色が悪いな」
「やっと起き上がれるようになったばかりだから」
「手短に話した方が良さそうだな」
何か用事があって来たのだろう。世間話をしていられるほどライラの体力はまだ回復していないし、彼も暇ではないはずだ。
「火事が起こった時のことを聞きたい」
前置きもなく本題を出してきた。
「ライラは逃げて無事だったが、部屋が燃えた原因がわかっていない。何が燃えて部屋が燃えたのか聞きたい」
燃えた原因を聞かれ言葉に詰まる。
「・・・私もわからないわ」
それは真実だった。どうして火事になったのかライラは知らない。
「火事の原因がわからないで部屋から出たのか?」
もっともな疑問ではあったが、ライラが言えることは一つだった。
「よく覚えていないの」
「覚えていない?」
「気がついたら森の中にいて、城が燃えていることに気が付いて、そのあと気を失ったからわからないわ」
ライラの答えは当然納得できるものではなかっただろう。
ルークを見れば、真剣な表情でこちらを見ていた。嘘がないかどうか確かめている視線に、ライラは受け止めきれずに視線をそらしてしまった。
「何もわからないの。ごめんなさい」
声が小さくなる。
しばらくの間部屋が無言に包まれる。
何も話せないライラはルークの次の言葉をじっと待つだけだった。
「ライラ」
静かな呼びかけに顔を上げるとルークと視線がぶつかった。
「両親のことだが」
話が切り替わる。それと同時についにその話になったのかと思った。
「もう、いないのでしょう」
静かに言葉を紡ぐとルークの目が細められた。
「知っていたのか」
「誰も何も話してくれなかったわ。お見舞いに来ないのも変だと思ったし、怪我をしているなら誰かがそう話してくれるはずだもの」
目が覚めてから部屋を訪ねてきたのは、世話をする侍女2人と侍医。様子を見に来た執事長くらいだった。誰も両親のことを話そうとせず、ライラも尋ねることをしなかった。そこでおそらくもういないのだろうと見当をつけていたのだ。
「火事に巻き込まれたのね」
ルークは先に火事のことを聞いてきた。両親の話をすればショックで倒れる可能性を考えたのかもしれない。その前に知りたいことを聞いてきたのだろう。
「葬儀はライラが眠っている間に執り行った。君には悪いと思ったが、何日も待っているわけにはいかなかった」
「・・・そう」
3日間の高熱に、その後2日をベッドで過ごしてしまった。葬儀に出られる状態ではなかった。
「歩けるようになったら一緒に墓参りに行こう」
両親は代々クリスタラーゼの当主を務めた者たちが眠る墓に埋葬された。墓地は城の奥にある森を進んでいった一角にひっそりとある。馬車で行くことも可能だが、まずはライラの体力が戻らないといけないだろう。
「わかったわ。教えてくれてありがとう」
「それから、父が亡くなったことで緊急の会議が開かれた」
クリスタラーゼの当主の座が空席になってしまった。葬儀の後に親族の貴族たちを集めて今後の話し合いが行われたのだ。
「学生ではあるがすでに18歳を迎えているから、俺が当主となることに決まった」
18歳は成人としてみなされる。ルークはすでに誕生日を過ぎている。今年王都の学園を卒業することになっているが、まだ卒業式まで数か月残されていた。
「卒業に必要な単位はすべて取っているから、卒業式に出席さえすれば問題ない。このまま残って当主としての仕事を引き継ぐつもりだ」
いつまでも当主を空席にしておけないことはライラもわかっている。補佐役はいるだろうが、最終決定を下せる人間がいなければすべての動きが止まってしまうだろう。
「これからはルークが当主ね」
「正式な当主としての認定の儀式は必要になるがな」
クリスタラーゼ領には聖獣と呼ばれる存在がいる。初代当主がこの地を治めるよりもずっと前から存在している生き物で、聖獣に当主として認めてもらうことで領地を治めている。国の中でも珍しい領地なのだ。
ゆえにクリスタラーゼ公爵は別名聖獣公爵と呼ばれている。
新しい当主が決まると必ず聖獣に認められるための儀式をする必要があるのだ。
「聖獣もルークを認めてくれるわ」
特に根拠があったわけではないが、きっと認めてもらえるだろうと思った。
ライラは一度だけ聖獣に会ったことがある。
母が再婚する時に公爵夫人として認めてもらうとても簡単な儀式があったのだ。その時に母の子供として一緒に参列した。
真っ白な毛に覆われた大きな狼だったことを覚えている。
懐かしく思っていると、不意にあの夜のことが頭をよぎった。
はっとして体が硬直する。
「どうした?」
ライラの様子に気がついたようでルークが首を傾げた。
「少し疲れたみたい。休みたいわ」
それだけ言うとベッドに横になった。
「長く話してしまったな。また何かあれば来る」
ルークもすぐに退きさがってくれた。話はこれで終わりだろう。
火事の真相は何も口にしなかったが、新しい当主が決まった。
部屋を出て行くルークの背中を見つめながら、ライラは今後の自分の立場を考えなければいけないのだと心が重くなるのを感じていた。