働き口
部屋から出ると食欲をそそるいい匂いがする。
1階で開店前の下準備をしている夫婦は昼食の準備もしているはずだ。
ゆっくりとした足取りで階段を降りて行くと、良い匂いがどんどん濃くなってきた。
匂いに誘われるまま降りた先はまっすぐな通路になっていて厨房と店の裏手へ出られる勝手口に繋がっている。勝手口は裏路地に繋がっているのだが、そこから外へ出ることなくライラは厨房に足を踏み入れた。
「あの・・・」
声をかけるとキリとレオン夫妻が同時に振り返った。
「もうすぐ店の準備が出来るから、そのあとお昼にしよう」
言葉を交わしながらも動きは止めない。2人の長年の連携を見せられているようで、それほど広いとは言えない厨房を体がぶつかることなく行き来していた。
ライラは邪魔にならないように入ってすぐ横にある椅子に腰かけた。
キリに助けてもらって10日が経過していた。足の傷は思ったよりも浅く開いただけだったのですぐに塞がってしまい、歩いても問題ない状態まで回復していた。
助けてもらった翌日、ライラは2人に家にいることが出来なくなって出てきたこと、行く当てがなく街を彷徨っていたことを打ち明けた。家というのが公爵家であることや、当主となったルークのことはすべて伏せて話した。
色々と深い事情があることに気が付いているかもしれなかったが、2人はライラの説明に疑問を投げかけることなく、行く場所がないのならしばらくここに住めばいいと簡単に誘ってくれた。
嫁いでいった娘の部屋が空いていたこともあって、すぐにライラの部屋は用意され、足の怪我が安定するまでは安静にするように言い渡されてしまった。
ライラの反論など聞くことなく、2人の勢いに飲まれるように店の2階で居候生活が始まった。
数日は歩く練習を部屋の中でしていたが、足の痛みもなくなってくると1階に降りて厨房に顔を出してみた。
厨房で動き回る2人の姿に感心していると、その場に立っているのはつらいだろうという配慮で、扉の横にライラ専用の椅子が用意されたのだ。
「あたしたちの働いている姿を見たって、面白くないだろう」
「何か料理でもしてみるか?」
時々声をかけてくれる2人が、ライラを気遣ってくれていることがよくわかって嬉しかった。
「こんな風に働いている人を見たことがないから楽しいですよ」
城にいた頃は調理場に足を運んだことがなかった。あそこは常に料理人が動きまわっていて刃物も扱う場所だから危険だと言われて行かないようにしていた。そこでどんな作業が行われどんなふうに料理が完成していくのか見たことがない。
城の調理場と食堂の厨房では人数も作業内容も違うかもしれないが、料理を作る場所という意味では同じだ。
新しい物を見るのは好奇心を刺激されて楽しいと思う。
実際に何か作ってみるかと問われても、さすがに包丁を握ったことのないライラにはハードルが高いと思われた。
料理は食べる専門だ。そのため時々レオンがやってきて味見をさせてくれる。それもここに座っている特権だろう。
厨房での下準備が終わると、空いたスペースに3人分の昼食が用意される。
食事を並べるくらいはできるので、そこは手伝わせてもらっていた。そうやって動くことで足のリハビリにもなる。
「今日はお魚ですね」
皿に盛られた煮付けた魚の優しい匂いが食欲をそそる。本日の日替わりランチは魚のようだ。
この食堂は3種類のランチだけを提供している。
1種類は日替わりにして1週間で元に戻る。2種類目は週ごとに替えて1月で戻る。3種類目は季節に合わせて替えている。その3種類だけにすることでお客が多くなっても2人だけで回していけるようにしていたのだ。
この10日間、3食毎日食べさせてもらっているが、どれも美味しかった。
「それにしても、毎回食事しているところを見ているが、ライラちゃんは綺麗に食べるよな」
「え?」
魚の身をほぐして口に運んでいると、感心したようにレオンが呟いた。
「そうだね。食べてる姿に品があるというか、食事以外でも仕草がお淑やかなんだよね」
キリの言葉に手が止まる。2人ともライラの様子を見ていて、どこかのお嬢様ではないかと目星をつけていたようだ。
「あの、私・・・」
「あぁ、気にしないで。あたしたちの勝手な感想だよ。出て行けなんて言わないから」
「そうだぜ、困ったこと時はお互い様がこの街だ。怪我だってまだ治りきってないだろう。ゆっくり静養するのが今は一番だ」
余計なことを言ってしまったと2人が顔を合わせて苦笑する。ライラを追求したかったわけではなく、純粋に思ったことを口にしてしまっただけのようだ。
感謝の気持ちを胸の奥に仕舞って、食事を再開する。
皿が空になって片づけを始めようと立ち上がった2人に、ライラは思い切って口を開いた。
「あの・・・」
「どうした?」
「まだ足りなかったかい?」
「十分お腹はいっぱいです。そうではなくて、お2人に相談があります」
この10日間、食堂の中でずっと過ごしてきた。仕事をしている2人はほとんど1階にいたが、怪我を考慮してライラは2階の部屋にいることが多かった。その間にいろいろなことを考える時間はあったのだ。
「このまま、いつまでもお2人のお世話になるわけにはいかないと思います」
ずっとここにいるわけにもいかない。だからといって、すぐにここを出ていっても行く当てがなくお金もない。これではすぐに行き倒れになってしまうだろう。
「だから、私をここで働かせてくれませんか?」
公爵令嬢として生活してきたライラには仕事の経験はない。それでも働かなくては生きてはいけない。
ここにしばらく置いてもらえるのなら、この食堂で働くことはできないだろうかと思った。
「さすがにお料理を作るのは無理だと思います。その代わり、お掃除や片づけはできると思います」
皿洗いや仕事が終わった後の掃除などは教えてくれれば素人のライラでもなんとかできる気がした。
2人が顔を驚いたように見合わせる。
急な頼みごとに戸惑っているのだろう。働かせるとなれば当然給金が発生する。ライラを雇うだけの余裕がなければ店が潰れてしまう。それよりもライラがどこまで働けるのかわからない状態で雇うのは不安があるのかもしれない。
「やっぱり無理、ですか?」
ここを出て行くとなれば働く場所を探さなくてはいけない。住む場所もないので住み込みで雇ってもらえる条件が必要だ。仕事の経験のないライラに仕事が与えられるのか正直不安しかなかった。
「あたしは構わないよ。娘がいた頃はずっと手伝ってもらっていたんだ。結婚して出て行ってから人手不足はあったからね」
「そうだな。忙しい時は1人くらい雇いたいなと思っていたから、ちょうどいいじゃないか」
不安に思いながら2人の返事を待っていると、あっけらかんとした答えが返ってきた。
2人だけで何とか回していた部分があったらしい。そこに素人でもライラが手伝ってくれることはありがたいと言われた。
「私、本当に仕事をしたことが無くて、失敗が多いかもしれませんが、それでも雇ってくれますか?」
「誰だって、最初はあるんだから気にしないよ。まぁ、皿を割られすぎたら考えるかもしれないけど、まずは挑戦してみればいいよ」
「調理は俺に任せておけばいい。できれば接客もできるようになってほしいな」
あまりにも簡単に受け入れてくれたことで確認するように問いかけると、2人は前向きなことしか言わない。
ライラが怪我をして店に来た時も強引なくらいの勢いで部屋を貸してくれた。
これが2人の性格なのだろう。
そう考えるとあの時声をかけてくれたのがキリで本当に良かったと思う。
「ありがとうございます。一生懸命働きます」
「その意気で頼むよ。でも、まずはしっかり食べて、身体を元気にしないとね」
ここへ来て10日。傷も塞がり少しずつ歩く距離や速度が上がってきていた。完治とまではいっていないが十分動くことは可能だ。それでもキリは納得していないようでもっと元気になることを望んでいる。
「娘が手伝ってくれていた時の服が残っているはずだからそれを用意しようね。エプロンと頭巾は新しい物を用意しようか。ライラちゃんは髪が縛れないから頭巾は必要だろう」
「あっ・・・」
そう言われて自分の髪に触れる。指を通ってさらさらと落ちていく髪は肩に届かないほどの長さまで短くなっていた。
あの日、もうクリスタラーゼに戻ることはないと決意したときに、刺繍を入れていた籠の中にあったはさみで腰よりも長かった髪を斬り落としたのだ。切った髪は墓地に行く途中で捨てたので見つかることはないだろう。
ひとまとめにした髪をうなじのところで切ったため、不揃いになっていたのだが、それをキリに指摘され彼女がきれいに切り揃えてくれた。その時にどうしてこうなったのか彼女は事情を聞こうとしなかった。黙って整えてくれるキリに心の中で感謝しつつ、ライラは今でも倒れていたことや不揃いの髪の理由を話さないでいる。
話してしまうとクリスタラーゼの関係者であることがばれてしまう。ライラ=クリスタラーゼはあの場所に捨ててきた。だから話すつもりはない。
「食べ物を扱う店だからね。衛生面はしっかりしないと」
キリは少し癖のある茶色の髪をいつもまとめたうえで頭巾をしている。それにはちゃんとした理由があったのだ。
レオンは厨房で白い帽子をかぶっていた。
「用意が出来たら手伝ってもらうよ」
「この店も華が増えたら賑やかになりそうだな」
「そうだね。逆に変な虫がつかないように目を光らせないといけなくなるわ」
「変な虫?」
食堂で虫は駄目ではないかと首を傾げるライラは、2人の言っている意味を理解するのにしばらく時間がかかることになった。




