聖獣公爵と公爵令嬢
遠吠えが聞こえた。
その声に我を取り戻したライラは、荒い呼吸をしながら立ち止まると遠吠えが聞こえた方向を振り仰いだ。しかし、目の前に立ち並ぶ木々が邪魔をして、遠くを見通すことができない。
しかも今は夜だ。辺りは暗くてよく見えなかった。
少しずつ呼吸を整えていくと、混乱した頭も落ち着いてくる。そこでやっと自分がどこにいるのかという疑問が浮かんできた。
どこを見ても木々が視界を覆う。おそらく城の近くにある森の中にいるのだろうということだけは理解した。
だが、正確な場所まではわからない。
「・・・戻らなきゃ」
そう呟くもどこへ戻ればいいのだろうと疑問が出る。
自分を見下ろせば、薄い夜着を纏っただけだった。靴も履かずに裸足のまま森の中を走っていた。
そのことにようやく気が付くと、途端に寒さを感じた。それに足に痛みも出始める。裸足で走って来たのだ、暗くてよくわからないがあちこち怪我をしている可能性はあった。夜着も裂けている部分があってボロボロだ。
自分自身に何が起こったのか記憶を遡ろうとした時、もう一度遠吠えが聞こえた。
それがライラを呼んでいるような気がした。
名前を呼ばれたわけではないのだが、なぜかライラを探しているような気がしたのだ。
色々と思い出さなければいけないことがあるはずなのに、それよりも先に足は遠吠えが聞こえてきた方向へと歩き出していた。
歩くたびに足に痛みが奔る。それでも立ち止まることなくゆっくりとでも進んでいった。
やがて木々の隙間から明かりのようなものが見えてきた。それと同時に焦げ臭い匂いも感じ取った。
何かが燃えている。そう理解すると、隙間から見える明かりに炎が時折混ざっていることに気が付いた。
「なにかしら?」
遠くで誰かが叫んでいる声が聞こえてくる。耳を澄ましてみると火事だと叫んでいることがわかった。
「火事・・・」
空を見上げると炎の明かりに照らされて煙が立ち昇っている。
燃えている。そう理解するとライラの口から渇いた笑い声が漏れた。自分がボロボロなのは火事から逃げてきたからだろう。そう思うとなぜか恐怖よりも笑いが込み上げたのだ。頭の隅に冷静な自分がいて、笑うことはおかしいと訴えてきているが、それでもライラは口元を歪めて笑った。それと同時に涙も溢れてくる。
感情が壊れてしまったのだと冷静な部分が評価する。
「お嬢様!」
空を見上げていると突然女性の叫ぶような声が聞こえてきた。視線を空から戻すと、木々を縫うようにして1人の女性がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
見覚えのある姿にほっとする。
「アンナ」
駆け寄ってきた女性はライラの専属侍女をしているアンナ・ビスキットだ。
「お嬢様、探しましたよ。ご無事でなによりです」
こんなにボロボロなのだが無事と言っていいのだろうか。そんな疑問が浮かんだが口にする前にアンナは手に持っていた布をライラの頭に被せてきた。体全体を覆う薄くて軽い布はどうやらシーツのようだ。
「そんな恰好では人前に出られません。とにかく避難しましょう。城はまだ火が収まっていませんから」
服はボロボロ、涙を流しているライラを心配しながら、アンナは木々の隙間から見える火事現場に視線を向けた。
「城が燃えている」
「そうですよ。火元がいくつかあったみたいで、騎士たちや男性の使用人が消火しています。私たちは逃げ遅れた人がいないか確認しながら、とにかく外に逃げてきたんです」
アンナはライラの専属侍女だ。火事に気が付いた時ライラと一緒に逃げるために探してくれたという。だが、ライラは先に外へ飛び出していたため、城の中を探すのを諦めて外に飛び出したのだ。外のどこかにいるのではと探していたところ、木々の隙間にライラらしき人を見つけて駆けてきてくれた。
それを聞いて木々の囲まれていてよくわからなかったが、城まではすぐ近くだったことを知る。思ったよりも遠くに走っていたわけではなかったようだ。
「とにかく今は避難です。当主様も夫人もまだ見つかっていないんです。火事に巻き込まれていなければいいのですが」
「当主・・・夫人」
その言葉を聞いた時、ライラの中にあったあやふやな記憶が一気に頭の中を駆け抜けていった。
木々の隙間から燃えている城を見上げる。赤い炎の中に時々黄金色が見えた気がした。
「全部、燃えてしまう」
「え?」
その呟きはアンナには聞こえなかった。聞き返してきた彼女のことなど視界に入ることなく、ライラはその場で意識を手放した。