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彼女の過去1

心療内科は初めてじゃない。

自分は、小さな頃母親から精神的に虐待されていた。

「生まなきゃよかった」

「お前のせいで人生が台無し」

「死ねばいいのに」

「可愛くない」

他にも溢れるほどの憎悪のなか育った。

父親は、仕事にいってほとんど家にいなかった。

母親は父親の前ではぶりっ子で、私たちの悪口をいって悲劇のヒロインを演じてた。

見た目に外傷はないから、周りから虐待とは気づきにくかったのだろう。

外に夜出されて父親が帰ってくるまで放置されることもあった。

父親は母親を叱ったが、それは逆効果で、父親が仕事にいった後凄くいじめられた。

もちろん、精神的にだ。

そのせいで言語の発達が人より遅くてからかわれたりもした。

オムツがとれるのも小学校に入ってからだった。

睡眠もしっかりとれていなかった。

朝礼はたったまま眠気に襲われることもあった。

もちろんフラフラだ。

近くの子からその度に嫌みをいわれることもあった。

勉強もできなかった。

0点をとることもあったし、居残りをすることも多かった。

でも、正直いうと頭にはいってこなかった。

自分は、運の悪いことに体も弱かった。

病院に週一で通うこともあった。

鼻炎で夜寝れないことも多かった。

母親は私が小3になると自分で行くようにとお金を渡すようになった。

徒歩15分ほど(こどもの足で)の所に病院ができたからだ。

正直母親と行くと二人っきりの時は悪口をいわれていたので、一人でいくことになってほっとしていた。

看護師さんが「お母さんかお父さんはいる?」と毎回聞くので、「お母さんはお家で寝込んでる」と答えると「えらいね、1人で来たんだね」と褒めてくれた。

今おもうと、よく通報されなかったなとおもう。

昔の話だから、今より虐待という認知度は低かったんだとおもう。

あと、刑罰もあの頃はなかったんじゃないかな?

あったとしても、今のようには機能してなかったのかもしれない。

これが自分の幼少期だ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なかなかハードな家庭環境で育ったようですね。 辛かったと思います。
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