58
別れのとき……。
ザプーン、サー、ザプーン、サー
さっき巨大な魔物が現れたとは思えないほど、穏やかな海。
その波の音を背に俺たちは帰路をゆく。
「サム、海へ連れていってくれてありがとう。魔物の存在含めて、見れてよかったと思ってる」
「そうか」
グルルルル、ガゥガゥ
シャー、ニャーオ
この犬たちも、魔物と関係があるのかな。
この区域にしかいなくて、曇天街に入り込んでこないっていうのはやっぱり不自然だし。
あーでも、サムの雷を恐れてるならわざわざ街には来ないのかも。
サムが曇天街にいなかったらと考えるだけで恐ろしい。
だってサムがいなかったら、
俺は赤ん坊の時に死んでいたかもしれない。
ゴミ処理の時に国のやつらを追い出すなんて夢のまた夢だったかもしれない。
この犬たちは殺さなきゃいけなかったし、そもそも魔物が生息する海に来ることが叶わなかったかもしれない。
そして、俺は絶対に曇天街を出ていこうとは思わなかった。
たらればに意味はないというけれど、サムの存在はそれくらい大きいんだ。
サムが曇天街にいること、サムに出会えたこと、そのすべてが俺にとって奇跡みたいなもので、俺は恵まれてるんだってそう思わずにはいられない。
曇天街に捨てられたことをみんなは可哀想だとそう言ったけど、俺は曇天街に捨てられて幸せだった。
ああ、ダメだ。
今日曇天街を出ていくんだと思ったら、どうしても感傷的になってしまう。
「中心部に戻ってきたな」
「うん」
いつもの光景に、無事帰ってこれたのだとほっとする。
「じゃあここでお別れだ」
ほんとはまだ一緒にいたいけど、今切り出さないとずっと動けない気がした。
「ああ」
これまで雷帝とシロサギとして対立していたけれど、小競り合いで顔を合わせる機会は意外とあった。
そう考えると、1年以上にわたってサムと会わないのは初めての経験となる。
サムは俺にとって父親のような存在。
あっさりと淡白に別れないとダメだ。
くるりとサムに背を向けて歩き出す。
「ルイ」
呼び止められた。
振り返ると、サムが昔と同じ優しい笑みを浮かべていた。
思わず唇を噛み締める。
最後の最後にその顔はずるいだろ。
「この街がお前の帰ってくる場所だ。何かあったら、迷わず帰ってこい。俺はルイが元気で生きていてくれればそれだけでいい。なにかに負けて逃げ帰ってこようが構わない。いつでも帰ってこい」
たまらず、踵を返す。
サムの顔をこれ以上見ていられなかった。
どんどん早歩きになる。
サムは追いかけてこなかった。
後ろでキラがサムに礼をした気配がした。
※
「へぇ、海に魔物がいるなんてただの噂だと思ってたけど、本当だったんだね」
「ああ、すごかったよ」
ハヤテと最後のやり取りに来たのだが、その前にと海での話をしていた。
「魔物はまだ解明されていない脅威ではあるけど、この国を守ってくれている存在でもある。おかげで、海から攻められることは全くないからね」
「ああ、そうだろうな」
クラウドの台頭まであまり力を持っていなかったウェザリア王国がこれまで無事にあったのは、もちろんコスモの友好国だからとか、曇天街というスラムを恐れてとか理由は様々あるだろうけど、間違いなくその理由のひとつに海に魔物が存在しているからというのはあるだろう。
海から攻められないなら、陸から攻めるしかない。
結果、三面を海に囲まれているウェザリアは残りの一面だけに守備を固めればよかった。
「西側の海だけに魔物が生息しているってのが実態らしいけど、他国には三面すべてに魔物がいるかのように噂を流してるらしいよ」
「へぇ、やるな」
「それはさておき、外界に出る準備はいいかい?」
外界。
俺は赤子の頃に曇天街に捨てられて以降、一度たりともここを出たことがない。
外界は俺にとって未知の世界で、ワクワクすると同時に、もちろん不安もある。
「外界は曇天街より楽に生きられる環境だと思うから、そう構えなくていいと思うけどな」
そうだろうか。
俺は曇天街の中でずっとサムに守られてきた。
四天王制度だってサムの後ろ楯のおかげでなんとかやってこれただけだ。
庇護なく生きたことがない。
「まあ、僕も曇天街に足を踏み入れたときは吐きそうなくらい怖かったけどね」
「うん、まあスラムだしな」
「殺人とか、強姦とか、犯罪者を収容する目的でも使われてる分、治安は最悪なんだろうと想像してたしさ。でも、想像してたよりずっと快適でビックリしたんだ」
「わりとここ最近の変化だ。九条が水と電気を通してくれたのが大きい」
「いやぁ、ルイ君が頑張ってきた成果なんじゃないの?」
「だと嬉しいけどな」
いや、ほんとに、九条のおかげなんだよ。
水と電気のおかげで致死率は大幅に減った。
「こんな僕でも曇天街デビューできたんだから、ルイ君が外界デビューするのは楽勝だって!」
「うーん」
「大丈夫! コスモでは姫への手紙がルイ君を守ってくれるはずだし、ウェザリアにはルイ君に敵うような猛者はほとんどいないから!」
ああ、そうか。
庇護なく生きるのは初めてと考えていたけど、ハヤテの庇護を受けるようなものなんだな。
「ほとんどってことは多少はいるってことか?」
「僕の数少ない味方の1人に超強いのがいるよ。ジンは王宮最強だと思うな。王宮内で僕のことを殿下じゃなくて様付けで呼ぶのはジンだけなんだ。強いからなのか、誰にでも不遜な態度なんだよ」
ハヤテの目が輝いている。
人を見る目に優れたハヤテが、味方だと言い切るということは、うわべではない味方なんだろう。よっぽど信頼できる人物なんだな。
会ってみたいものだ。
「ねぇ、ルイ君。お願いがあるんだけど……」
「お願い?」
ハヤテが取り出したのは一通の封筒だった。
「この手紙を届けてほしいんだ」
いつもの明るさとは打って変わって、神妙な面持ち。
「誰あて?」
聞けば、気まずそうに逡巡し、軽く息をはいてからまっすぐ目を向ける。
「第一王子、ロクサーン・ウェザリア」
(んっ!)
庇護なく生きる人間なんているのかな。
誰もが誰かに支えられている気がする。




