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世界を変える出会いは、ここ曇天街で……。
ここは曇天街と呼ばれる街。
いわゆるスラムのような所で、そこかしこで恫喝や窃盗、あげく人殺しまで行われる無法地帯。
かつてよりはマシになったと言われるが、いまだに汚い空気が肺をくすぐる。
だが、そんな汚い街でも俺にとっては唯一の居場所。
愛着を持つのは仕方のないことで、高い建物の上から曇天街を見下ろすのが俺の日課となっていた。
今日も、穏やかな春を感じつつ、曇天街を眺めている。
ふと、街がざわめくのを感じ、そちらに目を向けると、長い金髪の美少女が息を切らしながら走って来ていた。背後にはそれを追いかける男たち。騒々しいことだ。
(それにしても、見たことのない少女だな)
歳は14かそこらだろう。誰もが美人だと認めざるをえないほどに整った顔をしていて、スタイルもいい。
着ている桃色のワンピースは、腰の部分にひし形の装備がいくつか付いており、何か入ってそうには見えるがよくわからない。
そもそも曇天街には女性の人口が少ないため、それ自体が珍しい。
逆に言えば、女性には希少価値があるわけで……。
つまり、少女は売り飛ばそうとでも考えているらしいゴロツキどもに追われているのだった。
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ハァハァハァハァ……
ただひたすらに道を走る。
感じるのは恐怖か。
後ろに迫る追手達を振り返る余裕もない。
※
私は、物心ついたときにはすでに曇天街の住人だった。
姉いわく、外界で暮らした時期もあったらしいのだが、そんなことは両親の記憶と共に忘れ去られている。
幸い、姉は人をたらしこむ才覚に溢れた人で、この曇天街でもたくましく生きていた。そして、私はそんな姉から曇天街で生き残るための術、武器を与えてもらい、今に至る。
要するに、今追いかけてきているゴロツキどもなんて容易に対処できるのだ。
振り返り、突き刺せば終わる。
それなのに、、私は何を恐れているのだろうか。
強いて言うなら、振り返るのが怖いのかもしれない。
曇天街に生きていながら、生活には困らない。
端から見れば幸せな現状に、それでも私はどうしようもない不快感を抱き、逃げ出した。
残念なことに曇天街の外に出ようなんて気は微塵も起きず、中心部に向かって逃げている。
私は、外界に逃げ生き延びることの大変さをわからないほど子供ではなく、また、それでも賭けてみようと思えるほどチャレンジングな性格でもなかった。
姉は、、逃げ出した私を追いかけてくるのだろうか。
そもそも私は、、逃げきれるのだろうか。
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曇天街において、外れから中心部に行くほど、猛者が増え、弱者には厳しい環境となる。となると、この中心部までたどり着けているあの少女はただのか弱い少女ではないだろう。
(あの程度のゴロツキなら対処できそうなものだが、、)
対処できないなにか特別な理由でもあるのか。
はたまた、もっと別のものから逃げているのか……。
眺めながら今後の行動を考えていたら、突然、少女が立ち止まりうずくまった。
どうしたのかと、ゴロツキどもの方をうかがえば殺気を放ち始めている。思った以上に足が速くなかなか捕まえられない少女に、もはや売りに出そうなどという目的を忘れ殺意を抱いているようだ。
(……なるほど、面白い)
俺は自分の顔がほころぶのを感じた。あの少女の可能性に心が踊る。
実に楽しい拾い物になりそうだ。
そして、思わず少女とゴロツキどもとの間に降り立ってしまった。
ゴロツキどもを一瞥したのち、少女の方を向けば、しゃがんだまま視線だけをこちらに向けている。その桃色の眼には驚きもあるが、安堵もみてとれるのだからなかなかに興味深い。
(やはり、思った通りか)
俺は自分の予想が恐らく当たっているだろうことを確信し、愉快な気持ちになってくる。
一方で、ゴロツキどもは困惑を隠しきれていない。
ついに1人が口を開いた。
「お前は……白鷺 類か!?」
ふん、知っているなら話は早い。
早々に撤退してもらおう。
「俺の名を知っているのならわかっているな。こいつは俺の獲物だ。失せろ」
殺気を漂わせながら鋭く言い放てば、途端、舌打ちと共にゴロツキどもは道を引き返していった。
無論、俺自身に少女をどうにかするつもりはないが、曇天街において強者の獲物に弱者が手を出すのは相当覚悟がいることなのだ。
まあ早い話、俺は強いわけだ。
……それはさておき、いまだにうずくまったまま動こうとしない少女をどうしたものか。
とりあえず、少女の肩に手を置いて、できる限り穏やかに尋ねてみる。
「大丈夫?」
少女は驚いた表情で顔をそろりと上げた。
首をかしげその先を促すと、
「…うん…ダイジョブ」
ぎこちなくだが、しっかりと答えてくれた。
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不思議な男だと思う。
曇天街らしくない穏やかな空気。
短いボブで艶のあるシルバーの髪はサラサラしていて、瞳は深い青色。
(噂に聞く海というのはこんな色をしているのだろうか…)
着ているのは真っ白な服で、お腹の部分は肌を見せていてなぜか下はミニスカートだ。(別にそんなヒラヒラはしていないスッキリしたデザインの)
曇天街で汚れていない真っ白なんて初めて見た。
ミニスカートで、髪も男にしては長い方なため、見ようによっては女に見えないこともないのだが、男らしさは失わない。
細身の体型から一瞬軟弱そうにも感じられるが、その空気から確かな強さをたたえているのがわかる。
さっき男どもを追い払ったのがその証拠だ。
(なのになんでこんなに落ち着くのかな…)
曇天街で人に気を許すなど死を選ぶようなものだ。
それなのに、どうして私はこの男のそばにいたいと感じているのだろうか……。
「はい、ここが俺の家」
連れてこられたのはこの男の家。
白を基調とした、スッキリした部屋だ。
それも2階。
弱者であれば、すぐに逃げられる1階を選ぶ。
ということはやはり、この男は強いのだろう。
「ここなら安全だからゆっくりくつろいでね」
この台詞も自信がなければ紡げない。
ソファに促され、腰を下ろす。
ふかふかしていて気持ちがいい。
ソファ自体は私の家にもあったが姉が占領していたので、私が座ったのは数えるほどしかない。
「とりあえずお茶どうぞ」
きれいな色の緑茶。
曇天街でお茶というのは珍しく、かなりの嗜好品だ。
それを出会ったばかりの私に差し出してくるのはどういう意味だろうか。なにか毒でもいれている、とか?
だが、私は迷うことなくお茶をすする。
別に警戒しなかったわけじゃないけど、仕方がないじゃないか、ひどく疲れていたんだから。
もう疑うのも面倒だったのだ。
でも、それで正解だったらしい。
鼻に抜ける緑茶の香りと、温かさに心も体も癒されていくのがわかる。
なにより、男は怪しむことなくお茶に口をつけた私を逆に心配そうに眺めているのだから、優しい男と認識してもよさそうだ。
私が落ち着いたのを見計らって男が声をかけてくる。
「えーっと。俺の名前は白鷺 類。歳は16。君は?」
ソファに座った私に目線を合わせるように、膝を折って話をしてくれるその誠意に応えたいと思い、しかし、ふと思う。
私には名前がない。歳だってわからない。
どう答えるべきなのだろうか。
「まあいいや、俺のことは類とでも呼んで。」
それを察したのか、男は穏やかな微笑みでそう告げた。
「…ル、イ」
言われた通り呼んでみると、ルイは一瞬目を見開き、そののち破顔した。
どこまでもこの街の人間には似つかわしくない穏やかさだ。初めて私は心からの安らぎを感じている。
自分のなかにこんな穏やかな感情があったことに驚いているぐらいだ。
その穏やかさは緑茶のパワーと相まって、私に眠気をもたらした。
曇天街で見知らぬ男の前で眠るなど普段ならあり得ないことだが、ルイなら大丈夫だという妙な確信のもと、睡魔には抗わないことにする。
眠りに入る手前、「ふふ」という小さな笑い声が聴こえた気がした。
金髪の美少女と銀髪の美青年の邂逅でした。
どちらもマジの美男美女です。
ちなみに、ルイがスカートをはいているのには、とても大切な理由があります。
女装趣味とかいうことでは決してなく、普通の男なのでよろしくお願いします。