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3話 江南さん

 次の授業は、数学だった。


 昨日、面談をしていた城山先生が教壇に立つ。この授業の後に昼休みとなる。

 授業が開始して5分くらいたったころだろうか。急に教室後方の扉が音を立てて開いた。


 教室中の視線がすべて音のしたほうに向いた。


 先生も授業を止め、黙ってそちらを見ていた。


 そこには、女子生徒が一人立っていた。


 彼女は、学生鞄を肩にかけている。明らかに今登校したとわかる出で立ちだった。


「……」


 そして、彼女は何も言わない。たくさんの視線を浴びながら、微動だにせず、顔も上げず、黙ってそこに立っていた。


 城山先生が声を上げた。


「……江南か。また遅刻か?」

「……」


 しかし、無視する。そのまま歩き、教室後方の窓際の席に座った。普通であれば、これだけの視線を前に平静ではいられないはずだ。


 ……俺は、彼女のことをあまりよく知らない。クラスが一緒になって、何度もこのような場面を見てきた。


 彼女――江南梨沙はそういう生徒だった。


「聞いているのか、江南。いつもいつも遅刻しやがって、何を考えている」


 城山先生が教科書を教卓のうえに置いた。いつもは温厚な先生の眉間にしわが寄っている。目つきは鋭く、声も低くなる。


「……」


 それでも、江南さんは黙り込んだままだ。先生の顔を一瞥したあと、何事もなかったように窓の外を眺めている。


 俺は、先生の血管が切れる音を聞いた気がした。先生は、教壇を下り、大きな足音を立てながら、未だに顔をよそに向けている江南さんのもとまで近づいた。江南さんも、さすがに先生の様子に気が付いているはずだ。だが、意に介さず無視し続けている。


 ついに、先生が江南さんのすぐ横までたどり着いた。


「何度言えば気が済むんだ! 江南!」


 そして、ようやく江南さんの顔が先生のほうを向く。


 一番前の席にいる俺からははっきりと見えないが、江南さんの顔はほとんど無表情なように見えた。怒鳴られているにもかかわらず、蠅がたかってきたときと同じくらいに、ただ、あっちいけと面倒くさそうなまなざしを送っている。


「……何?」


 これだけのことがありながら、最初に出てきた言葉はそれだった。


 先生も驚いたのか、言葉に詰まっていた。しばらく、重苦しい沈黙が教室を覆う。

 すぐに、先生が我を取り戻す。


「……おまえな、これだけの大遅刻をやらかしておいて、『何?』か。他にもっと言うべきことがあるんじゃないのか」


 江南さんは、前髪をくるくるいじりながら言う。


「特にないけど。というか、わたしなんかより、真面目に登校して勉強している生徒のために、もっとやるべきことがあるんじゃないんですか?」


 あ、やばい、と思った。


 握りしめた先生の拳が震えている。


 うなじが徐々に赤く染まっていくのもわかった。


 案の定、先生の堪忍袋の緒が切れた。


「江南!!!」


 先生の大きな怒鳴り声が、教室中に響いている。先生から少し離れたこの場所でも、耳がひりひりするくらいだった。教室の何人かが、その声にびくっと体を揺らしていた。


「さっきから、反省の色もなくわけわからないことばかり言いやがって! 大人をなめるのもいい加減にしろ! おまえのせいで、授業が妨害されているんだよ! 高校生にもなって昼ぐらいに登校なんて許されると思っているのか!」


 やべーよ、という声が俺の後ろから聞こえてきていた。齋藤だ。

 ここまで怒りゲージがたまっているともう止まらないだろう。


「なんだその顔は! 俺の話を聞いているのか! 学校には遅刻する、授業には出ない、出ても寝てるだけ、成績は最悪! おまえはこの学校に何をしに来ている! 退学にしてやってもいいんだぞ!」


 俺は、江南さんがどんな様子か気になって、身を乗り出して表情を確認した。

 

 ……江南さんは、こんな状況でもなお平然としていた。

 目線を先生から離さず、どこか遠いところで行われている出来事であるかのように頬杖をつきながら先生の声を聞いていた。


「ほう、それでいいって言うんだな。俺は本気だぞ! こんな不真面目な生徒は前代未聞だ! いつまでもそんな態度で許されると思うなよ!」


 そのとき、ようやく江南さんに動きがあった。江南さんは大きく息を吸うと、背もたれによりかかって腕を組んだ。とても怒鳴られている人の振る舞いには見えない。


 そして、言った。


「それで?」


 空気がさらに凍りつく。


 齋藤が、俺の肩をポンポンと叩く。そして、小声で言う。


「たぶん、今日の授業つぶれたぜ。ラッキーだな」


「あのなぁ……」


 しかし、授業どころではなくなったのは事実だろう。これだけ怒っているところに油をどぼどぼ注いだわけだ。もう俺たちにはどうすることもできない。


 気のせいか、先生の荒い鼻息がこちらまで聞こえてくるようだった。おそらく、俺が先生の立場だったら怒りのあまり失神しているかもしれない。これだけ文句を言っても、返ってくる言葉は、「何?」と「それで?」なのだ。しかも、江南さんはまったく動揺しておらず、自分の言葉を聞き流しているのだ。


 そして、先生はさらにボリュームを上げて叫んだ。


「江南!!!! ちょっと来い!!!!!」


 このあと、齋藤の言う通りになったのは言うまでもない。

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