03『機械油とタバコの煙、旅の脚』
古天駅地下鉄構内。
地下奥深くへと続く階段を降りた私とイルはホームへ降り立った。
曜日と時間帯のせいもあってか周囲に人影はあまり見られず、トンネルの奥深くから吹き抜けるかび臭い匂いと、湿った冷たい空気が肌に感じられる。
時刻表を見てもこの時間に列車は滅多に来ないようで、前に立つイルがどういった目的でここに訪れたのかが読めない。
「電車に乗るんですか?でもこの時間帯は……」
「いや、乗らない。でもここに来たのはちゃんと意味がある」
「……?」
トンネルの奥の方へ眼を向け、辺りをきょろきょろするイル。
しかし何を確認したのか「よし」と一声呟いた彼女は私にちょいちょいと手をひねらせて近付くように促す。
相変わらず意図が読めない異世界人の行動に首を傾げながら私が近寄ると藪から棒に私の体を意とも簡単に持ち上げ、お姫様のように抱き上げた。
「えっ、ちょ……」
「線路の上に飛び降りた事は無いだろう?足をくじかないように今日だけは補助してあげよう」
「何して……うわ!?」
私の頭の理解が追い付かないうちにあろう事かイルはひょいと地面を蹴り、私を抱えたままホームから線路へ向けて飛び降りてしまった!
心地よい着地の衝撃を受けた後、ゆっくりと降ろされ再び地面に足を付けると、初めて踏みしめる線路が敷かれた地面の感触を覚える。
僅かに湿った地面と線路を見つめた後、辺りを見回す。時間帯からして列車が来る事は無いだろうが、にしても不思議な感覚だ。
「さてと、次の列車がやってくるまで暫く時間はあるだろうが、轢き殺されてしまってはたまったモノではないから目的地へ急ぐとしようか」
「あの、どこに向かうんですか?」
「ま、ついてくれば分かるさ」
そう言ってあまり灯りの無いトンネルの奥へと歩みを進めていくイルに続く。
先ほど以上に肌を舐める空気は冷たさを増し、それに伴い空気の湿っぽさとかび臭さも強くなる。
初めて歩く地下鉄の奥は暗く、冷たく、不安な気持ちを引き立てられるが、同時にすこしばかりの好奇心も擽られた。
暫く歩き続けていると、前方にほのかに明るい場所があるのが見える。
隣の駅にもう着いたのかとも考えたが、どうにも違うようだ。
「あそこはなんでしょう?」
「あぁ、あそこが目的の場所。おーい、来たぞ!」
「おーう!やっと来たか~!」
トンネル内に木霊するハスキーな女の声、そして漂う嗅いだことの無いタバコのような匂い。
線路から外れた場所に存在する開けた空間に、それは勝手に店を構えていた。
乱雑に置かれたガラクタが散乱し、適当に張り巡らせたような黄色いテープとブルーシート、物干し竿に吊るされた照明替わりの小さなカンテラが幾許か。
無造作なガラクタの山に座す廃品の主は、いぶし銀のような髪を一つにまとめ、薄汚れた作業着を身に着けたまま傷のある顔を煙で揺らめかせるかのように怪しいタバコのような機械をくゆらせた。
「ここって……」
「おや?見ない顔だね。人さらいとは感心しないなぁイル」
「まさか、そんなことわざわざしなくても間に合ってるよ」
「あの、この人って……」
「コイツは僕のお付きのメカニック、メタリカだ。メタリカ、こちらは僕と一緒にユグドへ初めて向かう予定のリコ」
「ほほ~う、そういう事か。なるほどなるほどぉ~?ほほぉ~……」
「よ、よろしくお願いします」
私と鼻先がくっつかんばかりに顔を急接近させた機械油とタバコ臭い女、メタリカはニタニタと笑いながら勢いよくボロボロな椅子に腰かけ、ぐるりと一周座席を回した。
衣類や装備のせいでよく見えなかったが、よくよく見てみるとメタリカの半身は正常な肉体では無く、暗く光を反射する鋼鉄の機械で構成されており、左目もカメラのレンズのように無機質な機械と置き換わっているようだ。
「ユグドにねぇ。イルが第三者を連れ込もうなんて何百年ぶりだ?」
「もしかしたら千年以上ぶりかもな。ま、無駄話はいいんだ。頼んどいた『相棒』はどんな感じに仕上がった?」
「おっ!見て驚くなよ~いや大いに驚きたまえ!イルが事前に支払ってくれた予算のおかげでかなーりの掘り出しモノが手に入ってさ!もうそんなの積めるってなったらあっちもこっちも立てたくなっちゃってよぉ!もう元のクソボロ旧世代車の面影も無い、いや、むしろフェニックスの如く息を吹き返し進化したと言えよう!」
「おぉそれは良いな、クソボロ呼ばわりされるのは心外だけど……」
「さっきから二人はなんの話を……」
「これを見れば分かるさ!」
そう言って椅子を蹴散らして立ち上がったメタリカが奥に置かれていた物体の上に被せられていたボロ臭い布を勢いよく引っ張った。
その下から現れたのは……
「「おぉ!!」」
「どうよ、もう元の『REX』とは比べ物にならないだろぉ?」
布の下から現れたのは漆黒の車体に血のように紅いワンポイントが目立つ小型の車のような、大型のバイクのような不思議な乗り物。
各所には露出した複雑な機構が垣間見え、座席は二つ、鋭さと曲線的なフォルムを併せ持ち、私達現代人の想像する近未来的な乗り物に独特な古臭さ、クラシカルでアナログ的なイメージを併せた外観をしている。
極めつけは前方二輪、後方一輪の三輪であるということ。始めて見るタイプのこの車両には言ってしまえばカッコイイ三輪車なのだが今まで見て来たどの乗り物とも似ても似つかない魅力がある。
「これは?」
「『トライド』だ。ユグドでもマイナーな三輪のバイクにも車にも属さない奴さ。地上だけで無く空も飛行可能になっている。元々もっと古い『REX』ってのを使ってたんだけどメタリカに大規模な改修を頼んでてね」
「空も飛べるんですか!?」
「ユグドではそれが割と普通だよ、リコくん。それよりもこれ見てくれよ!動力炉を鈩良重工製のV15型に変えてみたんだぜ、これで元とは比べ物にもならないほどのパワフルさを実現して地上空中でも変わらず五臓六腑に響く加速感を味わえる。それに操舵系統をより繊細なモノに替えてある。明細はそこの紙にまとめてあるけど極限まで加速した状態だろうと細かな方向転換と位置調整、反応速度を持たせている。電子系はアストラ機関の――」
まだまだ話を続けるメタリカを尻目に、窓から車内を覗き込む。ハンドルの形状から細かな機器類まで私の知っている車とは似ているようでかけ離れている。
もっと近未来的な内装なのかと思いきや、想像以上にレトロ的というか、メタリカのこだわりなのか不思議と一時代前のような装飾や機器系統の外観を残しているようだ。
「――飛行系統の魔導回路をライズユニオン社のマギアフェザーM54/bを搭載してる。より違和感の無い浮遊感を楽しめるはずだ。そしてなによりこの車体後方に設置された物々しい装置こそが今回極秘裏にノルン機関のアクロユグドで製造発注してもらった、界境航行システム『オブザーバースΔ』!これ手に入れるの大変だったんだぞ~?そうだな……コイツはREX改め、『V-REX』と名付けるべきだろう!」
「さすがメタリカだな!相変わらずお前さんは信用できる!」
「幸栄ですぜ!……っと、リコちゃん?その右ポケットになんか入れてんのかい?」
「え?これですか?」
トライドを眺めていた私に、メタリカが目線を向ける。右ポケットに入れていたのは、先ほどストレンジから受け取った魔術で編み込まれたと思われる薔薇の華だ。
それをメタリカに渡すと、彼女はまじまじとそれを左目に埋め込まれたレンズを唸らせながら眺めた。
「ほほぉ、これはストレンジの魔導造華か……なぁイル、この子の護身用の装備は何か用意してやってんのか?」
「あぁ、それもアンタに頼もうと思ってたんだメタリカ。何か良いモンないかね?言い値で買い取るよ」
「ふむ……ここまで純度が高い造華なら……ちょっと待っててくれ」
すると私の渡した薔薇を持ったままメタリカが奥の作業台に向かっていってしまった。
「彼女、僕の武装類も提供してくれてるんだ。どれもピーキーなモンばっかだけど、面白いモノを金と一緒に頼めば何でも作ってくれる」
「凄いんですね、メタリカさん」
「な~に、報酬さえあればアタシぁ何でもするさ。よっと!」
バリバリと鼓膜に響く音を上げながら紅色の光が明滅している。
待ち時間の間、イルと私は近くにあったボロボロな椅子に腰かけ、辺りに散乱したガラクタ達をいじって暇を潰す事にした。
「あっちの世界にはこんなモノばかりなんでしょうか?」
「こんなモノ?これどころじゃないさ。ここに置いてあるのはあくまで科学寄りの魔導装置類だし、彼女は技術者だ。錬金術師やネクロマンサーの作業場なんか行ったら脳がオーバーフロー起こしてもおかしくないよ」
「そんな何ですか……やっぱり居るんですかね?その、ドラゴンとか、恐竜とか」
「なんだ?好きなのか?」
「あ、いやその……なんていうか……」
「まーいるよそこらへんは。恐竜みたいなのは場所によってはゴロゴロ居る。ドラゴンもワイバーンもね。ま、そこは実際に行ってからのお楽しみだな」
「よしっと……。リコちゃん、これどうかな」
椅子から立ち上がりこちらにやってきたメタリカは、手に何やら細長い装置のようなモノを握っていた。
それはペンのようにも見えるが、少々頑丈そうでゴツい見た目をしている。
落ち着いた黒色をしているそのペンを受け取ると、見た目以上に重量感を感じた。
「さすがはストレンジの純粋な魔力が込められていただけはある。あの魔導造華の薔薇を物理圧縮して凝縮したら元は真っ赤な華だったのにどこまでも澄んでいる純度の高い透明な凝縮マナ結晶になったんだ。それをライターのような機構に当てはめて、外見はボールペンに偽装……というかボールペンとしても使えるようにしてある」
「これボールペンなんですか?」
「一方の姿はね。しかしもう一方は……ちょっと離れて、誰にも反対側の先端が向かないようにしてダイアルを回してセーフティーを外したら、スイッチを押してみて」
「こうですか?」
言われたようにペンの後方先端に組み込まれているダイヤルを回し、ボタンを押し込んでみる……とその瞬間!
「うぉわっ!?」
「おぉ、初めてにしては上出来じゃないか」
「ふむ、澄んだ蒼か……」
突然ペンの後方先端から吹き出したのは、青白い電撃のような輝き。
その光は束となり収束し、一本の細くしなやかで鋭い蒼光の刃を形成した。
刀よりもその刃は細く、むしろ針という方が等しいのか、SF映画やアニメで見たかのような光の剣がそこにはあった。
「『セルリアンレイピア』、とでも名付けようか。どうだい?リコちゃん。初めて扱う魔術の感覚は」
「えっ、こ、これが魔術――うわ!」
振り向こうとして手を動かしたその瞬間、光の刃が接触したガラクタが意とも容易く、焼き切れるかのように両断され火花を上げた。
その光景にゾッとする。
「おっと気を付けてくれよぉ。ソイツはさっきの薔薇を純粋な魔力の結晶の状態に戻して、機械制御する事で操者の僅かな魔力でも極大まで共振増幅させる事で高エネルギーの熱量を再現した護身用の武器だ。もう一回そのボタンを押せば消えるよ」
「ご、護身用でこれって……」
「リコ、君は初めてそれを扱うから過剰に感じるかも知れないけどさっきの僕みたいに実弾や実体剣で相手に傷を与えるどころか撃退に値するほどのダメージを出すのはユグドにおいてかなり難しい。それにこれは護身用、つまり襲われた時にも十分対処しうる性能じゃなきゃいけない。確かにロマン屋なメタリカがいじったから過剰には見えるかも知れないが、十分な出力を持つに越した事はないよ」
「それは使う人間の魔力にあまり左右されないのが魅力だ。機械制御だからね。それに今リコが使ったことで使用者の登録もされた。これでリコ以外が起動しようとしても使う事は出来ないから安心してボールペン代わりに使うといい」
「あ、ありがとうございます」
電源を切ってセーフティーを作動させればもはやただのゴツいボールペンにしか見えないセルリアンレイピアを私は見つめ、そしてポケットにしまった。
そうこうしているうちにイルがトライドに乗り込みエンジンを始動させている。
「あ、お代はいくらぐらい……」
「そうだな……リコちゃんの持ってるそのボールペンと交換でいいよ」
「い、いいんですか?どうぞ……」
「ありがとう。いやぁ~アタシ、お客さんと交流したという証拠が残る思い出の品を集めるのが好きでねぇ。ここに転がってるガラクタも――」
「おーいメタリカ!ちょっとこれどういう事だ!?」
メタリカが受け取った私のボールペンをポケットに仕舞おうとしたその時、イルが彼女を大声で呼ぶ。
急いで駆け付けると、イルが車内に搭載されたナビゲーション用のモニターを指差していた。
その画面には――。
「なっ、これは……!?」
「人、ですか?」
『……』
ナビゲーション用の画面に表示された、機械的な恰好をした、端的に言ってしまえばアンドロイドのような少女の姿。
黒い髪を二つ結びにしたその少女は、ゆっくりと目を開くと、画面の向こうから私達の顔を眺めた。
『初めまして、マスターイル。メタリカ。そして……リコさん』
「な、ナビゲーションAIなんて乗っけた覚えないぞ?」
「だよなメタリカ……僕余計に発注したのかと思ったぞ……?」
『ご心配なく、マスター。ワタシはヴイ。この車両、V-REXのナビゲーションシステムを担当するためにここにインストールされました』
「インストールされましたって……指定外の電子生命体が潜り込んだのか?でもいつどこでだ……」
画面の向こうでヴイと名乗った電子の少女は姿勢を正し、まるでメイドさんでもあるかのように慎ましくお辞儀をした。
無感情のように表情を固め、光の無い紅い瞳がイルの眼と見つめ合う。
「悪いな、イル。あれだったら電子系統を洗い直してアンインストールすれば……」
「……いや、このままで良い。ナビゲーションシステムが付属するならそれに越した事は無いしね。それに、面白そうな奴は多い方が楽しい」
『ありがとうございます、マスター。お役に立てるように精一杯頑張らせて頂きますのでよろしくお願い致します』
「んーまぁ……イルがそう言うならいいか」
「さてと!リコ、そっち側に乗ってくれ」
「あっ、はい!」
イルにそう言われ、左側の座席のドアを上に向けて開き、トライドに乗り込んだ。
思った以上に目線が低いが、この少し狭い感じが逆に落ち着く。
実際に乗ってみると、やはり車内には様々な機器が張り巡らせておりごちゃごちゃした印象を受けるが、逆にそれをカッコイイと捉える人もいるのが分かる。
「んじゃ、せっかくの旅なんだし楽しんでね、リコちゃん。アタシもここの店仕舞いしたら追って向こうに戻るから。あっちのラボでよろしくね」
「はい、その時は宜しくお願いします」
「うんうん!いい子だ。イル、あんまりこの子のこといじめるんじゃないよ」
「分かってるよ。よし!早速出発としましょうか!」
『目的地座標を検索。ナビゲーションを開始します』
機械的なヴイの声と、エンジンの重低音。
独特な振動が胸を刺激し、心地いい。
「それじゃ、出発進行!」
「おう!いってらっしゃーい!またのご利用お待ちしてまーす!」
イルがアクセルをゆっくりと踏み込むことにより、V-REXは走り出した。
乗り心地は決して良いとは言い難いが、何だか愛着のあるこの旅のお供を、私も好きになりそうだった。
油臭さとタバコ臭さが混ざり合う始発点を抜け、トライドは走る。
界境を超え、未知の世界を目指して。