9
「労働力って、なんだそりゃ」
「人間は不必要にものを欲しがるからね」
「グウェンが聞いたら、皆殺しにしそう」
「前科があるからね、あの子にも」
その話を二人は同時に脳裏に浮かべた。
東の大陸を治める、藍狼の魔王グウェン。彼が過去になにをしたのか、マロウはその目で見、キッカは伝聞で聞いた。
人間を激しく憎み嫌う理由。それを知っているから、セランとやり取りしていたのを知って驚いたのだが。
少しの沈黙の後、キッカが口を開く。
「そんな状況なのに、呑気に西まで来ていいのかよ」
「よくないだろうね。だけど人間がいる限り、なくならない」
「滅ぼすってわけにもいかねぇしなー」
「そうだよ。彼らは文化を発展させるのが上手だ」
「お前んとこ、飯美味いもんな」
「潮風に負けない建築物を考案したのも人間だ。他にも数えればキリがない」
キッカは窓の方を見る。
ここから遠い南の地など、見えるはずもない。
当然、危険が身近に迫っているかもしれないセランを目にすることもできなかった。
あの笑い声を聞かなくなってからそれほど時間は経っていない。
なのに、キッカの胸は少しだけ疼いた。
「……人間狩りか」
「心配かい?」
「なんでにやけてるんだよ」
「私がこういう顔なのはいつものことだろう」
そわ、とキッカは落ち着かずに立ち上がった。
もしも今、鳥の姿をしていたら、羽根という羽根が逆立っている。
今すぐ空に飛び立ちたかった。
向かう先が決まっているわけではない。が、一度舞えばキッカはまっすぐ南へ向かってしまうだろう。
「あいつ、不幸体質なんだよなー……」
「だから放っておけないわけだね」
「……かもな」
キッカの胸がちりちり痛む。
セランはカフといるはずで、心配などする必要はない。
そして、キッカが心配してやる必要もない。
あれは人間でキッカは獣で、恋をし合うような仲ではないのだから。
「お前ならこういうときどうするんだ?」
「つがいにしたい相手が、危険かもしれない場所にいるとき?」
「……もういいよ、それで」
「ふふ。そうだね、私なら……仕方がないと思うかな」
「…………」
「そこで死ぬなら、生きて血を残すだけの力がなかったということだろう。そんな弱い生き物に私の子は任せられないよ」
「ふーん」
キッカは考える。
今までならその通りだと頷いていた。
弱い母に自分の卵は預けられない。
――だが。
「……キッカ?」
マロウの訝しげな声がキッカの背中に投げかけられる。
キッカは窓の外を見つめたまま、鳴いていた。
ただしその音はマロウに聞こえていない。
そのまましばらく、キッカはセランのことを考えていた。
自分の喉から漏れる歌声が、どんな意味を持っているのか――知りながら。




