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先ほどここを見張っていた男だ――と気付いたときにはもう、キッカがセランの手を引いていた。
「走れ!」
「っ、う、うん!」
岩陰を勢いよく飛び出す。
キッカが近付いていた男を突き飛ばした。
「キッカ! もし、飛ぶなら――」
「まだ飛べねぇ!」
(え――)
「トルク族の奴じゃねぇ! どこのガキだ!?」
「どっちにしろ、ここを探ってたんだ。殺した方が早い!」
遅れて、男たちの怒声が追いかけてくる。
しかし、逃亡者の方が足が速かった。
「ねえ、どこに行くの!?」
「この辺、岩場が多いだろ! どっか隠れる!」
「飛んだ方が早いんじゃない!?」
「そう簡単に鳥になれねぇんだよ、俺は!」
(どういうこと――)
残念だが聞いている余裕はない。
ここが見渡す限りの砂場でないことにほっとしながら、セランはがむしゃらに走り続けた。
追手はしつこい。息が切れ始めてもなかなか諦めてくれなかった。
足場が悪いこともあって体力の消耗も大きい。
しかも――。
(キッカ、足が遅い……)
キッカはセランよりも足が遅かった。
疲れのせいというよりは、純粋に遅い。
追手の男たちよりは速いといっても、これではいずれ限界が来る。
(どこか、隠れられそうな場所――)
「キッカ、あそこ!」
セランが遠くを指さす。
ここよりも更に複雑に入り組んだ岩場地帯。赤茶けた地面が隆起し、草木はもちろん、砂でさえその表面に留まらない。吹き抜ける風が砂を巻き、足を踏み入れる生き物の目を傷付けようとする。
「目、塞いでろよ!」
「うん……!」
セランはキッカと繋がっていない方の手で顔を覆った。
直接、砂埃を浴びないよう目を細め、必死の思いで走り抜ける。
――はぁ、と二人の荒い吐息だけがこだました。
逃げ込んだのは、洞窟のように奥まった陰。少なくとも表から二人の姿は見えないだろう。
ただ、ひどく狭い。セランが小柄でなければ、二人一緒に入ることはできなかった。
小さな空洞の中で今、セランはキッカの腕の中にいた。
「動くなよ。それから喋んな」
キッカの声が恐ろしく近い場所で聞こえる。
頷いたセランの頭を大きな手が掴んでいた。
離れないよう、離さないよう、キッカがセランを抱き締めている。
どくどく、という激しい鼓動が果たしてどちらのものなのか。それさえわからなくなるほどの距離だった。
「あの人たち……来てる?」
「だから喋んなって」
「……ごめん」
うっかりしていた。セランは慌てて口をつぐむ。
キッカの手が、そんなセランを落ち着かせるように撫でてくる。
「……足音は聞こえねぇな。巻いたのかも」
「だったらいいんだけど」
「もう少しだけ、じっとしてられるか?」
「うん」
狭いのはお互いわかっている。
しばらくしっかりと抱き合って、外の様子を窺っていた。
やがて呼吸が落ち着き始めた頃、ようやく考える余裕が生まれた。
そのせいでセランは、こんなときだというのに余計なことを頭に浮かべてしまう。
(私、今キッカに抱き締められてる? よね?)
改めてそれを認識してしまった瞬間、ただでさえ熱かった顔が更に熱くなった。
(なんで!)
照れているらしい自分を叱咤する。
意外に胸が広いだとか、まだ背中を撫でてくれているだとか、独特な男の人の匂いがするだとか、次々に気付いてしまうことを頭から振り払おうとした。
(どうしよう、こんなに近付いたことってあったっけ)
考えれば考えるほど意識してしまう。
もう少し。あともう少し顔を上げれば、仮面の内側が見える――。




