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 その後、セランはキッカによって部屋に運ばれた。

 怪我の有無を確かめられたが、擦り傷が少しある以外はどこにも怪我がなかった。


「怖かったろ、もう大丈夫だからな」

「うん……」

「目ぇ離して悪かった。俺のせいだ」

「……ううん。覚悟が足りてなかったの。人間なのに亜人の城で生活する覚悟が」

「そんなもん、持たせたくねぇ。……人間だとか獣人だとか、空の下ではみんな一緒じゃねぇか」

「でも……」


 言いかけたセランの頭に、再びキッカが手を乗せる。


「今度からは誰かと一緒に行動するか、もしくは部屋を出ないようにしろ。いいな?」

「……キッカは?」

「んあ?」

「一緒にいてくれないの?」

「なんだよ、親にくっつく雛みたいなこと言って。俺がいなきゃだめなのか?」

「え、あ、う、ううん、違うの。……違うの」


 砂漠を散々歩き回ったときよりも顔が熱い。

 どうしてそうなっているのかセラン自身にもわからなかったが、少なくとも見られたい状態ではなかった。


(私にもキッカみたいな仮面があったらよかったのに……!)


 なぜ、キッカはいてくれないのかと尋ねてしまったのか、やはり理由ははっきりしない。

 ただ、そうしてくれれば安心するだろうと思う。

 二度も助けてもらった。そんな相手の側を安全だと感じるのはごくごく普通のことだろう。

 それにしてもどうしてこんなに熱いのか。心臓だって先ほどからやかましい――。

 そう思っていたセランは、キッカの次の行動にぎょっとする羽目になった。


「な……なにしてるの……?」


 手に感じる、冷たい金属。

 キッカはセランの手を取って、仮面のくちばしに当たる部分を擦り付けていた。


「……ん?」

「冷たいんだけど……」

「……あ、うん、そうだよな。悪い」


 すぐにキッカが離れていく。

 セランの手には冷たい感触だけが残った。


「今の、なに?」

「いや、俺にもわかんねぇ」

「どういうこと?」

「説明できねぇもんはできねぇんだって」

「なにそれ、変だよ」

「うっせ」


 先ほどは見られなくてよかったという仮面の裏側を、今はとても見たいと思ってしまう。

 どうやらキッカは焦っているように見えるが――。


「もうお前、一人でも平気だろ。俺、ゼダと――さっきの奴と話してくるから」

「あ……うん」

「代わりに謝っとくよ。ごめんな」

「……あの人にも、気に入らないことをしていたならごめんなさいって言っておいて。私……気にしてないよって」

「わかった」


 短く言うと、キッカは部屋を出て行った。

 廊下から聞こえる足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなる。

 セランはしばらく動かなかった。

 まだ、襲われた衝撃は胸の内から消えていない。


(……私、魔王と戦うことになってもなにもできない)


 突きつけられたのはその事実だった。

 ティアリーゼにも近いうちに相談する必要があるだろう。


(やっぱりどうにかして平和に乗っ取らなきゃ……)


 そこだけは諦めきれず、むむむと頭をひねる。


(話し合い……。……いっそ不在の間、留守を守りますって言ってみるとか……。……でもそれって、家を守る妻みたいじゃない?)


 連鎖的に思い浮かんだのは、慣れ親しんだ集落の天幕。

 砂の上に絨毯を敷いた簡素な中で、帰りを待つセランと――「ただいま」を言うキッカ。


(――なんで!)


 ぼふ、とセランは咄嗟にベッドに飛び込んでいた。

 顔を枕に押し付け、突然熱くなった頬を冷やそうとする。


(なんでキッカの顔が思い浮かんだの!)


 まったく意味がわからなくて、その混乱をどこかへ逃がそうとじたばた暴れてみる。

 やがて疲れ果てたセランはちょっとだけ顔を上げた。

 ぺしゃんこにしてしまった枕を抱き締め、軽く唇を噛む。


(……無理するなって言ってくれた。女の子なんだからって)


 あの優しい囁きと、頭を撫でてくれた手の大きさを思い出すだけで、ひどく胸がざわつく。


(……ラシードでさえそんなこと言わなかったのに)


 婚約者だった男のことを思い出そうとして失敗する。

 顔が見えていたはずの男より、顔が見えない男のことしか考えられない。

 自分の心がどうにかなってしまったようで、今日一日の記憶すらごちゃごちゃになっていく。

 恐ろしい事件があったはずだった。

 セランは死にかけて、もう二度と剣など持たないと思ってもいいはずだった。

 しかし、あまりそのときのことを考えられない。

 怖かったから記憶を締め出しているのではなく、それ以上の記憶が頭を占めすぎている。

 ぎゅう、とセランは枕を抱き締めた。


(もやもやして気持ち悪い……)


 得体の知れないものがセランを惑わせている。

 キッカがくちばしを擦り付けていった手は、あの時の冷たさを忘れて、甘い熱をはらんでいた――。

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