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 ぱっと飛び退った男が、距離を取って再び短剣を構える。


(ティアリーゼが言ってたのと同じだ)


 男にやや遅れてセランも同じようにする。

 もし相手の得物が長剣なら、セランは押し切られていた。両手持ちに加えて男の力が組み合わされば、とても勝てるはずがない。


(どうする? どうすればいい?)


 ティアリーゼを前にしているときとは空気が違う。

 呼吸するだけで喉が痛い。胸が苦しい。足が重い。眩暈がする。

 セランはすっかり混乱していた。いきなり実戦とは聞いていない。

 そうしている間にも男は冷静に動いていた。

 セランの熟練度がどの程度のものか知らないのか、なかなか次の攻撃に入らない。

 とはいえ、これこそが作戦の可能性もあった。

 事実、セランは体力より先に精神の方を削られている。


(怖い……)


 肌で感じる死の恐怖。

 ぽたり、と冷たい汗が滴る。

 目がかすんできたのは、一点に集中しすぎているためだろう。

 なにを見ているのかセラン自身わからなくなってくる。

 ――ふ、と風が動いた。

 そのたった一瞬に気を削がれたセランは、直後、全身の毛が逆立った。


「あっ――」


 ――殺される。

 これ以上ないほど単純な事実が、頭の中に浮かんだ。

 いつの間にか縮められた距離。振り下ろされる鋭利な刃。

 男の表情は当然仮面のせいで見えない。セランという人間を殺す喜びを浮かべているのか、人間に対しての激しい怒りを浮かべているのか、それとも別のなにかなのかさえわからない。

 やけに動きがゆっくりに見えていた。

 どくん、どくん、とセランの鼓動が時を刻んでいく。


(死にたくない――)


 そう強く思った瞬間、金色の影がセランと男の間に割って入った。


「やめろ、なに考えてる」


 セランを守ったのはキッカだった。

 その背中がこんなにも広いことを初めて知る。


「ですが、こいつは……!」

「人間だろうとなんだろうと、俺の翼の下にいる奴は傷付けさせねぇ」


(キッカ……)


 そこにお喋りな亜人の姿はなかった。

 キッカらしくない静かな、不思議なほど威厳のある声が響く。


「話なら後で聞いてやる。だから今は引け」

「……っ」

「頼むよ。お前も俺の仲間の一人なんだ。……殺したくない」


 男がはっとしたように引く。

 その手がためらいがちに下ろされたのを見た。


「俺、は……」

「わかってるよ。……でも今は先にこいつを優先させていいか?」

「キッカ、私は大丈夫――」

「いいから」


 ぴしゃりと言われ、口をつぐむ。

 普段饒舌な分、言葉の少なさが与える印象は大きい。


「また後でな」

「……はい」


 キッカが男に向けて言うと、男はおとなしく引き下がった。

 セランの方を一瞬見たようだが、それに応えられる余裕がない。

 その姿が見えなくなって、再び風が吹き抜ける。


「ったく、なにしてんだか――って、おい」


 ようやく振り返ったキッカが目の前に――膝をつく。

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