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――熱風が舞う。
思わずむせると口の中でじゃり、と音が鳴った。
顔を上げると、灼熱の太陽が目を焼こうとしてくる。
砂漠の真ん中にいるのだからそれも当然のことだ。
日よけもなにもなく、よりによって婚礼衣装でこんな場所にいる方が間違っている。
「なんで……こんなことに……っ」
あえて口にしたのは、これ以上砂を踏む自分の足音を聞いていたくないから。そして、意識が朦朧としていることをごまかしたかったから。
「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの……!」
叫んだつもりが、かすれた音しか出てこなかった。
既に喉の水分は枯れ果てている。今は唾液一滴すらこぼせない。
ほんのつい数時間前、彼女は婚礼の準備をしていた。
それがどうしてこんなことになってしまったのか。
――砂漠に飛び出す原因となったのは婚約者。
そして、幼い頃から仲良くやってきた親友。
その二人の裏切りによる――婚約破棄。
「私がなにをしたって言うのよー!」
わざと口調を荒く言って、嘲笑うように照り付ける太陽を呪う。
その周囲には人の影はおろか、どこぞの部族の天幕もオアシスも、石ひとつすら見当たらない。
ここは、五つの大陸で最も広大な地とされるナ・ズ。
そして彼女がいるのはその特に厳しい砂漠のほぼど真ん中だった。
***
ナ・ズという一風変わった地は、五つの大陸の西に位置している。
面積のほとんどを砂が埋め尽くし、人間も亜人も独自の生態系を築き上げている。
日中は熱く、日が沈むと極寒の地と化す砂漠には、数十からなる部族が住んでいた。
セランはその中のひとつであるアズィム族に属しており、族長の娘として数日後に婚礼を控えている。
(あーあ、困ったなぁ)
アズィム族が拠点とする天幕からほど遠くない地にあるオアシスで、セラン・アズィムは溜息を吐いていた。
もちろんその理由は数日後の婚礼である。
(別に嫌いってわけじゃないんだよね。好きってわけでもないけど。……うーん、婚礼の日までにはなんとなく好きになるかなーと思ってたんだけど……)
齢十七になるセランは、アズィム族と拠点を近くするタタン族の青年を婚約者としていた。
夜を溶かしたように艶めく黒髪に、極上の緑柱石を嵌め込んだ瞳。そして砂漠に生きる人間特有の薄い褐色が彼女の魅力を引き立てている。くっきりと丸い目は猫のようで、同時に女性らしくない鋭さも持っていた。しかし、その強気な顔立ちがまた彼女の心のありようを表しており、婚約者の存在さえなければ多くの男たちが詰め寄っていただろうと容易に想像できる。
ただ、男たちが詰め寄ったところでセランは歯牙にもかけなかっただろう。
同年代の少女たちのように異性の一挙一動で騒げるほど、かわいらしい性格をしていないからだ。
(まあ、でもしょうがないよね。私だって長の娘として一族のために力を貸さなきゃいけないわけだし)
人はこの結婚を政略結婚だという。
セランが婚約者であるラシードと結ばれれば、アズィム族とタタン族は正式に友となる。そうなれば互いの持つ水源の権利を共有することができるのだ。
砂漠において水は金よりも尊い。
ゆえに、亜人も人間も関係なく奪い合うのが常だった。
しかし、そうして争っていてはあっという間にすべての生き物が死に絶えてしまう。そのため、今回の婚礼のように互いを友としながら、うまく生き延び合っているのだが。
(……優しそうな人ではあったし、好きになれなくても大丈夫。うん、もしかしたら自覚がないだけでとっくに好きになってるかもしれないし。だって恋愛なんてよくわからないもの)
ぱっとセランは立ち上がった。
その勢いで足元の小石が転がり、年々水位を下げていく泉に落ちていく。
同時に、はらりとセランの懐から金色に光るものがこぼれ出た。
「あっ!」
それが地面を撫でる前に慌てて掴む。
「危なかったー……。汚しちゃったら大変」
太陽に透かしたそれは、金色の羽根だった。
セランが幼い頃から大切にしているお守りである。
落とさずに済んだことをほっとしていると、不意に聞き慣れた声が響いた。
「セラーン、どこー?」
「ここー!」
幼い頃から親友のサリサの声だった。
すぐにお守りを懐へしまい、声の聞こえる方へ走り出す。
こんな代わり映えのない日々がセランの日常だった。