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――0008―― 王妃の噂

 親の仇敵に向けるような厳しいシャルルの視線にカロリーヌは溜息を漏らす。実の親に向けるような視線ではない。今まで慈しみ大事に育ててきた我が子からそんな視線を向けられれば、誰だって気分が悪くなるだろう。

 突如、部屋に押しかけてきたかと思えば、カロリーヌの部屋の一番奥に入れろと騒ぐのだ。そこは夫であるフランシスですら入らない彼女の為だけの部屋だ。いくら大事な息子といっても、男であるシャルルを入れることはない。


「母上様が、……侍女を奥で折檻していると聞きました」


 どこでそんな話を聞いたのかと呆れる。シャルルにはそんなことよりもしなくてはいけないことがあるだろうにと、皇太子となるための勉強がまだまだあるのにと、小言が浮かぶ。

 誰がそんなくだらないことをシャルルに漏らしたのかと、侍女頭に視線を向ければ、彼女はいつもと変わらないすました顔で真っ直ぐに前を向いている。


「やましいことがないのであれば、奥に入れてください。問題ないでしょう?」

「ですからシャルル。奥は父上様ですら入らないのですよ」

「隠したいことがあるから入れないのでしょう?」


 この押し問答はいつまで続くのだろうかと、カロリーヌは思う。彼女はこの国の王妃だ。こんな私用にかまけている暇はないのだ。頼りにならないフランシスの代わりに仕事を沢山抱えていた。

 シャルルの我が儘に付き合っている暇はないと、立ち上がる。


「母上様!」


 今にも掴み掛かりそうなシャルルを、ユーグが制する。いくらシャルルの実母であろうとも、彼女はこの国の王妃だ。シャルルのせいで怪我をしたとなれば、大問題だ。

 と、同時にカロリーヌの部屋の奥の扉が開かれた。下着姿の、罪人のように髪の短い娘だ。彼女の姿に呆気にとられてしまう。

 彼女の後を追うように出てきた年嵩の増した侍女が、慌てて彼女にガウンを被せる。男性のいる場で下着姿を晒すなど、婦女子としてはあってはならないことだ。

 カロリーヌの侍女である以上、貴族の令嬢以上に令嬢としての嗜みが求められる。

 突然の事にシャルルは慌てて顔を逸らす。初心な青年には刺激が強い。

 髪が短くても、印象に残るくらい赤い髪に思い浮べるのはオーロルという娘のこと。顔を知らなくても赤い髪と、符号が一致する。

 見開かれたシャルルの瞳は、なにか間違ったものを見てしまったというように、カロリーヌへ移る。

 カロリーヌはオーロルを一瞥する。彼女の視線にオーロルは体を震わせる。


「この子は、誤って蝋燭の火を髪に移してしまいましたの。慌てて花瓶の水を掛けて大事にはなりませんでしたけど、ね? 髪を焼いてしまったんです。わかりますでしょう?」


 誰もカロリーヌの話を肯定も否定もしない。シャルルに真偽の程はわからない。わかるのは目の前で、彼女が体を震わせているということだけ。


「髪は女の命と同じですわ。こんな姿の彼女をどうして人前に晒せるというのかしら」


 微笑みを浮かべるカロリーヌの言葉は、慈悲に溢れているように聞こえる。


「髪を焼いてしまったショックで、心を病んでしまったの。自傷行為も酷くて、今の状態で里に返すには心配で……」


 体を隠すようにうずくまるオーロルの肩にカロリーヌが手を置く。びくりと肩が跳ね上がったことにシャルルは気が付かない。


「仕事が出来ないからと、放り出すのは無責任ですわ」


 カロリーヌに促されるまま部屋の奥へ戻っていく。シャルルには彼女を引き止める言葉が浮かばなかった。


「……それは本当ですか? 王妃様から折檻を受けているのは彼女ではないのですか?」


 代わりに問い掛けるユーグにカロリーヌは首を傾げ、悲しそうに睫を伏せる。はらわたが煮えかえる苛立ちを隠すためだ。オーロルへの折檻の噂を誰がシャルルに漏らしたのか。彼女の今の行動。勘のいいユーグ。

 それでもカロリーヌの鉄仮面のような慈悲深い表情は崩れない。


「彼女を見かけた誰かが無責任に言い出したのね? 私がそのような酷い事をするように見えるのかしら?」


 カロリーヌはユーグに微笑みかける。カロリーヌ本人を前にして意を唱えることが出来る者などない。ユーグもすぐに謝罪の言葉でこの場を濁した。

 彼女の話はもう終わりだと、カロリーヌは仕事へ向かう。オーロルと話をしたいというシャルルにカロリーヌは彼女はまだ、そっとしておいてあげたいのだと、許さなかった。


 部屋の奥でオーロルはがたがたと体を震わせていた。

 下着姿で飛び出した彼女に、年嵩の増した侍女は侍女服を着せる。無表情に、なんの感情の変化もなく、それが自分に課せられた仕事だというかのように淡々とこなす。


「リュカ様と恋仲にならなけばあなたはこんな目には合わなかったでしょうに」


 侍女の独り言にオーロルは怒りが込み上げる。


「それって、リュカを苦しめるため?」


 黙ってカロリーヌからの拷問を受けているだけだったオーロルからの言葉に驚きを持って返す。


「それしか思いつきません。だって、あの御方程リュカ様を疎ましく思っている方は居ません」


 侍女の言葉にオーロルは血の気が引いていく。リュカを苦しませるためだけに、人知れず自分は苦しんでいる。こんなにも無情なことはないと拳を握り締める。

 たった今、逃亡を試みて失敗したというのに、オーロルは侍女に体当たりをしては部屋を飛び出す。

 カロリーヌの姿に恐怖を感じてはいけないと、呟きながら何枚もの扉を抜けていく。

 オーロルの反抗に侍女たちはなにも出来なかった。兵士をやっていたのだ。戦う術を知らない侍女がオーロルに敵うわけもなく、彼女を逃してしまう。

 カロリーヌの部屋だけでも広いこのこの王城で、娘が一人迷わずに済むはずもなく、案の定オーロルは迷宮のような王城の中で迷子になっていた。

 誰に助けを請えばいいのかもわからず、人を見かければ物陰に隠れる。

 リュカがこの王城のどこかにいると信じて、闇雲に動くしかオーロルには出来なかった。

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