怪我の功名
「さて、どこから回ろうか」
ゲートを潜った俺は立ち止まり、受付のお姉さんから貰ったパンフレットを開く。中には園内のマップが載っており、俺はそれにざっと目を通す。
この園内にあるアトラクションは全部で二十。そして今日の俺達の滞在予定時間は約七時間。待ち時間や移動時間を考えれば、全てを回るのは実質不可能。そうなると自然、乗るべき入るべきアトラクションを取捨選択する必要に駆られるわけで……。
「初めは無難な所から攻めた方がいいでしょうね」
横から俺の持つパンフレットを覗き込みながら、智成君が言う。
無難、無難ね……。
「これとか?」
智成君の意見を聞き俺が指差したのは、〝ホライゾン〟という名のアトラクション。乗り物に乗って室内を回る、所謂《ライド系》のアトラクションだ。
最初だからジェットコースターはもちろん、フリーフォールやバイキング等の比較的激しい物は避けた方がいいだろうという判断だった。
「まぁ、いいんじゃない」
「私もいいと思う」
女子二人の賛成意見と智成君の頷きを得た事により、本日最初のアトラクションは俺の選択した〝ホライゾン〟という事になった。
マップから判断するに、ここからそのアトラクションまでおよそ徒歩で三分。それほど遠い距離ではない。
「ねぇ、智成君の彼女ってどんな感じなの?」
歩き始めて早々、この場で唯一、但馬の嘘を信じている日高が、智成君に無邪気にそんな質問をする。
「綺麗な人ですよ。それでいて可愛らしい人です」
日高の問いに、平然と答えを返す智成君。
彼には本当は恋人などいないはずなので、その言葉は本来、嘘偽りのはずなのだが、どこかその言葉は真に迫っていた。……誰か具体的なモデルがいるのだろうか。
「写真とかはないの?」
「そういうのは持ち歩かない主義なので」
智成君と日高の付き合いは、深さこそ分からないが単純な期間で言えば長い。そのため、二人の会話はスムーズで、無理に気を遣った様子はお互いに感じられなかった。
「そういう日高さんはどうなんですか? 写真、持ってないんですか?」
故に、智成君のこういう返しも普通に有り得るわけだ。
「え? 私? 私は別に……」
「持ち歩いてはいないんじゃない? 部屋にはあるかもだけど」
「ちょっと、美穂」
日高に叱られ、但馬が肩を竦める。
なるほど。部屋にはあるのか……。いや別に、全然気になってなんていないんだけど。
「もう、この話は終わり」
言って日高が、ぽんと手を打ち、自ら話題を打ち切る。
「自分から始めたくせに」
「みーほー」
「はいはい。ところでみんなは、これには出来れば行っておきたいなんていうアトラクションはあったりする? もしあるんだったら、今の内に出し合っておいた方が、今後予定立てる時に助かると思うんだけど」
確かに但馬の言う通り、初めに行きたい所を出し合っておけば、予定は立てやすいし、それぞれの行きたい所にいけなかったという事も起こりにくくはなるだろう。
「私は観覧車には乗っておきたいかな」
「誰と?」
「みーほー」
「ごめんごめん。フリかと思って」
「たく、二人は? どこか行きたい所ってないの?」
行きたい所か……。
「俺は特にないかな」
「僕はお化け屋敷には行っておきたいですね。どの程度の物か、自分の身で体験しておきたいですし」
智成君があくまでも設定に忠実に、そう日高の質問に答える。
「そっか。美穂は?」
「私? 私は《絶叫系》かな。遊園地と言えば、やっぱ絶叫でしょ」
「まぁ、否定はしないけど……」
日高はジェットコースターが苦手なのだろうか、あまり乗り気でないようだ。
「じゃあ、お化け屋敷とジェットコースターには最低でも行くとして、後は……追々決めていくって事で」
そう言って、言い出しっぺの但馬が、この話をまとめ、終わらせる。
まぁ、結局、落とし所としてはその辺が妥当、というか、無難だろう。当たり障りがないと言い返えてもいいかもしれない。
「なんか適当―」
「まぁまぁ――」
不満を述べる日高の肩を抱き、但馬が小声で何やら彼女に言う。それに日高も小声で応える。
「なんだかんだ言って仲いいよな、あの二人」
「まぁ、親友ですから、あの二人は」
背後を見やりながら独り心地に告げた俺の言葉に、智成君がそう呆れ半分に言葉を返す。
そこに、彼の日頃の苦労を垣間見た気がした。
四つ目のアトラクションを終え、ちょうど昼の時間帯になったという事で、昼食がてら小休憩を取る事にした。
ファーストフードタイプのテラス席。そこの丸テーブルを四人で囲む。
「う……」
三人がサンドイッチ等の軽食でお腹を満たす中、約一名、机にうつ伏せて呻くやつがいた。
何を隠そう、今日の計画を立てた張本人、但馬だ。
「大丈夫?」
日高が声を掛け、但馬の顔を覗き込む。
「うーん。微妙……」
「救護室行く?」
「そこまでじゃないから、大丈夫」
「そう。無理しないでね」
あの後、二つ目のアトラクションとしてジェットコースター、オクトパス、フリーフォールと、比較的ハードなアトラクションが続いた結果、今この光景に至る。
二つ目、三つ目までは傍から見る限り平気そうに見えたのだが、続いたのが良くなったのかもしれない。
勝手なイメージながら、但馬はこの手の物は得意だとばかり思っていたので、正直、この展開は予想外であり意外だった。
「これは当分ダメそうですね」
智成君がだらしのない姉の姿を見て、肩を竦める。
「姉の様子は僕が見ていますので、こちらの事は気にせず、二人は楽しんできて下さい」
「そんな。だったら、私が……」
「いえ、日高さんが残ると、姉も少なからず気を遣うと思いますから、ここは身内である僕が残った方がお互いにいいでしょう」
「うん。そうして」
片手を挙げ、弟の意見に同意の意を示す但馬。その声はか細く、本当にしんどそうだった。
「っていう事らしいんだけど、どうしようか?」
眉を下げ、困り顔で俺に意見を求める日高。
「うーん。まぁ、二人もこう言ってくれてる事だし、智成君の言うように逆に俺達が残った方が但馬の迷惑になるかもじゃない?」
「行ってきて。良くなったら合流するから」
「うん。分かった」
最後は但馬の言葉に背中を押され、日高が二人との別行動を決める。
昼食を終えると俺達は、二人をテラス席に残し、次のアトラクションへと向かう。
「本当に大丈夫かな、美穂」
「智成君も付いてるし、きっと大丈夫だよ」
「だといいけど……」
別行動をする事を決めたとはいえ、そう簡単には気持ちを切り替えられないらしく、日高の顔は未だ暗いままだった。
「但馬の事は確かに心配だけど、俺達まで遊園地を楽しまずにいたら、逆に二人に負い目というか嫌な思いをさせちゃうんじゃないかな、多分」
沈んだ日高の気持ちを少しでも元気付けようと、俺は敢えて明るい調子でそう彼女に語り掛ける。
「うん。そうだね。二人に気を遣わせないためにも、二人の分まで今は楽しまないと」
「そうそう。その意気その意気」
まだまだ空元気感は否めなかったが、それでも楽しもうという気持ちを持つ事は大切なので、今はまだこれでいいと思う。
「次は、えーっと、〝レムリア〟だっけ」
「うん。所謂《ミラーラビリンス系》のアトラクションだね」
〝レムリア〟は、水没した遺跡をイメージした《ミラーラビリンス系》のアトラクションで、乗り物に乗るでも驚かし要素があるわけでもないので、食後に楽しむにはもっとも適したアトラクションとも言っても過言ではない――かもしれない。
「なんかアレだね。さっきまで四人で行動してたから、二人になると感じが変わるというか、変な感じだね」
「え? あ、うん。そうだね」
四人で行動していた時は自然、前方に男性二人、後方に女性二人という並びになっていたため、俺と日高が並んで歩く事はなく、その事が余計に現在の状況に対する違和感に繋がっているのだろう。
「……」
「……」
そして、その違和感は口にしてしまうとより一層強いものになり、どうしても今、自分達が二人きりである事を必要以上に意識してしまう。
「すみませーん」
歩いていた俺達を、女性の声が呼び止める。
「すみません。写真、撮ってもらえますか?」
女性が、人懐っこい顔でニカっと笑う。
二十代中盤くらいのスレンダーな女性だった。短く切り揃えられた髪と快活そうな表情が、彼女との距離感を初対面の状況でもひどく近くする。
女性の辺りに、知人らしき人物の姿は見受けられなかった。どうやら一人のようだ。
「写真、ですか?」
代表して俺が、一歩前に出た。
「えぇ、このカメラで」
差し出されたデジカメを、何ともなしに受け取る。
デジカメの操作方法を軽く俺にレクチャーすると、女性は距離を取り、道の中央に陣取るモニュメントの前に立った。
それはこの遊園地のテーマでもある、海と風を表した、高さ三メートル程の人魚と風と波を象ったエメラルドグリーンの像だった。
「像全体が入るようにお願いします」
「分かりました」
五メートル程の距離で、少し声を張り上げながら、そう女性と遣り取りをする。
「行きまーす。はい、チーズ」
カシャという音と共に、画面に一枚の写真が映像として映し出される。
「こんな感じでいいですかね」
お互い歩み寄り、ちょうど真ん中付近で、デジカメの画像を二人で確認し合う。
「はい。ばっちりです。ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべ礼を言う女性に俺は、デジカメを手渡し、返す。
「ここにはよく来るんですか?」
この場所に慣れた雰囲気と一人という状況から、そんな推測を立てた俺は、思わずそう女性に尋ねていた。
「えぇ。ワンシーズンに一回は必ず。昔ここでバイトをしてたんです。それでなんか、愛着が湧いちゃって。すみません。急にお願いしてしまって」
「いえ、これくらい」
困った時はお互い様というと少し大げさだが、この程度のお願い事なら本当に朝飯前だ。
「彼女さんもすみません。彼氏さんお借りしちゃって」
「え? いえ、私は別に……」
いつの間にか俺の背後にやってきていた日高が、少し困ったように女性の言葉に返事をする。
返答に困ったというより、自分の呼び方に戸惑ったのかもしれない。
「あ、そうだ。お礼と言っては何ですが、この遊園地に関する噂話を一つ、お教えしましょう」
「噂話?」
はて、何だろう?
「〝レムリア〟ってあるじゃないですか?」
「はい。あの、《ミラーラビリンス系》の」
今まさに、俺達が向かっている最中の場所だ。
「あの建物内のどこかに、ハート型の染みというか跡があって、それを一緒に見たカップルは生涯末永く幸せになれるとかなれないとか」
「へー」
まぁ、何というか、その手の噂話としてはよくある話だが、それだけに、特に女性なんかにはひどく好まれそうだ。
「では、私はこれで」
そう言うと女性は、手を振り俺達の元を去って行った。
「ハート型の染みだって、本当かな?」
「え? あ、うん。けど、そういうのを探して見つけるっていうだけでも、なんか楽しくない?」
「そっか。ま、どうせ中には入るつもりだったんだし、ついでに探してみようか?」
「うん。ついでに探そう」
新たな楽しみを得た俺達は、足取り軽やかに目的の場所へと再び足を向ける。
さっきまであった気まずさは、女性との出会いを経て、いつの間にか消えていた。