デート?
待ち合わせ場所に着くと、予想外にも日高が先に来ていた。
時刻は十四時十分。二十分前に着けば当然ながら向こうを待たす事はないだろうという判断だったのだが、どうやら俺の考えは甘かったらしい。
「うっす」
声を掛け、手を上げながら日高に近づく。
「悪い。待たせたか?」
緊張が声に出ないか心配だったが、少なくとも第一声は上手くいった。
「ううん。待ってないよ……そんなに」
日高も最初はお約束というか待っていない風を装うとしたようだが、結局、嘘を吐ききれなかったようだ。
さすが日高。根っからの正直者である。
「具体的には?」
「十分くらい」
つまり、約束した時間より三十分も前から、日高はここで俺の事を待つつもりだったわけか。うーん。それはさすがに早く着き過ぎでは。
「なぁ、日高――」
「ほ、本日はお日柄もよく、阿坂君におかれましては――」
「いやいやいや、どした?」
いきなり日高が訳の分からない事を言い出したので、割と本気で焦った。
いや、本当にどうした?
「ごめん。緊張してて。男の子とプライベートで会うの、私の記憶にある限り初めてだから」
「マジか……」
「マジです」
まぁ、俺も人の事は言えないけど。
こうして女の子とプライベートで二人きりで会うのは……小学生以来かもしれない。
グループで遊びに行った事ぐらいなら何度もあるが、二人きりというのは俺みたいな人間からしてみればハードルが少しばかり高いような……。いや、まずそれより何より、その相手がいなかったか。ハードル云々って問題以前に。
「行くか」
「うん……」
今までの流れを切る意味も込め、俺の方からこの場を去る提案をする。
ここから〝雅〟までは十分掛からないくらいの道のりなので、あっという間に着く事だろう。
というか、必死に平静を装っているが、俺自身も実の所、かなりテンパっている。
女の子と二人きりで休日だし、その相手は日高だし、日高の私服初めて見るし、その私服も凄く可愛いし……。
今日の日高は、白い半袖シャツに紺色のショートパンツ姿、その上に薄い生地で出来た水色の半袖カーディガンを羽織っている。そして更に言えば、靴下はサイハイソックス、靴はローファーを履いている。つまり、今日の日高は所謂《絶対領域》を有しているわけだ。
……自分でも何が言いたいのか分からなくなりつつあるが、結論から言えば今日の日高は凄まじく可愛い、以上。
「あの、阿坂君?」
日高が申し訳なさそうに、それでいて怪訝そうに俺の事を見てくる。
いや、先に見ていたのは俺の方か。どうやら気づかぬ内に、日高の恰好を凝視してしまっていたらしい。
「どこか変かな?」
そして、その俺の失礼な行為によって、日高に要らぬ不安を与えてしまったようだ。ここはそういう意図で見ていたわけではない旨を、ちゃんと日高に伝えなければ。
「全然。むしろ、凄まじく可愛いと思うよ」
「凄まじく……?」
日高の顔が、それこそ火が点いたように一瞬で真っ赤になる。
しまった。思わず、素の感想が思考から漏れ出てしまった。自分の思考を頭の中に留めておく事すら出来ないのか、俺は。
「ヤダ。冗談ばっかり」
火照った顔を冷やそうとしているのか、日高が自分の手で顔を仰ぐ。
「いや、その、表現はアレだったけど、可愛いっていうのは冗談でなく、本音? 本気? とにかく、今日の日高は――」
俺の言葉は最後まで発せられる事なく、日高の手によって封じられた。
「止めて。これ以上は。死ぬから」
「死ぬ!?」
そんなオーバーな。
とはいえ、日高の目は本気だった。
「悶え死ぬ」
「あー……。そういう……」
それにしても、オーバーな表現だが。
「何やってるんだか」
どこからか、日高と別れるまでは姿を消しているはずの座敷の声が、俺の耳に届いた。
俺自身、そう思う。
……何やっているんだか、俺。
「――いらっしゃいませ」
扉を開けて店内に足を踏み入れた俺達を、女性の明るい声が出迎えた。短いポニーテールが彼女の動きに合わせて元気よく揺れる。
「お客様、失礼ですが、お名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「阿坂遼一です」
「阿坂様……。あぁ……。どうぞ空いてるお席にお座り下さい」
俺の名前を聞き、女性店員はにこりと微笑んで俺達に道を開けた。
おそらく、ユイ姉から俺の事を聞いていたのだろう。
軽く周りを見渡す。ちょうど角の席が空いていたため、そこに向かい合う形で腰を下ろした。
「ご注文がお決まりになりましたら、そのベルでお呼びつけ下さい」
水の入ったコップと手拭きをそれぞれの前に置くと、店員は「では、ごゆっくり」と言い残して自分の持ち場に戻っていった。
まずメニューを開く。一通り目を通したものの、特にこれといって目の引くものはなかった。
まぁ、無難な選択になるが仕方ない。アメリカンでいいか。
「俺は決まったから、日高が決まったらベル鳴らして」
「うん。分かった」
それから程なくして、ベルが鳴らされる。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
そのベルによって俺達の席に来たのは、この店の店長だった。ミディアムなウェービーヘアと勝ち気な瞳が特徴的な〝お姉さん〟だ。
「……来てやったぜ」
「そりゃ、どうも」
いつも通りの遣り取りを俺と交わした後、
「この店の店長をやってる榊原結衣です。後ついでに、遼一の姉代わりもしています」
ユイ姉は佇まいを整えて、日高に向かってそう挨拶をした。
「え? あの、日高桜子です」
それまで唖然とした表情で眺めていた会話の矛先が、突然自分の方に向いた事に日高は、少なからず動揺したようだったが、すぐに体勢を立て直し、はっきりとした口調で自身の名を目の前の女性へと名乗った。
それを見て、ユイ姉がにこりと笑う。
「ごめんね。このバカの相手してもらって」
苦笑を浮かべながら、ユイ姉が会話のきっかけ作りのつもりか、そんな事を言う。
というか、誰か馬鹿か。
「いえ、阿坂君には、日頃から私の方がお世話になりっぱなしで……」
「そんな緊張しないでも大丈夫よ。それに、遼一があなたにお世話になりっぱなしな事は、ちゃんと聞いて知ってるから」
その情報源はもちろん俺だ。ユイ姉は電話や訪問で定期的に俺の様子を確かめており、その内容はユイ姉を経由して母さんにも流れている。ホント、困った話だ。
「はー……」
何て答えていいものか悩んだのだろう、日高の口から返事とも付かない声が漏れる。
「うふふ。可愛い子ね。それで、ご注文は?」
俺はアメリカン、日高はアイスティーをそれぞれ頼む。
「あ、追加でチョコケーキ二つ」
「畏まりました。注文を繰り返します――」
ユイ姉が去り、日高が「ふぅー」と一つ息を吐いた。
どうやら、思った以上にユイ姉との対面は、日高を緊張させてしまったらしい。
「ごめんな。騒がしい人で」
「ううん。それにしても、綺麗な人だね」
「まぁね」
ユイ姉を初めて見た大抵の人が、おそらく日高と同じ感想を抱く事だろう。それだけユイ姉の綺麗さは桁外れなのだ。
「否定しないんだ。意外」
「事実だから否定のしようがない」
あそこまで突き抜けてしまうと、逆に否定するのが馬鹿らしくなってくる。
あの人は高校や大学では当然のようにミス何々に選ばれてきているし、俺自身、ユイ姉の事はとびっきりの美人であると認識している。
とはいえ、当人はそれを鼻に掛ける事もひけらかす事もせず、逆に必要以上に謙遜もしない。だからこそ、より一層、彼女は〝美人〟に見えるのだろう。
「そっか。……あ、チョコケーキ」
日高がふと思い出したように呟く。
俺が注文を付け加えた時は、必要以上にユイ姉の方に意識が行っており、その意図に気が付かなかったのだろう。
「もし要らないようだったら、俺が二つ共食べるから気にしないで」
俺としては良かれと思って注文した品だったが、日高が要らないというのなら、当然、無理強いはしない。
「そうじゃなくて。ちゃんと、お金払うから」
なるほど。気にしていたのは、そっちの方だったか。
「いいよ。てか、今日は全部、俺が払うし」
「そんな。悪いよ」
俺の言葉を受け、慌てて手を振る日高。
但馬辺りならこういう場合、平気で好意を頂戴しそうなものだが、さすが日高、奥ゆかしいというか、生真面目というか……。
とはいえ、このままでは話が収まりそうにないので、俺は今回の奢りに、尤もらしい理由を付けることにした。
「日頃のお礼って事でどう?」
「どうって言われても……」
「もちろん、こんな事くらいじゃ、日頃のお礼には到底及ばないと思ってるけど、ここは一つ、俺の気持ちに応えるためと思って」
「ずるいよ、そんな言い方……」
確かに今の台詞は、こう言えば日高が強く出られないだろうと予想してのものだった。だが、だからといって、先程の俺の言葉に嘘はなく、また決して、その場限りの誤魔化しというわけでもなかった。
「分かった。今日はお言葉に甘えて、阿坂君に支払い、お願いしちゃうね」
「……ありがとう、日高」
「なんで阿坂君がお礼言うの? お礼言わなきゃいけないのは、むしろ私でしょ?」
「ホントだ。なんでだろう?」
よくよく考えてみれば、日高の言う通り、今の俺の返しの言葉は少し不自然で、違和感を覚えるものだったかもしれない。
「何それ」
俺のまるで他人事な返答に、日高が笑う。
それに釣られて俺も笑う。
彼女の人柄が影響しているのだろうか、日高といると、不思議と優しい空気が二人の間に度々流れる。それがこうした居心地の良さに通じているのだろう。
「あのー……」
「「!」」
突然降って湧いたように聞こえてきた女性の声に、二人揃って、驚きのリアクションを思わず取ってしまう。
「いい雰囲気の所すみませんが、こちら、お先に飲み物になります」
そう言ってユイ姉が、真面目な顔で飲み物をそれぞれの前に置いていく。
「ごゆっくりどうぞ」
一礼をし、去って行くユイ姉。
「とりあえず飲もうか」
それを見送り、俺はそう切り出す。
「そ、そうだね」
頷き、日高も自身の飲み物に手を伸ばす。
……にがっ。
動揺のあまり、何も入れずに飲んだアメリカンは、当然のようにいつもよりも苦かった。