天使の笑顔
「ふわぁー……」
中休み。トイレからの帰り道、欠伸を噛み殺し、廊下を歩く。
昨夜は居候が一人増えたという事もあり、あまりよく眠れなかった。単純に騒がしかったというよりは、一人増えた事それ自体が問題だったのだろう。
「お疲れのようね」
その元凶が一人、廊下の先に立っていた。
桃色の着物に身を包んだ彼女の姿は、座敷以上に学校の校舎とひどくミスマッチで、それがよりいっそう彼女の存在を浮き立たせていた。
座敷わらしと言うと、どこか常に特定の建物内もしくは敷地内にいるイメージがあるが、実はそうではないようだ。
どこかの家に住み憑いている状態でも敷地の外には出られるし、住み憑いていない状態ならそれこそ自由に行動出来るらしい。
まぁ、とはいえ、どちらにも制限時間はあるようで、前者は二十四時間、後者は七十二時間と決まっているようだ。それ以上の時間が過ぎると、自身の体から徐々に力が抜けていき、最後には消滅してしまう、らしい。
「来なさい」
言うが早いが、モモは踵を返し、どこかにそそくさと歩いていってしまう。
ちなみに、座敷わらしの移動手段は、歩行と浮遊の二つがあるようだが、どちらかと言うと、歩行の方が楽、というのが、座敷の弁だ。
程なくして、人気のない場所で先行していたモモが立ち止まる。
昨日、座敷が姿を現した、階段の前である。
「で、何の用だ?」
廊下の壁に背中を預け、モモと正面から向き合う。
「昨日の調査報告――の前に、アンタの方こそ、私に何か言うべき事があるんじゃないの?」
「……実は、あいつの夢についてまだ、お前に話してない事があるんだ」
「何かしら」
「あいつの夢に出てきたのがもし、お前がアメと呼ぶあの少女なら、おそらく彼女はもう……」
「その根拠を聞かせてもらえる?」
知り合いがもうこの世界にはいないかもしれないと告げているにも関わらず、モモは取り乱す事なく冷静にそう俺に質問をしてきた。
「あいつは夢の内容をあまり覚えていないと言ってたが、俺ははっきりその内容を覚えてる。夢の最後で、確かにあの少女は淡い光となって空気中に……」
「その言い方だとまるで、実際にあなた自身がそれを目撃したように聞こえるけど?」
「……俺は見たんだ、実際に。あいつの視点を借りて、あいつの経験しただろう出来事を」
「睡眠中に意識を共有したって事?」
「あぁ。俺自身、なんでそんな事が起きたかは、謎のままなんだけどさ」
まぁそもそも、妖怪そのものが謎に満ちた存在なのだから、そこに謎が一つや二つ追加されたところで今更と言えば今更なのだが……。
「そういう事が今までなかったわけではないから、別に有り得ない話ではないのだけれど……。けど、それが事実だとしたら、本当にアメはもう……」
瞼を閉じ何やら思いを巡らした後、モモが俺の目を真っ直ぐ見据え口を開く。
「アンタが見たという夢の話、私に詳しく教えてもらえるかしら?」
頷き、俺は自分が見た夢の内容を出来るだけ詳細に語った。
「そう。やはり、アメは消えたのね。なら、ユキの記憶喪失も、もしかしたら、それが原因なのかもしれないわね」
「姉が消えたショックで、って事か?」
「その可能性もなくはないけど、それより元々二つに分かれていたものが急に一人の体に集約されたのだから、その反動はきっと計り知れないものがあると思うわ」
「こういう事は、よくある事なのか?」
「座敷わらしが双子としてこの世に生まれる事自体は、それほど珍しい事ではないの。十分の一くらいの確立かしら。むしろ珍しいのは、寿命を全うせずに消滅する事の方。外部から余程強い圧力が掛かりでもしない限り、そんな事にはならないはずだから」
「強い圧力?」
座敷わらしにも寿命がある事にも驚いたが、今はそれより何より、そちらの方が気になった。
「座敷わらしは幸福をもたらす妖怪。なら、その逆、不幸をもたらす妖怪がいても何らおかしくないでしょ?」
「疫病神か……」
疫病神は、その名の通り、辺りに疫病をもたらすとされている妖怪だ。しかし、彼らがもたらすのは何も疫病だけとは限らない。あらゆる厄災を彼らは引き起こし、周囲にいる人間を不幸にする――とされている。
「やつらは、曲がりなりにも神をその名に冠する妖怪。真正面からぶつかれば、私達は一溜まりもないでしょうね」
そう言ってモモは、俺に肩を竦めてみせた。
「それがアメの消えた原因だと?」
「可能性の話、だけどね。ただ、確かにあのお屋敷からは、疫病神の気配らしきものが漏れ出ていたわ。とはいえ、その気配もすでに希薄になりつつあるから、もう疫病神当人はこの辺りにはいないみたいだけど」
「そうか……」
なら、その点に関してだけ言えば、一安心……なのかな?
「報告は以上よ。また何か分かったら私も報告するから、アンタも真っ先に私に報告する事。いい?」
言いながら、右手人差し指を俺の顔目掛けて突き付けてくるモモ。
その仕草は彼女がやると、偉そうというより、まんま背伸びをした子供のそれで、思わず俺は苦笑を噛み殺す。
「分かった。必ずそうするよ」
「絶対だからね」
「あぁ」
俺が頷くと、モモは満足そうに微笑んでその姿を消した。
少しの間、モモが今の今までいた空間を無言で見つめた後、俺は思い出したかのように教室へと歩き出した。
「お帰りー。遅かったね」
教室に着き、自分の席に戻った俺を、桜子が出迎える。
「トイレの帰りに、モモと出会ってさ」
「モモ、ちゃん? って、朝言ってた?」
新たに居候が増えた事は、朝の時点で桜子にすでに告げていた。
座敷の存在が知られた以上、もう桜子にこの手の事を隠す必要はないし、その必要がないのなら、彼女には出来るだけ隠し事はもうしたくない。
「緊急事態?」
「いや、調査報告だって。座敷には聞かせたくない内容だったから、わざわざ学校に出向いたみたい」
「ふーん。でも、なんか凄いね。座敷わらしが二人も部屋にいるなんて」
「まぁ、厳密にはモモはただの居候で、俺の部屋に住み憑いてるわけじゃないんだけどな」
しかし、そう考えると、モモがウチに滞在出来る日数は割と少なく、どれだけ多く見積もっても明後日までには新たな住居を見つけなければならない事になる。
しかも、座敷わらしの住む場所は別にどこでもいいわけではなく、ちゃんと人が住んでいる所で尚且つ、座敷わらし当人が住みやすいと感じる所でないといけないらしい。
ああ見えて妖怪も、色々と大変なのだ。
「ところで遼一君は、今日も部活、お休みするんだよね?」
「あぁ。うん」
もちろん、無理に参加しようと思えば今日の部活にも参加出来なくはないのだが、まだ痛みと違和感は体にしっかりと残っているし、逆に部活に参加して怪我が悪化したり新たな怪我を負ってしまったりしては意味がないどころか、むしろ逆効果だろう。
「じゃあ、私も今日は部活お休みしようかな」
「いや、それはダメでしょ」
昨日は俺が怪我をした当日という事で、百歩譲って、桜子が部活を休む理由として辛うじて成立していた節があるが、今日はさすがにそういうわけにはいかないだろう。
「うー。やっぱり?」
桜子自身、端から真っ当な理由もなしに部活を休めるとは思っていなかったらしく、俺の反対意見を聞くなりすぐさま、自分の意見をあっさりと引っ込めた。
「待ってようか? 部活終わるまで」
「うーん。大丈夫。それより遼一君は、帰りのホームルームが終わったら、早くおウチに帰ってあげて。きっと座敷ちゃんも、遼一君が傍にいなくて不安だろうから」
そう言って、微笑みを見せる桜子。
その様は、こう言っては何だが、凄く、天使だった。




