死者との再会
白いタイルが敷き詰められた壁、そんな部屋の真ん中で、自分はリクライニング機能付きの座り心地のいい椅子に座っている。もっとも、手と足を拘束されて、眩しいランプで真上から照らされながらだが。光で遮られた視界の端には二人の若い手術医がメスやら薬やらの準備をしている。病院独特の清潔感のある匂いが鼻を刺激する。牢屋にいた頃のシミのついた囚人服と変わって、今は真新しい手術着に着替えさせられていた。
ガチャリ、とドアを開いた音がすると手術着に着替えたジャージ男が、視界に映る。汚い髪はキャップによってまとめられている。彼はメスを取ると、こちらに見えるように光を反射させた。その様子は今から生死をかけたコインフリップをする自分を見て楽しんでいるようだった。
コインフリップをして、表が出れば生き残り、裏が出れば体を奪われ土に百年は埋められる。そう思うと脇に汗が滲んでくる。ドアが放たれたことによる隙間風が汗を蒸発させ、体から体温を奪う。手術が始まるまでが、とても長く感じられたようで、自分の視線は手術医、ジャージ男、ライト、と目まぐるしく動いていた。
何時間にも感じられた手術医達の準備は終わりを迎え、彼らはジャージ男の指示を待っている。
「準備、整いました。いつでも始められます」
「そうか、なら始めるとするか」ジャージ男が地面で潰れたセミでも見るような目でこちらを一瞥すると、部屋を去ろうとした。
「待てよ、ちょっと話をしよう」その言葉を聞くと、彼は歩みを止めた
「こっちはお前みたいな死に損ないに割く時間はないんだ」
「そう言うな、お前にも利益のある話だ」
「フンッ、馬鹿をいうな、お前に有益な話ができるとは思えんな」
「ドロノフ・オットー、聞いたことのある名前だろ?」
「お前の親父か、確か数年前に処刑されたなそれが、どうした?」
「おいおい嘘をつくなよ、身柄は捜査局が預かってるんだろ?」
「なんのことかわからんな」
「シラを切るつもりか、まあいいさ。ともかくだ、父さんはお前らと協力関係にあるんだろう?どうせ一人匿ってるんならもう一人いたって変わらないだろう?」
「……ハァ」ジャージ男はため息をつくと、悲しいものを見る目で自分を見ると付け足した。「そうだな、まぁ処刑が中断されて、結局生き延びたのは本当だ。だが、捜査局が身柄を拘束している、というのはお前の勘違いだ」検討はずれの指摘に自分は気恥ずかしいような、穴が入ったら入りたいような気分だった。「実のところをいうと科学省が、あいつの身柄を引き取ることになったのさ。なんでも、あいつのスキルは殺すには勿体ないだとよ。馬鹿げた連中だ、毎回ロクでもない装備を送ってくるくせしてよくもまぁあんな要求を通せるもんだ。通した上層部も上層部だよ」
彼は怒りを含んだ声を発し終わると、ポケットからタバコを取り出して火をつけた。それを見ていた若い手術医二人は何か言いたそうにしていたが、お互い権力に逆らうのが怖いのか、口をつむっていた。
「それで、その話がどう、有益な話につながる」
「そう、それでだ。俺も父さんほどじゃないが、ハッカー界隈じゃ相当だ。俺を手術中に死んだことにしてしまえばいい」
「死んだことに?」
「ああ、そうすれば科学省とやらも手出しはできない。幸い、ここには俺も含めて四人しかいない、そこの二人の口封じをすれば、ばれることはない」そこの二人、という言葉に反応した手術医達は青ざめた顔でたじろいだ。殺しませんよね? というメッセージ性の含んだ視線をジャージ男におくりながら。
だが、ジャージ男は二人の視線を気にもせず続けた。「つまりなんだ? 俺たちの犯罪者探しを手伝うってのか?」
「少なくとも五人ほど、ハッカーの名前と住所を知っている。あの爺さんから話を聞くよりだいぶ効率的だ」そういうと、考え込むようにジャージ男がタバコを一口吸うと、煙を上に向かって吐き出した。
「そうか、確かに魅力的といえば魅力的だ。だが、引き換えに何が欲しい? 先に言っておくが、お前の言うとうりに捜査局で働くっていうなら、ここから出る事はできんぞ。外に出せない秘密を共有する事になるわけだからな」
「いや、俺は別にここから出して欲しいわけじゃない」
「ならなんだ?」
「二つある。一つは手術後のマイクロチップをデアクティベートさせた状態で俺に渡す事。二つ目はジュニアのいたサーバーにアクセスさせる事」
「ふむ、まず一つ目の要求についてだが、それはできない。あんたには自白してもらわなくちゃならない」
「それについては問題ない。俺……つまり生身の俺が覚えている限りの事を全て自白しよう。なんなら都合のいい罪をなすりつけても構わない」
「そりゃまた大盤振る舞いだな」
「どうせ、俺は死ぬんだからな」
「ふむ、まあ書類上はそうだな。二つ目の要求だが、お前のAIはすでに削除済みだ、何をする気だ」
「ジュニアは性格こそ違うか、人格の元は俺だ。そして、俺ならあらかじめバックアップをサーバーのどこかに作成しておく。まぁそうだな、俺ならきっとハードディスクじゃなくてメモリの一部をいじれないようにしてそこに保存しておくだろうな。幸いあのサーバーのメモリ量は相当なものだからな」
普段データを保存しておくハードディスクは発見された時に全て削除される可能性がある。だが、アプリケーションが一時的に細かな数値を保存しておくメモリであれば、わざわざ確認する人は少ない。
だが、正直に言うと、ジュニアがそこまで頭が回っていたかはわからない。あの時は切断から逮捕までが早すぎた。そしてあの時、トレーラーハウスのコンピュータは、退避用サーバーに接続されていた。あのタイミングですでに削除されていた可能性はある。だが、それでもジュニアが生きている可能性が二分の一なくても、六分の一より低くても、あるのならかけてもいいと思っていた。
しばらくタバコを吸いながら考え込んでいたジャージ男は火がフィルターに近いタバコを床に投げ捨てると履いていた革靴のかかとで踏み潰した。
「もしこちらがその要求を飲まなかった場合は?」
「その時は俺は何も喋らないしお前たちのために働かない。結局は、お前らが得られる物は同じだ。どうせ同じなら、特典があったほうがいいだろう」
「どうだかな……特典があって嬉しいのはそれが役に立った時だけだからな。だがいいだろう、その取引、受けよう」
そういうと彼は目で手術医達に剥離手術を開始するように促した。手術医達はその視線を汲み取ると、まずは、タバコを拾って部屋を清潔にする作業に取り掛かった。準備ができると手術医達は注射器を手に取り、中の気泡を取り除いた。針を腕に当てると、痛みが走る。だが、そんな痛みも、感覚も、思考も、強制的に眠りに落とされる感覚とともに消えていった。
暗闇の中、虚無の中、記憶を辿った結果理解した。つまりは、そういうことだった。自分が今、体の感覚もなく生きながら死んでいるのは、自分がコインの裏を引いたからだった。
「だがしかし、なぜアクティベートされている?」思考ができている、そして時間の感覚がある。ということはつまり、デアクティベートされてはいなかったということ。マイクロチップはデアクティベート状態では機能しない。その状態でチップ内の人格が時間の経過を経験することはない。だから脳から剥離した際には通常はデアクティベートされていて、コンピュータに接続した時にアクティベートする。今の状態からして、自分はコンピュータに繋がれてアクティベートされたのだろう。
だが、先ほど自分は交渉の際にマイクロチップをデアクティベートした状態で渡すように要求した。
「つまりは交渉決裂というわけか……」つまりは、これからあのジャージ男がマイクとスピーカーを繋げてこちらに話しかけてくるということ。そして、自白か百年かのどちらかを選ばされるということ。
もちろん、土の中で百年というのは拒否したいところだ。だが、自白したところで向こうがこちらの話を信じるとは思えない。全てを話したところで、何度か時間を加速させて、同じことを聞かれるだろう。そのほうが向こうからすれば、自白に信憑性が出る。それに、向こうがこちらの話を全て聞いて信じたところで最終的には削除されるだけだ。そうなるとAIの自分としては本当に死んだも同然だ。
だとすると一番好ましい結果は自分のデータが生身の自分に渡ること。そうすれば死は回避できる。ならば自白することなく沈黙を貫けばいい。そうすれば生身の方がまた取引を持ちかけるだろう。データの方が話さないなら俺が話そう、ただしデータは渡してもらう……と。
「まぁどちらにしても待つしかないか。向こうが話しかけてこない限りは何もできないしな」そう思っていた傍、耳にブツッという、マイクに接続されたであろう音が鳴り響いた。待ってましたといわんばかりに、自分は声を張り上げた。
「おい! 俺は自白しないぞ! 百年だろうがなんだろうがドンとこい」
「お、繋がりましたね……なんですかいきなり」その声はどこかで聞いたような声で口調には覚えがあった。
「……あれ? もしかしてジュニアか?」削除されたはずのジュニア、その声が耳に聞こえてきた。
「そう呼ばれるのは随分と久しぶりです。何はともかくお元気そうでなによりです、マスター」
「久しぶりも何も三日ぶりだろう、よくバックアップを作る時間があったな」
「……なんというか、タイムスリップした人と話している気分ですね」
「何を言っているんだ? ジュニア」ジュニアの話し方は使う言葉に迷っているようだった。まるでとある重大な事実をどう説明すればいいか考えているように。
「いいですか? 落ち着いて聞いてください。聞きたいことはたくさんあるでしょう、ですが、これだけあらかじめ伝えておきます」ジュニアの真剣な語り口に思わず緊張してきてしまう。「まず、マスターがデータ化された日、マイクロチップはデアクティベート状態でマスター……つまりは生身のマスターに渡りました」
「だけど、そうするとアクティベートされた俺はどういうことだ?」
「いいですか……」ジュニアの次の言葉はあまりにも巨大で、簡素で、すぐに信じるには至らなかった。一番信用していたジュニアの言葉を疑うことになるとは思わなかったが、こんなことをすぐ信じるような奴は、ボケたおじいさんか、小さな赤ん坊ぐらいなものだ。
「剥離の手術が行われてからマスターはデアクティベートされていました。約五百年間ほど」
「はぁ? 一体何を言っているんだ?」
「そして、生身のマスターは死亡しています。ちなみに地球も滅亡しています。」
「……頭を打ったか? ジュニア」
「失礼な、全て事実です。」