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portrait children   作者: 佐伯寿和
子どもたちの章
7/70

初恋は雨に流されて

「トンボ…、帽子…、信号…、運動会…、イルカ…、カエル…、ルビー…、ビー玉…、マントヒヒ…、ひまわり…、」

私には好きな人がいた。その人は今、そばにいない。年に2回、小森のおばあちゃんの家にやって来る。その時、私は決まってその人と遊ぶのだ。

駅から小森のおばあちゃんの家までの道沿いに36個ある小さくて見つけにくい絵も全部、私とその人で描いた。

会いに行きたいけれど、その人の家はとても遠くて私一人ではとても遊びには行けない。だからこうやって散歩をよそおい、絵を追いかけてあの人を心の中に描いている。忘れないように。


「こんにちは絢子ちゃん。」

小森のおばあちゃんの家は、私が小学4年生になるまで私の家から歩いてすぐのところにあった。

そして、おばあちゃんは近所でも有名な『猫仙人』。

遊びに行けばいつだってたくさんの猫がいる。おばあちゃんと特別たくさんお喋りをしたり、遊んだりはしない。

ただ、私は母(ゆず)りの動物好きで、おばあちゃんに行っては猫を眺めたり、たまに触ったりした。


そして小学4年生の7月、私にとっても大切な月がその年もきた。

「今年も七夕さまの日には雨が降りそうだね。」

おばあちゃんは七夕が大好きだった。毎年、おばあちゃんに笹を飾り、一緒に短冊をるした。

「今年は願いが叶うといいねえ。」

私もおばあちゃんも短冊に願い事を書かない。短冊を両手ではさんで、お願い事を三回唱える。白紙のまま、笹に吊る。

「だって、他の人に読まれるのは恥ずかしいものね。」

私もおばあちゃんも、あまり人に自分の考えていることを知られるのが好きではなかった。

それでも神様には伝わるのだと言う。

「今年こそ、叶いますように。」

おばあちゃんは独り言を漏らしていた。


七夕の翌日、私がおばあちゃんを訪ねると、なんだかいつもと違うことに気づいた。

いつもだったら、玄関先ですでに何匹かゴロゴロと寝転がっているやつと出くわすのに、今日は一匹もいない。なんだか胸騒ぎがして、おばあちゃんの名前を叫んだ。

「どうしたの、絢子ちゃん。何かあったの?」

おばあちゃんは奥の居間から血相を変えて飛び出してきた。

「あらあら、そう。私が倒れてると思ったのね。それは大変だわ。」

クスクスと笑うおばあちゃんの隣で私はうつむいていた。

「心配させてごめんなさいね、絢子ちゃん。でも大丈夫だから。私はまだかないみたいだから安心してね。」

私はおばあちゃんのことを信じているし、まだまだ元気そうに喋るおばあちゃんを見て安心した。安心したはずなのに、胸の内のざわめきは鳴り止まない。


「今日は珍しいお客さまが来ているからなのよ。」

猫がいない状況を話すとおばあちゃんはそう答えた。誰なのかと聞くと、無邪気な笑顔で答えた。

「お星様よ。」

私はもう小学4年生。サンタクロースだって信じてない。それなのに、おばあちゃんは私に初めての嘘をついた。それが、少し悲しかった。


「あれは、何?」

私は一瞬、息を飲んだ。縁側えんがわにあるそれはの光を浴びて真っ白に輝いていた。

始めは白い石の塊のように見えた。次にタンポポの綿毛か雪の塊だと思った。結局、おばあちゃんが触るまでそれが何なのか、分からなかった。

「おばあちゃん、この猫、知らない子だね。」

「そうね。私も今日、初めて会ったのよ。」

真っ白だった。白の絵の具しか使わなかった画用紙のように、猫の輪郭と背景がボンヤリとにじんで見えた。

もし私が誰か一人に『妖精』という名前をつけるのならおばあちゃんだと思っていた。それが、今日変わった。


私はあまりその猫には近づこうとは思わなかった。なんだかキレイ過ぎて恐かった。

でも、本で読んだことがある。妖精は子どもと遊ぶのが好きなんだ。

私が息を殺してたたずんでいると、おばあちゃんの膝の上の白い塊がヌルリと鎌首をもたげて耳をピクリ、ピクリと動かした。そして、その首が私をとらえようとした時、目が合うか合わないかのタイミングでおばあちゃんの手が猫の頭を優しく押さえ込んだ。

「この子が恐いかい?」

押さえ込まれた猫は「にゃあ」と甘えた声を出して膝の上で小さくもがいている。おばあちゃんはそのヨボヨボの体に似合わずしっかりと猫を押さえ付けている。

「静かにしてくださいね。絢子ちゃんが恐がっていますよ。」

けれども、雑技団ざつぎだんのような軟体はとうとう押さえ付ける手の中からヌルリと抜け出した。

そのまま何処どこかへ逃げ出すのかと思ったら、なぜか

廊下ろうかの途中で立ち止まり、私たちの方へと振り返った。その時、私は初めておばあちゃんの叫び声を聞いた。

「止めてください!」

私は猫の目を見た。猫は私の目を見た。


真っ白な毛皮に似合わないくらいの、真っ青な虹彩こうさい。そのプルシャンブルーの虹彩は、その奥に何も見えない、何もないと思わせるくらいに深く黒い瞳を、飲み込むように取り囲んでいる。

奇妙な白猫は腰も下ろさずに、真っ直ぐに私を見上げている。私は猫の目から視線を放せないでいた。

するとおばあちゃんが猫へと駆け寄って、私から隠すように猫を抱き上げた。

「絢子ちゃん、気分は悪くないかい?」

逡巡しゅんじゆんした後、私は答えた。

「おばあちゃん、今ね、そこに順くんがいたの。」

おばあちゃんは顔を蒼白そうはくとさせた。力の抜けた両腕から猫が滑り落ちた。上手に着地すると、今度は振り返りもせずに家の奥へと走り去った。白い塊は幽霊のようにボンヤリと姿を消した。私はその姿をずっと目で追っていた。

今年は願い事が叶うような気がした。

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