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portrait children   作者: 佐伯寿和
遺影の章
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肖像画の右目

2歳、妻は俺の制止も聞かずに娘にクレヨンを与えた。俺は反対していたのだ。小学生未満の子どもは何でもすぐに口に入れてしまうし、部屋を汚してしまうと同僚たちから聞いていたから。だが、そんな同僚たちから受けた脅しは杞憂きゆうでしなかった。

娘は決してそれを口に含むようなことはしなかった。それどころか、クレヨンを手にしたその日から一心不乱に絵を描くようになったのだ。食事と就寝以外の時間はずっとクレヨンを手にしている。お絵かきノート一冊を一日で使いきるのも希ではなかった。ねぶる時間も勿体もったいないといった様子だ。

子どもながらに驚くべき集中力だ。道具さえ与えておけば黙々と絵を描いている。休日、仕事で疲れた体を休めるには都合が良かった。

初めの二、三ヶ月はその程度にしか思っていなかった。


翌月、使い捨てのノートではなく、描いては消せる子ども用のお絵かきボードを与えてみた。というのも、描く手を止めない娘は絵をめるばかり。そのわりに描き終わった絵には執着していない様子だったからだ。

与えてみると、やはり娘はボードの前から離れない。描いては消して、描いては消して。延々(えんえん)と繰り返している。やがて、風景や動物の絵は少なくなり、俺ばかりを描くようになった。

俺のことが何よりも好きなようだった。俺はそれで満足していた。


4歳、立派な絵を描くようになっていた。太陽と人と周囲の木々などの全体的な位置と大きさの比較が的確てきかくで、空間の認知力は他の子どもと比べると群を抜いているように思えた。

かと思えば子どもらしい思い付きでクレヨンの他にも色鉛筆、水彩絵の具、時にはそれらを全て混ぜて絵を描くなど色使いは荒く、輪郭りんかくもまだまだ定まっていない。

しかし翌年になると、その輪郭は急速に洗練せんれんされ、子どもっぽい色使いは幻想的な方向へと収斂しゅうれんしていく。俺は卵を割って頭を覗かせる愛らしいひなを見たような気分になった。

家族会議では――とは言っても、この時はまだ俺と妻の二人しかいなかったのだが――、絢子を画家として育てることに対して異論など出るはずがなかった。


6歳、小学生になり、全国的な絵画コンクールへの応募も視野に入れて、娘が求めるだけ画材を与えることにした。するとどうだ。娘の画力はあっという間にプロと遜色そんしょくないものになった。独創的かつ繊細せんさいな画を描き、周囲の比ではなくなった。批評家になった友人連中からも「発想が豊かだ。」と好評価だ。

彼らのすすめで、基礎だ何だと小うるさい講師をつけなかったのがさいわいしたのかもしれない。娘は自分の力だけでここまで成長したのだ。

もはや、娘の未来は安泰あんたいも同然のように思われた。


そう思った矢先、出鼻をくじかれてしまうことになる。単に運が悪かっただけなのだが、その年のどのコンクールにも審査委員会の中に桜田という保守的な巨匠とやらが関わっていたために、娘の奇抜な画は『前衛的ぜんえいてき』と捉えられることはなく、『基礎のなっていない未熟な作品』、『子どもらしい温かみが感じられない』などの酷評を受けることになり、全て落選した。

だが、少なからず落胆する俺たちを余所よそに、娘はそれをかいする様子など微塵みじんも見せなかった。というよりも、「描きたいものが描ければそれで文句はないんたけど。」などと、その世界での評価というものにひどく冷めていた。


翌年、例の巨匠は審査委員会から辞退し、娘は応募したコンクールのほとんどで、すんなり最優秀賞を得ることができた。それに呼応するように某有名雑誌社からの取材が舞い込み、俺たちは大いに喜んだ。

それでも、娘は「お金が入るなら別に構わないけれど。」と、一向に関心を示してくれる気配がない。それだけが俺たちの唯一の不安として残った。


小学校の高学年の頃には『神童』のあだ名が地域に知れ渡り、テレビにも2、3度出演する。そのため、地元ではもちろん、全国的にも娘は有名人の仲間入りを果たした。コンクールの優勝、受賞は当たり前になり、世間からの期待も日に日に大きくなる一方だった。いわゆる『時の人』となった。

俺は後々のことを考慮に入れ、画を保管するためだけに一部屋増築し、娘の絵のほぼ全てをそこにしまった。

たくさんの絵をそこにしまった。だが、そのほとんどが俺の肖像画だった。初めは晩酌をしながらそれらを眺め、悦に入ることも少なくなかった。

しかし、止めどなく生まれる自分の第二、第三の顔に俺は少し気味の悪さを覚えた。

娘の将来のためとはいえ、さすがに嫌気が差して捨てようとしたことがあった。すると突然、一度も反抗らしい反抗を見せなかった娘が噛みついてきた。謝って放してもらった腕には薄っすらと血が滲んでいた。俺が引き下がらなかったら食い千切っていたかもしれない勢いに見えた。

不安になり、俺は娘に尋ねてみる。

「絢子は父さんのことが好きかい?」

すると娘は満面の笑みで頷くのだった。

「大好きだよ!」

それは本当に、妖精のように裏表のない可愛らしい笑顔にしか見えなかった。

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