精霊王の追憶。
精霊王は、英雄と呼ばれる男を思い出すほど知っているわけではない。
会った期間は長いものではなかったし、決して友好的ではなかったと思う。
魔王討伐の協力を求めてやって来た彼らに、精霊王が与えたのは数日間の休憩の場だけだ。
それ以外は、兵も装備も魔法書も回復薬も与えなかった。
…裏で脅され、強力な装備品や珍しい回復薬など根こそぎ奪われはしたが、精霊王の意思で彼らに与えたものはない。
恨まれても、仕方ないと人間の機微に疎い精霊王でも思ったほどだ。
しかし、“人間の国から来た魔王を打ち破る者”という肩書きを外した男は、恨むどころか大笑いした。
『当たり前だ。素性怪しい、しかも本当に魔王を討伐出来るかわからねぇ奴らに、一国の王が投資するなんておかしいからな』
『違いねぇ!』
男の友人らしき獣人もまた大笑いし、仲間の生真面目そうな若い神官は申し訳なさそうに肩をすくめていた。
素性は男の横でコロコロと笑う姪が保証するだろうが、本当に変な男だった。
悪い意味ではなく。
『あんた、真面目過ぎるわ。一国の主では、少しは肩を抜かないといつか潰れるんじゃねーの?』
『むっ、しかし…』
『あー…、力の抜き方がわからないのか。なら、手始めに酒でも飲んで羽目を外してみたどうだ?いい酒なら、付き合ってやるよ』
ニヤッと笑う男と、約束をしたわけではない。
ここに来るとは思えないし、魔王を無事に倒せるとも思ってもみなかった。
それもまた本心だったが、精霊王は心のどこかで、あの変な男が再びやって来てくれることを待っていたのかもしれない。
尤も魔王討伐後から姪の死、そして男自身が亡くなるまで、酒を酌み交わすこともなく、再び会うことはなかったが。
「…あなた、どうしましたの?」
生まれたばかりの息子を抱き上げたまま固まった夫に、精霊王の妃はベッドに横たわったまま問い掛ける。
「む、う。なんでもない、気にするな」
現実逃避してみるが、現実は腕の中。
“森の貴人”と呼ばれる種族の証である、深い森の色をした瞳がキョロキョロと忙しなく動いている。
周囲の者たちは、『好奇心旺盛ですねぇ』などと、微笑ましそうにしているが、精霊王の背には冷たい汗が流れた。
違う、違うのだ、好奇心旺盛というのではなく、その無垢であるはずの瞳はひたすら誰かを探しているのだ。
誰を探しているのは、まったく同じ魔力を持つ者を知る精霊王はすぐにわかった。
愛らしい笑顔で杖を構え、叔父であり精霊王である自分を脅して様々なものをぶんどっていった姪。
彼女が探す人間は、ひとりしかいない。
その男がすでに亡いことを、いずれこの元姪であり現息子に告げなくてはいけないことを考えると、精霊族にあるまじきことに胃がキリキリしてくる王だった。
…後日談だが、この現息子が一番はじめにしゃべった言葉は、かの英雄の名だったことは他の精霊族にはいえないことだ。