第7話
目の前にいる人影が信じられず、旅人は何度も目を擦った。
かつて、妖精姫と呼ばれていた愛らしい容姿のひとりの女がいた。
ゆるやかに波打つ、黒く艶やかな髪。
深緑色の瞳は、精霊族が暮らす深い森を思わせる色。
守ってやりたくなる程、華奢で小さな身体。
それが人間の国王と、精霊王の妹である王妃との間に生まれた王女である。
確かに、旅人の元妻は“王女”だった。
では、ここにいる美しい男は何?
「お久しぶりです。お元気そうでなによりですね」
「あっ、あぁ。そっちも元気でなによりです」
「ふふっ、どうしたのですか。あなたが丁寧な口調で話すなんて」
「あー、なんだ。久しぶり過ぎて緊張してんだよ」
元息子に抱えられて、する会話ではない。
旅人はしかし、降ろすよう要求するでもなく男を見詰める。
髪色も瞳の色も、元妻と同じだ。
顔立ちもよく似ていて、ふたり並べることが出来たら、兄妹に見えただろう。
…いや、どんな言葉を並べても同じだ。
旅人の勘は、目の前の人物が誰だか告げている。
彼の人は、自分の元妻だ。
どこからどう見ても、男に違いないが、自分という前例があるため旅人はすんなり信じることが出来た。
…本当は、前世同様に女だと思って探していたのに、転生したら元妻が男になっていたなんで思いもしなかったなんていえない。
元妻の名を恐る恐る呼べば、相手は自分の名前を噛み締めるようにしてからにっこり微笑んだ。
先程までの会話も親しげな様子で話していたくせに、今更ではあるが。
「あなた、せっかくですから、こちらに来てくださいな。そのような格好では、しっかりあなたの顔が見えませんわ」
口調に大変な違和感があるが、いいたいことは理解できた。
元息子としばらくいい合いをしたものの、渋々という感じでやっと降ろしてくれた。
やっと地面に足が着き、ホッと一息吐く。
「ありがとな。何があったかよくわからなかったが、助かった」
元息子に礼をいえば、彼は何かをいいたげだった。
しばらくは付き合って、口を開いたり閉じたりしている元息子が言葉を発するのを待っていたが、埒かあかないと溜め息ひとつ吐いて元妻の方へと歩み寄る。
また後で、元息子から聞けばいい。
…聞くといえば、先程の元息子の台詞の意味を聞いてないことを思い出す旅人。
あの台詞だと、魔法を放った襲撃者がまるで元妻のようではないかと思い至って元息子へと振り替える。
「おい、さっきの……」
ゴオオォォッ
旅人の髪は、煽られてふわふわと揺れるだけだったが、音の通り凶暴な風が直撃した元息子は無事では済まされなかったようだ。
「って、えぇぇぇっ!どこいった、息子ー!!」
振り返れば後ろにいるはずの元息子は、風が通過した直後にはどこにも姿がなかった。
思わず旅人が叫んでしまったのも、仕方ないことだ。
血の繋がりは、転生したためにもはやないが、“元”とはいえ息子である。
すでに大きな男だが、旅人は心配で仕方ない。
「ふふっ、これでふたりっきりですね」
対する元妻だが、こちらはそんな素振りも見せない。
わたわたしている元夫を、細く見えて意外に逞しい胸に抱き寄せる。
彼は少女の転生しても変わりない、頑固な剛毛に頬擦りをしてうっとりしている。
腹の中にいた頃以来の元息子に、関心がまったくない様子だ。
「あっ、でも野外に長時間いるのもアレですね。あなたも先程、帰って来たばかりでしょう?いまから、あなたの家にお邪魔させてはいただけません?」
抱き寄せられているため、至近距離から美しい笑みを向けられた。
あの、有無をいわさない笑顔である。
「いやいやっ!それより息子が…」
「大丈夫です。あなたと私の子なんですから、無事に決まってます」
キッパリ断言された。
「それより、早く行きましょう。こちらでいいですか?」
『いいですか?』と問いながらも、元妻は自分の元夫を抱き上げて歩き出す。
今度は肩ではなく、膝裏に手を差し込まれて横抱きにされた。
あれ、なんかさっきと同じ雰囲気なような…。
既視感を抱きつつ、旅人は抵抗するのもバカらしくなり、黙って元妻の胸に頭を預ける。
「あっ…」
ゆったりした服越しに、鼓動を感じる。
生きている証であるそれは昔、自分が見ている前でゆっくりと消えていったものだった。
だが今は、力強く脈打っている。
自分と元妻の姿形は違えど、こうして今は生きている。
そう感じた瞬間、肩から力が完全に抜け、ゆったりと身を任せた。
話したいこともたくさんある。
だが、まず先にあのときの返事をしよう。
『どんな姿になっても、傍にいる』