公爵は溜め息を吐く。
彼にとって亡くなった母親は、絵の中で微笑む姿と父の語る話の中しかない。
入り婿だったのに、再婚話が常に飛び交っていたくせ、生涯妻はただ一人。
そんな父が話す母親は、とても可愛らしく聡明で、魔法の才能に溢れた素晴らしい女性であり、聖女もかくやという慈愛に満ちた性格をしていたらしい。
ノロケ話をひたすら聞かされていた息子は、ひとまず父は母親をずっと愛していたことだけは信じていた。
『お前も、そんな女を見付けるんだぞ』
嬉しそうで、幸せそうな顔で亡き妻を語った後、必ずその言葉で締めくくるのだった。
…それで終われば美談となって、とても良かったのに。
「踊って差し上げても、よろしくてよ」
今日の肉食系女子は、自分からダンスに誘うらしい。
しかしながら、相手が悪い。
「結構です」
にこやかに微笑むから返事を勘違いしそうになるが、実際はバッサリと少女の誘いを断っている。
少女だけでなく、その周囲で成り行きを見守っていた人々はみんな同じ表情をして固まった。
『ぽかーん』と口を開けたマヌケ面でいる面々に、公爵は溜め息を吐く。
ここに集まっている面子は自分も含め、王族と国内の有力な貴族たちである。
コレがそうだと、親交国の大使たちに知られるのは恥ずかしい限りだ。
「あっ、あら、そんなことをいっていいのかしら?わたくしは、この国の王女よ。蔑ろにしたら、どうなるかわかっているのかしらね?」
やっと衝撃から復活した少女は、ほとんど平らな胸を張り、頑張って背の高い目の前にいる精霊国の王子を気分的に見下す。
言葉から察すると、どうやら外交問題に発展させると脅しているようだ。
内心、『やれやれ』と思うが、こんなのでも一応王女で、たぶん一滴くらいは血が繋がっているだろうずーーーーーと、遠い血縁者である。
置いてさっさと旅に戻りたい気持ちを抑え、黙って見守ることにした。
「外交問題になられたら、確かに困りますね。これでも、大使として来てますので」
優位に立てたことで気を良くした王女は勝利を確信したのだろう、傲慢さをにじました笑みを浮かべて優雅に手を差し出す。
手袋に包まれた、ほっそりした手を受け取れば問題なくこの場が収まるのだが、公爵はどうせ素直に王子が事を運ばないことを知っていた。
別に元母子だからというわけではなく、悲しいかなこのやり取りは幾度となくあったからだ。
「私の隣に立てるのですか?その顔で?」
会場の空気が凍り付いた。
王女は確かに、美しい。
美しいだけではなく、それを維持するのに多大な努力もしている。
まあ、周りの侍女たちの努力の賜物ではあるのだが、兎に角美しい王女だ。
しかし、それを軽く凌駕するのが精霊国の王子である。
美容など気にしないくせ、天然ものの姿で『光の妖精が周りに群がっているかのように輝いている』やら『美の女神がハンカチを噛みつつ裸足で逃げ出す』やらいわれる美貌である。
…誉め言葉かと疑う内容だが、取り敢えず桁違いな美形だ。
そんな彼は本当に疑問を感じているらしく首を傾げているのだが、人間がなし得られる程度の美人である王女が反論のしようがない。
何せ、桁違いだから。
「そもそも、貴女と踊らないくらいで両国間の関係は変わることはありませんよ。確かに貴女は確かに王女ですが、数多くいる側室の、数多い王女のひとりです。精霊国の唯一の王位継承者の私の立場と、貴女の先程の態度から考えれば…自ずとわかりますよね?」
にっこりと、最高の笑顔を浮かべているのに、何故か有無をいわせない妙なプレッシャーが掛かる。
父の親友である獣人がいっていたのは、これのことだろう。
彼曰く、公爵もときどきそういう顔をしているらしいが、そんなことないと思う。
公爵では玉座から国王が慌てて降りて来て、謝罪なんてしないだろうし。
しかし、お詫びに王女を嫁にやるって、空気読めない挙げ句、ただの罰ゲームだろう。
勝手に、王女との婚約の噂を流して後に引けないのはわかるが、本当に血縁者なのが恥ずかしい。
いっそ、父が外で作った子が自分な…ゾワッ。
悪寒がした。
「だいたい、側室を持つなんてどういう神経なんでしょう。彼の妻は、ただひとりだったのに」
国王の詫びという名の罰ゲームを、あっさり蹴った王子は現在の王家の後宮問題に憤慨していたが、ある意味自業自得だ。
亡くなった元夫を探すため、人間の国にちょくちょく来ているから、『もしかしたら、王女を嫁にするかも』と、変な期待をされるのだ。
もちろん、後宮を広げようと、王女がたくさんいようと、そんなこと絶対に有り得ない。
「あぁ、そうだ。ここに来る途中に、彼を見付けました。私が中々見付けられなかったから、きっと業を煮やしたのでしょう。自分で私が乗った馬の進路を塞いだのに、照れて顔を上げてくれませんでしたが、間違いありません」
さらっといわれた重大なことに、息子は目を見開き、マジマジと元母親を見詰めた。
転生した元母親に出会ってからそれなりの付き合いだが、彼がこんなに幸せな顔で微笑むのははじめてだ。
当たり前だが、元母親の興味は亡くなった夫だけに向いているのだからそれも仕方ない。
息子は、二の次三の次だ。
「なので、息子だからといって邪魔をしないで下さいね」
…息子は父がいった言葉を思い出しながら溜め息を吐きつつ、心の中で否定した。
母親のような女より、父のような一途な相手がいい…と。




