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ripple 8

 満月も6日を過ぎると、月の出はかなり遅くなる。

 月のない都会の夜は街のネオンの明りだけでもの寂しいが、この浜辺は空気が幾分澄んでいるので月の光がないと、その分だけ多くの星を見ることができ、夜空を仰いでも寂しいとは思わない。むしろ、賑やかに感じるぐらいだ。

 満天の、というには多少距離がある星空の下で、いささか場違いな冷やし中華とフルーツサラダを胃におさめた後、巧、広樹、美紗、なぎさの4人は花火を楽しんでいた。

 花火セットを開け、まず線香花火など地味なものから始めていき、ねずみ花火のような多少派手なものになり、いよいよ最後の打ち上げ花火をしようとしていた。

 どうせなら、高い所から打ち上げようという意見にみんな賛成し、巧は自分で提案したそれを果たそうと、一人で崖の上にいた。そこは碧の髪の少女に出会ったという、巧にとって、特別な意味のある場所だった。

 花火を置き、導火線に火をつける。

「よしっ!」

 巧は花火から少しでも遠く離れようと全力疾走する。

 その時、巧は大きな過ちを犯した。何を思ったのか、海に向かって走ってしまったのである。

 花火が打ち上げられる音に、巧の海に落ちていく音が打ち消された。

 広樹と美紗は、刹那、何が起こったか理解できなかった。

 巧が海に落ちた、助けなければ!

 そう大人たちが思うより早く、なぎさが海にとびこんでいた。


 落ちている、と巧はぼんやり思った。

 ――落下速度は重力加速度かける落下時間だったかな……。

 黒板に書かれた白い落下速度の公式が頭を横切る。もうすぐそれも必要なくなるなと思った時、巧は全身に痛みを感じた。水にうちつけられたのだ。鼻と口に、どっと海水が流れこんでくる。手も足も金縛りにあってしまったかのように微動だにしない。

 ――肺が水でいっぱいになる……。

 意識が遠のいていく。死ぬのは怖くなかった。どうせいつかは死ぬのだ、それが多少早まっても恐怖はない。一瞬間のことだ。

 最後に巧が見たのは、碧の髪の少女だった。

 巧は少女に向かって、ゆっくりと手を伸ばした。


「巧、巧、目を覚ませ!」

 闇の中で声がする。聞き覚えのある声だ。

 巧は目を開けた。眼前に見知った顔があった。広樹だ。

 体を起こすと、美紗の心配そうな顔も視界に入ってくる。

「広おじさん、俺、今までどうしてた?」

 広樹は安堵のため息をついた。

「溺れていたんだよ、その分だと、命に別状はなさそうだな」

「誰が俺を?」

 すると、広樹と美紗は顔をくもらせた。

「まさか……なぎさ?」

 うなずいて、広樹が目配せをする。見ると、その方向に小さな人影が見える。間違いなくなぎさのものだ。

「なぎさ!」

 巧は名を呼んで人影に近づく。

「こないで!」

 鋭い叫びが、巧の歩みを止めた。叫びはなぎさのものだったが、普通の状態の声ではなかった。それは明らかに泣き声だった。

「なぎさ……」

 巧はなおも近づいたが、人影がなぎさだとはっきり判る位置に来て、呆然と立ちつくした。

 そこにいたなぎさは、巧の知っているなぎさではなかった。

 月光を受け、風に舞いながら輝くその長い髪の色は、巧の知っている艶やかな黒ではなく、あの少女と同じ、生命力にあふれる美しい碧の色だった。

 自分をまじまじと見つめる巧に、なぎさは弁解するように言う。

「……今までだまっていて、ごめんなさい。おにいちゃんに初めて会った日にわかっていたの。でも、こわくって……、言えなかった」

 ほうける巧を、なぎさは勘違いしたらしい。

「おにいちゃん、なぎさのこと嫌いになっちゃったの……?」

「とんでもない!」

 なぎさにとって全く予想外な答えをして、巧はなぎさを抱きしめた。

「とんでもないよ、どうして人間じゃないからって嫌いになるんだ。そんなバカなことあるわけないだろう」

 巧は嬉しかった。巧の心の中で、なぎさと碧の髪の少女の面影はぴったりと重なっていた。なぎさが少女に似ているのが嬉しいのか、少女がなぎさに似ているのが嬉しいのか、巧にはわからなかった。

「素敵なことじゃないか!」

 もともと自分を含む人間を快く思えなかった巧には、なぎさが人間ではないということが喜ばしいくらいだった。

 なぎさが苦しそうな表情をする。抱きしめられて苦しいなどという幸せな顔ではない。心底苦しみ、困惑するような表情だった。巧には、その顔が見えない。

 突然、その顔が無表情になったかと思うと、なぎさの手が巧の頬を打った。

「私に手を触れるな」

 巧はびくっと体を震わせて、なぎさから離れた。

 その異変が遠くからも見てとれたのだろう、広樹と美紗が走ってくる。

「どうした巧、なぎさちゃん?」

 広樹がそう言うと、なぎさは不機嫌そうに睨んだ。

「気安く私の名を呼ぶな、この下賤の生き物が」

 なぎさの言葉に、広樹ですらが絶句した。

 今のなぎさの見下すような顔は、間違いなく、あの碧の髪の少女のものだった。

 なぎさは3人の顔を一通り見ると、言った。

「成程。確かにそのへんの<原の民>とは少し毛色が違うようね。そう、巧。私はこの子よ。そして、私はなぎさ」

 言い表せない衝撃が3人の体を走った。

「この子がどうして<原の民>の巧を助けたのか、判らないわ。ああ、御心配には及ばなくてよ。私達<海の民>は、母なる海の中で息ができるのですからね。あなた達のように溺れることはないから。ところで、巧」

 なぎさは、先程広樹を睨んだ時のように、今度は巧を睨んだ。

「私に好意を持つことを控えていただけないかしら。迷惑よ」

 少女は皮肉を言うように笑った。巧は胸に釘でも打ちつけられたような鋭い痛みを感じた。

「不思議に思っているわね、巧。そうね、不思議でしょう。私がどうしてあなたの密かな思いを知ったのか」

 なぎさの毒舌が、巧の心の傷を海水で洗う。

「私達はね、太古に<偉大なるもの>からいただいたこの碧の髪で、互いに心で話すのよ。勿論、あなた達の単純な思考をよむことなんて、容易いこと」

「心をよむ……精神感応テレパシー?」

 なぎさは、多少感心したような顔を広樹に向けて肯定を示した。なぎさが時々見せた不自然な行動は、確かにこれで説明がつく。

「気楽に私の髪を触らないことをおすすめするわ。あなた達の心がながれてくる度に、この子は苦しんでいる。巧、この子が苦しむということは、守っていることにはならないのよ」

 謎かけのようななぎさの言葉は、一つの疑問も解決しないかわりに、新たな課題を提供した。

 困惑した3人の顔を前にして、なぎさは、夜風に揺れる前髪をさっとかきあげ、満足そうな笑みを浮かべた。

「残念ながら、そろそろ限界がきたようだわ。最後に、これだけは言っておこうかしら。私も、この子もなぎさ。私はこの子。でも、この子は私じゃないの」

 なぎさはいっそう強く巧をねめつけた。

「巧、私達二人、守れるものなら守ってみなさい。だけど、今の状態ではこの子を守っているとは、言えないわね……」

 その顔に笑みが浮かんだ。その笑みは今までのなぎさの態度からは信じられないほど、可愛らしく素直な微笑みだった。巧の胸に熱い思いが走る。

 次の瞬間、なぎさの両膝が砂の上に落ちた。なぎさの顔は、その衝撃で地面にうちつけそうになるぐらい下を向いた。

「なぎさっ!」

 巧が駆け寄って、なぎさの肩を抱く。髪に手が触れないように、細心の注意を払いながら。

 なぎさは、苦しげに呻いている。

「髪が……」

 左手で口元を押さえ、右手の人差し指をなぎさに向ける美紗の指摘通り、なぎさの髪に変化が生じていた。なぎさの髪はみるみるうちに色を変え、碧の色から再び闇にとけるような黒に戻った。同時になぎさの体が支えを失って前に倒れかかる。

 巧がその体を受けとめたので、なぎさがけがをすることはなかった。

 なぎさは気絶しているようだった。巧が助けを求めるように顔を向けると、今まで遠巻きになぎさを見ていた広樹が早足で近づいてきた。

「とりあえず、なぎさちゃんを部屋に運ぼう。考えるのはそれからでも充分に間に合うさ」

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