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ripple 2

「何かあったのかな?」

「あ、ううん」

 顔をのぞきこんできた広樹に、巧は曖昧な否定をして首を微かに横に振り、手をぎゅっと握る。

 広樹は腰に手をあて、ため息をついた。

 ――ばれたな、これは。

 巧は胸の中でため息をつく。これぐらいの嘘は見ぬけて当たり前なのだ、巧と広樹のつきあいの長さからいえば。この広樹という叔父は、巧が小さい時から彼のことを知っているのだから。

 逆に見抜けなかったら「甥をやめる」と宣言して、この叔父の別荘を出ていきたいぐらいだ。

 二人がおかれた状況を説明するには、彼らの複雑な家庭の事情を説明しなければならない。

 巧の祖父には、妻が二人いた。その間に巧の父親、司と広樹を含めて、四人の子供がいた。そして、祖父の妻達はそれぞれ子供を一人ずつ――司と広樹以外の子供を連れて失踪してしまった。

 巧の祖父という人は一代で莫大な財産を築いた人物ではあったが、性格に欠陥のある人間だった。司もそんな父に愛想をつかして大学生の時に家を出て、父と家の財産を母違いの弟、当時15才の広樹に押しつけたのだ。「押しつけた」というのは司が後に巧に語ったことで、広樹は笑って「相続権が運良く転がりこんできた」と言ってはいるが。

 司は大学の後輩の女性と結婚し、長男が生まれた。彼女が二人目の子供を身籠もった時、二人の家を19才の広樹が訪れた。父が危篤だと言うのだ。

 死の間際の父に広樹は一生結婚しないことを告げた。告げられた父は、広樹がいかに頑固であるかを知っていたので、司の二番目の子供を広樹の養子にし、その子に財産を継がせるという主旨の遺言をして逝った。

 司も広樹に家と父を押しつけたのだから、反論は出来なかった。

 その子というのが巧だった。

 どうせ他人の子になってしまのだという気持ちは両親が面と向かって言わなくても行動に出てしまうようだ。巧はそれを敏感に感じ取り、自分は兄や妹とは違うのだと思いながらも曲がることなく素直に育ち、両親よりも将来は父と呼ぶことになるであろう広樹に懐いたのだった。


「ま、巧が話したくないというのなら、僕も追及はしないでおく」

 そう言うと、広樹は包丁を握り直した。一時中断していた、キュウリを切る小気味良い音が再び台所に響きはじめる。

 広樹は今年36才、独身。さすがに料理は得意だ。

 彼は本原財閥の当主で考古学者でもある。気品のある物腰、知性を感じさせるバリトンの声、なかなか整った顔に、ややもすると痩せぎすに見えかねない程のすらりとした肢体。時々言う冗談も的を外してはいるが、人の心を和ませることも間違いはない。

 こんな彼が独身なのは、絶対に性格のせいだと巧は思う。最もそのことは、広樹が本当に心を開く巧のような人間しか知らないのだが。

「人の嫌がる事を無理に聞き出しても、何の得にもならないからね」

 広樹はキュウリをきざみ続ける。

 ――はたして、あの碧髪の子のことを叔父に話してよいのだろうか。広おじさんのことだ。俺の言うことは少しも疑わないから、間違っても冗談で済ませてしまうことはないだろう。

 そこまで思っても巧はひっかかるものを感じていた。しかし、いずれは話さなくてはならなくなるだろう。

「広おじさん……」

 巧が覚悟を決めて告白すべく話しかけた時、広樹は振り返って巧の前にあるテーブルに皿を3枚並べた。

「なんで皿が3枚なの?」

 ――話題をすりかえてしまった。

 巧は思ったが、夢か現実か曖昧な少女の存在よりも、目の前の現実である皿の枚数の方がその時の巧には気がかりになったことは確かである。

「まだ、言ってなかったか。お客様がいらっしゃるんだよ。ほら、もうそろそろ」

 ちょうど小屋の玄関のドアにつけてある呼び鈴がなる。

「本原さんいらっしゃいますか? 藤村ですけれど」

 思わず可愛らしいと形容したくなるような女性の声がする。

「居りますよ。ここに本原が、ね」

 広樹はそう答え、はずしたエプロンと包丁をシンクに置くとリビングに通じるドアを開け、玄関に向かって歩いていく。巧も広樹を追って玄関の前に立った。

 玄関を開けるとそこには大きな鞄を抱えた眼鏡の、声にあった可愛らしい女性が見上げるように――彼女は背が低いので、長身の広樹にあわせていてのことだろう――立っていた。一見すると二十歳ぐらいにしか見えないが、おそらくもう少し上に違いない。

「久しぶりだね、美紗みささん」

 広樹がにこやかに笑顔を浮かべる。美紗は照れたように下を向く。

「広樹さんもお元気そうで、なによりです」

 下を向いたせいでずり落ちた眼鏡を左の人差し指で上げる美紗。

 巧は美紗とは初対面なのだが、話から推測すると広樹はそうではないらしい。

 叔父さんの恋人だろうか、と思って巧は笑ってしまった。そんな訳がない。叔父は昔、恋人に死なれて祖父に生涯結婚しないと誓ったのだということを、巧は知っていた。第一、目の前の女性と叔父とでは十ぐらい年が違うだろうし。しかし、叔父はともかく美紗という女性は叔父に気があるらしい。

 広樹は美紗に椅子をすすめ、さりげなく荷物を持ってドアを閉める。巧の叔父は、女性に対してこんなちょっとした心配りができる人物なのだ。

 美紗が持つと大きく見えていた鞄も広樹が持つとさほど大きくは見えなかった。

「巧も座りなさい」

 美紗と巧を座らせると、広樹は巧の腕をつかんで美紗に向かって言った。

「彼は僕の甥っこの宮岡みやおか巧、高校2年の17才」

 巧は頭を下げた。次に広樹はつかつかと歩いていって美紗の右脇に立ち、巧に向かって言う。

「巧、こちらは藤村美紗さん。大学院生で海の研究をしていらっしゃる学者の卵さん。今日から一週間、研究のためここに滞在される」

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 美紗は巧に答えると、にっこりと微笑んだ。

 巧が右手をさし出すと、美紗はしっかりと握った。二人の様子を眺めていた広樹が口を開く。

「美紗さん、朝食まだでしょう。よろしければ、ご一緒しませんか? ……と言っても、僕のつたない腕をふるった手料理だけど」

 美紗はふるふると首を横にふった。その仕種が、くりくりとした目の小鹿を思わせる。

「いえ、そんなことありません。広樹さんはお料理、上手ですよ。ぜひご一緒させて下さい」

 まぶしそうに目を細め、広樹は美紗を見る。

「少し待って頂けませんか。スープの仕上げがまだなので。巧、美紗さんのお相手をお願いするよ」

 応接間に巧と美紗を残すと、広樹はキッチンに戻っていった。

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