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ripple 11

 新月が近づいてくる。広樹は日に日に生気を失っていく。広樹の世話をする美紗は、彼がただの風邪ではなく、命に関わる病気を患っており、死期が近づいてきていることを知っただろう。

 なぎさは、窓際でぼんやりと昼間の白い月を眺めていることが多くなった。しかし、かぐや姫のようにさめざめと泣くことはなく、巧の視線に気づくと、健気にもにっこりと笑うのだった。なぎさの記憶は戻っていない。そして、あの晩のことも覚えていなかった。

 それでも、新月は確実に近づいてきていた。

 巧は、この状態で、なぎさが本当に「守られて」いるのかは判らなかった。しかし、新月の晩、何が起こるかには薄々気づいていた。

 それは、なぎさとの別離であることにまず間違いない。

 新月をあさってに控えた今日、晴れわたった晩夏の空は秋の空のように高く、広樹の症状も落ち着いていたので、巧はかねてから計画していた外での昼食会を決行しようと、朝から忙しかった。

 おそらく、4人そろって食べられる食事は、これで最後だろう。

 隣でなぎさが、喜々として巧の作ったサンドイッチと飲み物をバックに、つめている。

 その場をなぎさに任せ、巧は、二階の広樹の部屋にいった。

 広樹は体を起こしていた。どうにか歩けるらしい。咳さえしなければ、健康な時とたいして変わりない。昼食会の場所も歩いて5分たらずのところにある空き地だから、命は縮めるようなことにはならないだろうと、巧は判断していた。

「外に出るなんて久しぶりだな」

 広樹はそうつぶやいた後、小さく微笑んでいた。


 巧をのぞく3人はそれぞれ感嘆の声を上げた。

 案内をしてきた巧は、満足そうな笑みを浮かべた。

 その場所はまさに今から行おうとしている昼食会にうってつけの場所だった。野原というよりは秋桜畑、という形容がしっくりくる。

 一面に色とりどりの秋桜が風に揺れている。つぼみのよりも、花を咲かせているものの方が少し多い。

「秋桜の海……か」

 広樹が嬉しそうに言う。以前、巧は広樹が秋桜が好きだと言ったのを聞いたことがあった。それでこの場所を選んだのだ。

 まず一番に、なぎさが敷物を敷くのにいい場所をみつけた。巧となぎさは二人で敷物を敷く。こうしていると、巧はなぎさが本当に妹のように思われるのだった。

 誰よりも先に、広樹かに座ってもらい、ついで、美紗、なぎさ、巧の順に腰をおろす。

「見て!」

 美紗が指さす方には、青く輝く海が見える。

 4人は、自然の美しさに少しの間見とれていた。

「あ……」

 出し抜けに、なぎさが声を出す。巧は若干怪訝そうに少女を見た。少女は一瞬、瞳をまぶたでおおった。

「私、あそこに住んでいたんだわ」

 視線の先には海がある。

「思い出したんだね?」

 巧の問いになぎさは、うなずいた。が、その顔は哀しげだった。

「なぎさ?」

 心配そうに巧が言う。広樹も美紗もなぎさを見ていた。なぎさの唇が微かに動いた。

「最近、私、自分以外の存在を心の中に感じるの。そして、私、知っているの。その存在が本当のなぎさで、私はちがうんだって」

 辺りがしんと静まりかえった。秋桜が風に揺れ、小さな音を出した。

「綺麗だ」

 一面をみわたして、広樹が言う。

「……いずれはここも住宅地になってしまう。悲しいことだな」

 広樹がため息をついた。

「こんなにいい所なのに」

 巧が敷物の上に横になる。その巧に、広樹はいつもより押さえた低い声で言った。

「人とはそういうもの。自然を壊さなければ生きていけないんだよ」

「それなら、どうして神は人を許したのかしら」

 呟くように美紗が言う。

「いや」

 広樹は首をふった。

「許してはいないのだと僕は思う。きっと、ためしているんだろう、人を」

 なぎさはじっと聞いていた。人ではない自分はこの会話に加わってはならない、と思っていたのだろう。

「ねえ、広おじさん」

「ん?」

 巧は、雲が流れていくのを目で追いながら言った。

「神ってのは、どうして自然をこわすだけの人間を黙って見ているのかな」

「失望しているんだ、人間に」

 間髪入れずに広樹が答えた。彼の性格の悪い部分がこの一言に集約されていた。

「……本当にそうかな……」

 巧が起き上がった。巧は他の3人の顔を見まわした。その瞳は真剣味を帯びていた。

「俺、いい加減にサンドイッチ食べたいんだけれど」

 一同はその言葉に破顔した。広樹が笑ったのはこれが最後だった。


 翌日、早朝に倒れた広樹は病院に運ばれ、丸一日、生死の境を行ったり来たりしていた。

 そして、とうとう新月の日がやって来た。

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