1-5 雪国にて
草木も眠る真夜中のことである。
半月がぽっかりと浮かぶ、夜空の下、降り積もった雪が月明かりに照らされて青白く光っている。当たりは静まりかえっている。
その雪原をたった一人で歩く、髪の長い男。彼の髪の色は降り積もる雪よりも白く、肌も青白かった。彼は黒いコートと黒いマフラーをまとって、静かな雪野原をさくさくと歩いていく。
やがて男は立ち止まり、雪がところどころ積もっている、高い岩山を見上げると、はあっと白い息をついた。
岩山に見せかけた城の中では、暖かい暖炉がたかれ、青い髪の少年が、火の傍で揺り椅子に座りながら、足元にいる青い狼たちを見下ろしていた。
少年は青い洋服を着て、肩に水色のマフラーをかけている。右手には熱い茶の入ったマグカップを持って、ニコニコと微笑みを浮かべているが、足元に跪く狼たちはぶるぶると震えていた。部屋の中は十分暖かく、狼たちは寒さで震えているわけではなかった。
「やれやれ。ほんとに役たたずだよなあ。君たちは……。」
少年は微笑みを絶やさないまま狼たちに言葉を向ける。その声はまだまだ若く、子供らしい声だった。
「お、お赦しください魔王様…!!」
「実は、あの場に突然魔剣と魔銃を持った二人づれがやってきまして…」
「そんなの全部見てたから知ってるよ。まったくあの程度の人間二人を仕留められないだなんて本当に情けないやつらだね。」
少年は声を荒立てるでもなく、あくまでにこやかな調子を絶やさずに、辛辣な言葉を浴びせる。そして、右手に持っていたカップの中身を、足元でうずくまっている一匹の狼の頭に浴びせた。
「アチチチチ…!!」
「魔王様!“青の魔王”ブラウ様!どうかどうかお赦しください…!」
「ダメだよお。ちゃーんとオシオキしないとね。えーいこれでもくらえー」
「ぎゃああああああああ!!」青い髪をした少年の指から、青い稲妻がほとばしり、他の狼たちの体を貫いた。雷の痛みに苦しむ狼たちの様子を、少年は実に楽しげな微笑みを浮かべながら見つめている。
ふいに、部屋の壁に細長い人影が浮かんだ。ここは岩山の最上階。人間は来られないはずである。少年は自分の後ろを振り返った。
「おいブラウ。そのへんでやめておけ。」
白髪の青年が、岩壁をすり抜けて、少年のいる部屋に入ってきた。青い髪の少年は、青年を見ると、あっと嬉しそうな声をあげて、狼たちへ雷を撃つのをあっさりとやめ、揺り椅子から降りて青年の方へと駆け寄った。
「やあ君か!久しぶりだね!元気だった?」
青い髪の少年が嬉しそうに白髪の青年の首元に抱きつく。青年の髪にも黒いコートにも雪が降り積もっているが、そんなことはお構いなしのようだ。
白い髪の男は、青い髪の少年が抱きついてくるのには慣れているのか、払いのけることもせず、ただ、静かに低い声で少年を圧するように言った。
「…おいブラウ、話が違うぞ。」
「……んー?なんのことかなあ?」
「…お前の使い魔が私の領地にやってきてサラを襲っただろう。どういうことだ。」
「あー…ごめんごめん、使い魔が暴走しちゃったみたいでさー。」
悪びれもせずに、てへへと青い髪の少年は笑う。
「ホラ、うち雪国だから他の国に比べて人間が少ないんだよねー。だから使い魔たちもお腹すかせちゃって。だから今もオシオキをしていたところだったのさ。」
「そう言って、事故に見せかければサラを殺してしまっても謝れば許すとでも思っているのか。殺すぞ。」
少年の軽口に対して、青年は殺意のこもった赤い瞳で少年を睨みつける。
「やだー、こわーい。」しかしそんな青年に怯えることなく、少年はクククと笑う。
だが、さすがに青年からの殺気は感じたのか、自らの手を青年から離して、揺り椅子へと体を戻した。
「しかし、君のすることはわからないよ…血のつながりもないあの小娘を、どうしてそこまで必死になって守ろうとするんだい?…そろそろ食べごろになってきたし、とっとと食っちゃえばいいじゃないか。」
「…私はサラを食うつもりはない。」
「やれやれ。君っていう人は…。」
少年は揺り椅子に座って、足をぷらぷらと振る。床まで足が届いていない、小さな体だった。
「でも、あの小娘、けっこう美味しそうだよねえ。あの肉体も魂も、取り込めばかなり大きな力が得られそうなんだよな。」
少年がひとりごとのように呟くのを、青年は赤い瞳で睨みつける。
「……変な話だけど、強い力を持つ魔王である君が大切に大切に守ってきたおかげで、あの小娘は大変清らかに育ち、聖女と同じ匂いを漂わせている。まだ恋をしたことも無いんだろう?」
「…そのような様子は、無いな。」
「君の育てたあの娘の肉体と魂は、多くの魔王たちが欲しがっているよ。さっさと自分のモノにしなきゃ、他の魔王に取られちゃうよ。」
「…そんなことはさせない。サラは必ず守る。」
「やれやれ、魔王らしからぬ発言だね。“白の魔王”ブラン。」
少年はおおげさに肩をすくめてみせる。そして、すっと目を見開くと、青年の顔をじいっと見つめた。瞳は金色に光っていて、丸い形は猫の目に似ていると青年…ブランは思った。
「全くもって僕には理解できないな。餌にもしないで、あの小娘一人にあんなに執着するなんてね。まるで人間みたい。」
「……とにかく、サラには手を出すな。あの時の約束を、違えないでくれ。」
「はいはい。わかったよ…。ほら、そんなに怖い顔しないでってば。お茶でも飲んでいく?」
「いや…良い。邪魔したな。」
「もう帰っちゃうの?つまんないなあ……じゃーね。また遊びにきてね。」
少年…”青の魔王”ブランは、揺り椅子に座ったまま手を振る。白い髪の青年…”白の魔王”ブランは、壁をすり抜けて、静かに消えていった。
青年がすり抜けていった壁を、少年はしばらく見つめると、ゆっくりと、楽しげに金色の眼を細めて、にやりと笑った。