1-2 タマユリソウの森 アーニャ・ハルフォード
よその国では鉄製の機械が導入され、織り物や道具、あるいは武器などが大量生産できるようになったこの時代に、学校の帰りに森に寄って薬草をとってこいとは、なんとも時代遅れなお使いだと思う。
風邪によく効く薬なら、今時は病院か、あるいは大きな薬屋に行ってそれなりに代金を払えば外国のいい薬がすぐに手に入るというのに、おばあさまは頑固に、自家製の手作りの薬にこだわる。別に薬代が惜しいからではない。ただ単に、おばあさまが新しい外国の薬を信用できないと意地を貼っているだけである。
自分は健康体なのだが、兄が病気がちなのでそのための薬を煎じるつもりなのだ。
兄はガリ勉で生真面目で、勉強以外のことにはとんと興味がないつまらない人だ。ガリ勉な割には実力がついていかないのがまた厄介で、本人は都の役人を目指しているのだが試験に合格できるかどうかはだいぶ怪しい。両親は兄の教育にやっきになっているが、まあ無理はさせない方がいいんじゃないのと、妹の私はかなり冷めた目で見ている。
それに引き換え、サラのお兄様であるルーク・ダーリング様は本当に素敵な方だと思う。
文武両道で白皙の美丈夫。美術や音楽にも造詣が深く、立ち振る舞いも上品で優雅で、まさに貴公子だ。いつかお話してみたいと夢見る女学生は自分だけではないはずだ。
でもルーク様はサラの結婚にばかり熱心で、自分のことは全く顧みようともしないのだとサラは笑っている。
「全く、妹の心配の前に自分の心配をしてほしいわ。」
「本当に恋人も婚約者もいないんだって?もったいない…もし私でよかったら立候補したいんだけど。いや結構本気で。」
「えー…アーニャがお姉さんになるのはちょっとな…」
「なんだとう!?そんな生意気口をきくのはこの口かー!?」
隣を歩くサラの右頬を軽くつまんでみる。ぷにっと柔らかい触感が気持ちいい。頬をつままれているサラは、口ではやめてやめてと言っているが顔は笑っていた。
学校の近くの森に寄っていくと言ったらサラも一緒に付いてきてしまった。
サラは森に行くのが好きらしい。なんでも、ダーリング家の庭には、森に咲いているような可愛い花が咲いておらず、植わっているのはトゲトゲのいばらばかりで、小動物もあまり家にやってこない。だから学校の帰りくらい森に入って花や動物をじっくり見たいのだそうだ。
ただ、森に入ったことがルーク様にバレるとすごく怒られるらしいので、いつもこっそりと森に入るらしい。
「森は危ないから入るなってね…私だってもう子供じゃないのに」
きっとルーク様が森に入るのを反対しているのは、サラが心配なのと、ルーク様自身があまり動物をお好きでは無いからなのだろうと思う。確かにあの方がかわいい動物と戯れている様子は想像できない。
そうこうしているうちに、学校の隣にある森に着いた。
かつては魔王の配下にある魔物たちがうじゃうじゃしていて、とても人が近寄れる状態ではなかったらしいけど、どういうわけかある時から魔物達がぱったりと姿を現さなくなり、現在は普通に可愛らしい花が咲き、木の実が成り、普通の動物たちが集まるような場所になったと聞く。おばあさまによると、昔は風邪によく効く薬草…タマユリソウといって、この森にしか生息していないらしい…を採りにいくのも命懸けであったという。それが、魔物が現れなくなってすっかり平和になり、私のような小娘が安心して薬草を採りにいけるようになったのだとか。最も、わざわざ森に入ってこの薬草を採りにくる人も今は私以外にほとんど居ないのだけど。
森の少し奥の方へ入って、群れになっているタマユリソウを見つける。
タマユリソウは全長10センチほどの小さな植物で、白い花と、透明な宝石のような実を付ける、幻想的な姿をした植物だ。見つけたら周辺の土と一緒に、用意していた袋の中に入れる。湿った土と一緒にしておかないと、この不思議な花はすぐに枯れてしまう。家に着くまでに枯れさせてしまっては、煎じ薬としても効果が出なくなる。繊細な植物なのだ。
「このタマユリソウって本当に綺麗だよね。このまま部屋に飾っておきたいな。」
右肩にリスを載せたサラが私の手の中にあるタマユリソウをのぞき込む。
「うーん、日持ちはしないし管理も難しいからオススメはしないよ?本当にジメジメして暗いところに植えないとすぐダメになっちゃうし。それにサラのおうちは遠いから無事に持って帰るだけでも大変だと思うよ。」
「…まあ仮に持って帰れたとしても兄さんに森に行ったことがバレちゃうから飾れないけどね。」
「あ……ゴメン」
「あ!良いの良いの!気にしないで。」
タマユリソウについて語っているとつい我を忘れる。古い時代がかった、煎じ薬の材料集めというお使いに不平や文句は山ほどあるけれど、なんやかんやで私はこの繊細で不思議なタマユリソウという植物が大好きなのだった。
「でもね…私、子供の頃にこの花みたことあるような気がするの…本当にここにしか生えてないのかなあ」
サラが言うけれどそれは気のせいだろうと思う。
「この花はこの国ではここにしか生えてないよ。本か何かで見たか…外国に行ったときに見かけたとか、じゃない?」
まあルーク様の森嫌いを考えるなら、きっと本なのだろうと思うけど。
突然、サラの肩に乗っていたリスが急に走り降りて、森の入口の方へ走り去ってしまった。
「えっ!?」
驚いてリスの走り去った方を見るサラ。何か怖い動物でも来たのかと、私がリスとは反対方向に目を向けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
オレンジ色だったはずの空が、向こう側からどんどんと暗くなっていく。
青い色のなにやらドロドロとした液体が地面から沸き上がり、こちらへとゆっくり流れてくる。
池を見ると、いつも静かな水面が、ぶくぶくと泡立ち始めた……
「な、なに…!?」
「サラ、早く戻ろう!」
急いでサラの手をつかんで森の入口へと駆け出そうとした時。
後ろで、ざばあっ…と嫌な水音が聞こえた。
おそるおそる振り返ると…そこには、青い泥のようなものをまとった、狼のような獣が3匹…いや、池の底からどんどんと陸に上がってくる…こんな生き物、図鑑でも見たことがない…
「アーニャ、止まっちゃダメ!早く逃げなきゃ!」
足がすくんでしまった私の手を今度はサラがつかんで、森の出口へと走っていく。
夢だ…これは夢だ…きっと出口に行けば、目が覚めて私はベッドの上にいるに違いない。
サラと手をつないで、がむしゃらに走っていく。でも獣はものすごい速さでこちらを追っているのが気配でわかる。
これは夢だこれは夢だ!!早く覚めろ覚めろ覚めろ!!