5-3 剣のささやき
夕暮れ時、學校の生徒が帰るころ、アレクサンダー率いる兵団の戦士たちが街を右往左往していた。銃を背負ったオットーもいつになく慌てているように見えたので、アーニャ・ハルフォードは気になって声をかけてみた。
「オットーさん、どうかなさったんですか?」
「アーニャ殿、アレクサンダー様をお見かけいたしませんでしたか?」
オットーの顔が少し青い。ただことでは無さそうだとアーニャは感じた。
「いえ?アレク様がどうかなさったんですか?」
「それがその…今朝、少し散歩に出てくると言ったきり、まだお戻りにならないのです。」
「ええっ、だってもう夕方ですよ!?」
「そうなんです、一体どうなさったのか・・・今、公爵家の軍の皆様にもご協力いただいているんですが……」
「わかりました、ウチの者にも言ってアレク様を探させます!」
「ありがとうございます、では私はこれで!」
オットーとアーニャはそれぞれ別々の方向に走り出した。
そのころアレクの身体は剣に飲み込まれ、暗い闇の中を漂っていた。
体が焼かれているように熱く、息もできない。何も見えない中で、アレクはもがいた。
くそっこんなところで死んでたまるか…なんとかしなくては…アレクは痛みをこらえて、なんとか両目を開けた。
眼を開くと、不意に体を焼き尽くすようだった痛みが消え、遥か下方に光が見えた。
アレクサンダーは光に向かって泳ぎだした。
光の中に、先程の黒い剣が……いや、黒い剣の幻影があった。
『やあ。はじめまして、ザガイア神聖帝国皇子アレクサンダー殿。」
低く甘い声は剣から響いていた。
「お前は、一体なんなんだ・・・。」
アレクは銃を構えようとした。が、身につけていたはずの銃がない。
慌てて自身を調べてみると、なんと剣まで無くなっている。
「そう慌てなくていい。君の目の前には、この世で最高最強の武器があるのだから。」
「最高の武器・・・?」
『そうとも。私の刃はどんなものでも切り裂き、確実に命を奪う。聖剣でしか倒せないという魔王も、私なら倒せる。』
「お前は…一体…名前は……?」
『名前ね・・・人は私を、シュバルツ・・・黒の魔王と呼んでいるよ。』
「お前が…白の魔王にも勝るという最凶の魔王か!」
『まあ待ちなさい。君は白の魔王ブランを倒したいのだろう?私なら、君の力になってあげられると思うんだが。』
「ふざけるな!誰が魔王の助けなど借りるものか!」
『わからないな、なぜそのように聖剣にこだわるのか?建前など、どうにでもなるだろうに……そもそも君は、本当に“白の魔王”を憎んでいるのかね?』
「……どういうことだ。」
虚をつかれ、アレクは一瞬戸惑った。
『君が本当に求めるものは何か、もう一度よく思い出してご覧。君は父親の敵を打ちたいのかね?世界の人々を救いたいのかね?…いいや、どれも建前のはずだ。本当は、君は“英雄”になりたいだけなんだろう?違うかな?』
「なっ……貴様!」
剣に掴みかかろうとするアレクを、不意に激しい痛みが襲った。火に焼かれたかのような痛みが体を走る。アレクはどっと倒れた。
『こらこら、そのように、すぐにカッとなるところが君の悪い癖だ。……思い出せないのなら、思い出させてあげよう。君が“英雄”になることを望む本当の理由を!』
突然、アレクの頭に激しい痛みが走る。無理やり脳みそをこじ開けられているかのような、激しい痛みにアレクは気絶しそうになった。
アレクの頭の中に様々な光景が浮かび上がる。
広大ながら雪に覆われた大地、常に鎧を身にまとい、剣を携えていた父、何人かの兄弟たちの、どこか冷たい表情。アレクは父や兄弟たちとの交流がほとんど無かった。優しく、家族らしく接してもらった覚えもない。自分は皇族なのだから、それは普通のことなのだと無理やり思い込んでいた。自分は国民とは違う人間なのだ。国民と同じような幸せを追い求めるべきではないのだと……これは家庭教師の影響だったような気もする。
そんな中、アレクに優しくしてくれたのは、皇族に仕える女たちだった。その中でも、特に印象に残っていたのが……皇帝に寵愛されていた、黒髪の妾だった。
豚のように肥え皇帝に比べて、彼女は美しい人だった。彼女は、なぜだかアレクをことの他かわいがってくれていた。剣の鍛錬に勤しんでいるところを、こっそり覗いて涙をにじませていることもあって、アレクは子供ごころに不思議に思っていた。
しかし彼女が病気にかかって死んだ時に、家臣の誰かがこっそりと噂するのを自分ははっきりと聞いた。
『なんとおいたわしいことだ………』
『あの人こそ…本当は由緒ある王家の娘だったのに……』
『あの国の王が皇帝陛下に最後まで逆らったのがまずかったな……』
『王女が下女の身に落とされ、敵国の皇帝の子を孕むなど……聞けばあの王女には愛する婚約者がいたというではないか。それが、国が敗れたときに自害も許されず、あの皇帝…もとは奴隷の身だったあの男に手篭めにされて……』
『しっ!控えよ!』
『アレクサンダー様もおかわいそうだ…知らぬとはいえ……アレクサンダー様の母は……』
「やめろおおおおおおおお!」
アレクは絶叫した。ずっと忘れていたはずの記憶。旅をしている間にすっかり封印したと思っていた記憶が蘇ったのだ。
『もちろん、国を滅亡させられたことは憎かっただろう。しかし、君はそんなに自分の父親に愛着があったのかね?国を愛していたのかね?本当に君が求めていたものはなんだ?』
語りかけてくる剣の低くも甘い声に、アレクは知らず知らずのうちに涙を流していた。
そうだ、自分は……
『君は幼い頃、随分辛い想いをして育ってきたね。父親や兄弟からは冷遇されて、君はいつも一人ぼっちだった。そんな中でも君は皇族としての誇りを持って、日々の学問や鍛錬に勤しんできた。子供のころから君は真面目だったんだね。偉かったな。』
剣の声はあくまでとても優しい。アレクは年長の男性に、こんなに優しい声をかけてもらったことなど無かった。家来から賞賛はされても、優しく褒められたことなどなかった。
『実は、卑しい妾だと思っていたその女性こそ、君の本当の母親だった。そして・・・彼女は元々とある誇り高き王家の人間。それを辱め、妾の身に落としたのがザガイア神聖帝国皇帝……君の父上だ。……君は、君の母のために、世界に誇る英雄となることを望んでいたのだ。』
「そんな……僕は……自分の欲望のために闘ってきたんじゃない!」
『自分の欲望の為に闘うのがどうしていけない?君のそれは、決して利己的なものではないとは思うがね。母上の名誉を取り戻したい、自分の名誉を勝ち取りたい、というのは実に高尚な想いではないか。むしろ人の上に立つものならば持つべき向上心だ。それで君の願いが果たされれば、結果として多くの人々が助かる。それでいいではないか?』
剣の言うことはすべてが図星だった。アレクサンダー自身が認めたくなかった、でも本当は分かってほしかった思いを、剣は見事に言い当てていた。
本当は、親や家来たちが死んでしまったことなんて、口実だった。国の仇をとるために魔王を倒す、という大義名分が必要だっただけなんだ。自分は、親の仇が憎い、と思い込んでいたんだ。
自分は、人々から尊敬される、英雄になりたかったのだ。
好きでもない男の妾になって、たった一人の息子だった自分に淡い希望を託して死んでしまった母のために。そして、己自身の誇りのために。
『言っておくが、君が本物の聖剣を手に入れることは、できない。永遠にね。何故なら、君自身が神を信用していないからだ。違うかな?』
アレクはぎくりとした。
「そんなことはない!私は……」
『いやいや、君は実に賢い。神を信じて祈ったところで何にもならないことをよく知っている。そんな人間に、神が最高の剣を与えると思うのかね?』
「そんな……」
『心配しなくても大丈夫だ。我の力をもってすれば、“白の魔王”の息の根をとめることができる。』
「でも、お前だって魔王なんだろ・・・」
『だからなんだ?恐ろしい“白の魔王”さえ倒せれば君は世界の英雄だ。それで結構ではないか!』
勇気づけるような剣の声に、アレクは力が湧いてくるような気がした。この剣さえモノにしてしまえば……自分に聖剣が手に入れられないというのなら……
『もちろん、君のために、人々の前では“聖剣”として振舞うことを約束しよう。なあに、誰も本物を見たことがないんだ。白い宝石に似たようなものをつけておいて、水晶のごとき刃をきらめかせていたら、バレることはあるまい。』
そうか……そうだよな……バレなきゃ問題ないんだ……どうせ誰もわかりゃしない…。
『悪を倒す力こそが正義なのだよ。建前なんかどうとでもなる。さあ、私を手に取り給え、“英雄”アレクサンダーよ!自らと、母上の誇りを取り戻せ!白の魔王に囚われたプリンセスも、君の助けを待っている!もう時間がないぞ!』
アレクサンダーにはもう迷いは無かった。頼もしい剣の甘い声に引き寄せられて、アレクは目の前の剣をがっしりと掴んだ。
途端に、力がみなぎって、勇気が湧いてきた。もう自分には恐いものなんて何もないと、そんな気分になってきた。
「せいぜい利用させてもらうぞ、最凶最悪の、“黒の魔王”シュバルツよ。」
「素晴らしい。君は最高に頼もしい”英雄だよ。」
剣は朗らかに笑った。それにつられて、アレクも笑った。
突然、時空が歪んで、アレクは元いた草原に佇んでいた。手にはしっかりと、“黒の魔王”の剣を……どう見ても聖なる剣にしか見えないが……握っていた。約束通り、剣の柄にはそれはそれは美しく、大きな白い宝石が嵌め込まれている。
「ほーお。ソイツに気に入られたみてえだな!」
突然、アレクの頭上から少年の声がした。アレクが剣を構えて頭上を見上げると、木の上に林檎を持った少年が座っていた。
「何者だ!」
「おっと、攻撃は無用だぜ。俺は“赤の魔王”ロットー、ってモンだ。アンタが持ってる“黒の魔王”の味方だよ。」
赤い髪の少年は、木からふわりと降りて、アレクの目の前に立った。見たところ、まだ十三歳くらいの子供に見える。
「なんだって……」
「正直言うと、俺もあの“白の魔王”のことキライなんだわ。黒の魔王に認められたってことは、今日からアンタは俺の仲間だ。影から協力させてもらうぜ。」
ロットーと名乗る少年はニカっと笑ってアレクに右手を差し出した。だが、アレクはそれを拒んだ。
「……協力などいらん。私が組んだのは“黒の魔王”だけだ。」
「あっそ。まあ勝手にやらせてもらうわ。アンタも好きに行動してみろよ。」
少年はあっさりと手を引っ込めて、助走をつけてジャンプしたかと思うと、そのまま空に消えた。どうやら本当に人間ではないらしい。
「アレク様!こんな所にいらっしゃったのですか!心配いたしました……どうなさったのです、その剣は!」
オットーがアレクに駆け寄ってくる。
「心配するな、オットー。」
アレクは優雅に微笑んで、剣の柄を握り直して、切っ先を大空に向けた。
「私は、白の魔王を倒す力を手に入れた。」
その笑みは、ぞっとするほどに美しかった。




