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魔王とプリンセス  作者: 藤ともみ
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1-1 メリーノ女学校長 オードリー・メイプル

 メリーノ女学校は、良家の子女に教養をつけ、良妻賢母とすることを目的としている学校である。

つい最近までは、女性に教育をつけるなどこの国の人々は誰も考えてもいなかった。良家の女性は両親や女中たちにかしずかれ、優雅に振る舞い、自らの意見をとやかく言わずただ穏やかに微笑んでいれば良いというのが常識であった。

 しかし20年程前にライラ・メリーノという外国で教養を積んだ女性が夫と共にこの国、フェトラ公国にやってきて、男女関係なく近所の子供たちに読み書きを教えるようになってから、フェトラ公国の人々の考えは徐々に変わっていった。

 はじめはもちろん、女児に教育をさずけようとする彼女を快く思わない者も多かった。しかし、ライラは敬虔な神教徒で、「男女関係なく、みんなが聖書をきちんと読めるようにしてあげたい」という一途な思いで子供たちの教育に取り組んでいた。その、まっすぐな心が人々に受け入れられ、フェトラに移り住んで5年目になって、教会からの支援を受けて女学校を設立することに成功した。

 その後、しばらくして自身の後継者が育つと、彼女は夫と共に故郷であるオルフェリア王国へと帰ってしまった。その後の彼女の行方は不明である。なぜかというと、彼女が帰国してまもなく、ザガイア神聖帝国軍がオルフェリア王国に突然攻撃を仕掛け、オルフェリア王国は滅亡してしまったからである。今から8年前の出来事である。ライラはおそらく戦争に巻き込まれて死亡してしまったのだろう、という説が有力だが、いやいやどこかに亡命しているのだという説、というか期待も根強い。

 校訓は、『無力の力』である。学問を進めても、決して奢ることなく、自分の無力を自覚し、謙虚に学んでいく姿勢を忘れずに、という戒めである。

 女学校の生徒ならば、女学校の創立者ライラ・メリーノの献身的な勤めと、『無力の力』の校訓は誰でも入学して初めての授業でならい、よく知っている。ライラの肖像画はなぜか一枚も残っていないが、生徒たちはそれぞれ、自分のライラ・メリーノ像を頭に思い浮かべて、その女性を敬慕していた。

 メリーノ女史の「みなが聖書を読めるように」という建学の精神にのっとり、この女学校はまず女子に文字を教え、神の教えを説くことを目的とした、宗教学校としての性格が強い。もっとも、メリーノ女史の「貴賎を問わず子供に文字を教えたい」という願いを受け継ぐことはなかなか難しく、経済的に豊かな良家の子女しか受け入れられなくなってしまったことは、大変に遺憾ではあるが仕方がない……と、校長のオードリー・メイプルは思う。昔ほど教会も支援をしてはくれなくなり、学校にも自活が求められるようになったからだ。だから豊かな家の子女を対象とした、良妻賢母へと方針も転換せざるをえなくなった。しかしそれで、昔よりも生徒数が増えたのであるから世の中皮肉なものである。

 近頃の若い女学生たちは、いや、男女関係なく今の若者は神を本心から信仰することはなくなってきているのだろうなとメイプル校長は思う。

 20年前、ライラの意志に共感して一緒に学校を設立するために奔走していたころは、神の敵である魔王率いる魔族や魔物が頻繁に人を襲っていたから、みんな自分の身を守るために熱心に神に祈っていた。

 しかし、ある時からどういうわけか魔王の侵攻がぱったりと止んでしまい、フェトラ公国に平和が訪れてから、人々は自らの敵であった魔王たちを忘れると同時に、自らが信仰していた神のありがたみも忘れてしまった。今の女学生たちはおおむね皆真面目で、授業や説教もよく聞くが、彼女たちにとって神の教えや戒め、神話はあくまで教養の一つでしかないのであろう。しかしそれも仕方ないことだし、当然のことだろうとメイプル校長は思う。自らも生活が魔王によって脅かされていた頃は命を守るために熱心に神に祈っていたが、安全な生活を手に入れてからは毎朝の祈りも形式的なものになってしまった。そもそも、魔王が実際に人へ危害を及ぼすことが無ければ、自分もそれほど神を信仰していなかったように思う。女学生たちへの手前、そんなことは口が裂けても言えないのだが。

 正直なところ、メイプル校長は「女子に教養をつけることが重要だ」という認識がこの国に広まればそれだけで十分に満足であった。ライラの活動が世に認められるまでは、女の癖に本なんぞ読んで生意気だとずいぶんいじめられたものである。ライラにとって最大の目標であった、神の教えを多くの人々に広めることは、メイプルにとっては女子教育を肯定するための手段の一つであった。

 ライラがこの小さな国の現状を見たらどう思うであろうか。人々が熱心に神を信仰していないことを嘆くだろうか。それとも人々が魔王の恐怖に怯えることのない生活を遅れることを喜ぶだろうか。きっと後者であろうとメイプル校長は思いを馳せる。ライラは熱心な神教徒だったが、それは人々の生活の平安を願えばこそであったのだから。

 ライラは本当に謙虚で清廉な人物だった。自分の私利私欲など顧みることなく、いつも神の教えや戒めを乞い、他人のために頑張っているような女性だった。

 ライラの肖像画が無いのも、女学校の設立者として後の生徒たちが自分を崇めることを恐れた彼女自身が決して自分の絵を学校に残してはならないと皆に言い含めていたからである。それではあまりにも彼女の貢献に対して割が合わないと考えたメイプル校長は、ライラが国を出たあとにこっそりと彼女の肖像画を絵師に頼んだことが何度もあったのだが、不思議なことに、どんな画家に頼んでも、どんなに詳しくライラの特徴を述べても全く本人に似ず、結局一枚もライラの肖像画は作ることができなかった。

 どうして聖人のようだったライラが去り、俗物である自分がここに残ってしまったのか。それも仕方のないことだ、と割り切らなければオードリー・メイプルはやりきれない。

 そう、この世のすべては人の思うようにはいかない。それこそきっと、すべて神の導きなのだと、すべてはきっと定められた運命なのだと割り切らなければとてもやっていけそうにないのだ。


 秘書が市長からの手紙を持って校長室に入ってきた。気が付けばもう夕方である。

校舎増築の許可と、支援金を市長に申し出ていたのだが、その返事が来たのだ。

 返事を見れば、こちらの要求は全て受け入れられ、校舎増築の為に学校の隣にある森を一部伐採すること、その費用は学校と市で半分ずつ出すことなどを認める、という内容だった。

 俗物である自分はライラのように清廉になれない分、経営者として彼女の残した学校を守らねばならない。きっと、聖人であったライラにはこうした商売や経営は難しかったであろう。彼女にできなかった方法で、自分は学校を守り、大きくしていく。

 そうすることで、自分はやっと、彼女―ライラと同じ位置に立てるような気がして、メイプル校長は、学校の経営だけは諦めずにいた。




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