第26話 いっそ俺を罵れ
俺は頭の中が真っ白になった。
思わず言葉を失って、俺は両手で頭を抱えた。
紙切れには、殴り書きで確かに書かれていた。
どう読み取っても、このメッセージといい人形が不自然に落ちていたことから
野月は『俺』に『誘拐』された。
勿論、全くの部外者が野月をさらった可能性もある。
豪邸に住む一人娘から大金を要求しようと考える悪い奴だってそりゃいるだろうさ。
だけど、それは有り得ないんだ。
何故ならはっきりと要求を書いているからな。
『俺の命』と交換ってな。
こんな事要求するヤツ、『未来の俺』以外有り得ないだろ?
椿は俺が手から落とした紙切れを拾って、そのメッセージを読み取った。
当然ながら、あいつの目付きが変わった。
「――っ! そんな、気づいてたのに……どうして……?」
「……椿」
事情を知る俺達は勿論のこと、先輩とその執事もこのメッセージを見ちまったんだよな。
どう説明すりゃいいんだこれ。
先輩はどう言葉をかければいいかわからないのか
または野月が堂々と自宅でさらわれた事にショックを受けているのか
俺達の様子を見て、戸惑っていた。
「……ごめん、私のせいだ」
椿が一言呟くと、紙切れを俺に手渡して俺と目を合わせていた。
その瞳は、俺が殺されかけたあのときと、そして俺を守ってくれたときの目と同じだ。
「邦彦……君は関係ない。 でも、こんな事する『未来の君』を、私は絶対に許せない……
私やっぱり……『君』を殺さないといけない……っ!」
俺は何も言い返すことができなかった。
まさか俺自身ではなく、俺の身内に手を出すなんて思わなかったんだ。
事態を甘く見ていた。
こんな暢気に、遊んでいる場合じゃなかったんだ。
椿も、同じ事を感じ取ったに違いない。
すると、椿は先輩と執事の間を潜り抜けていった。
俺も慌てて追いかけようと、椿の後を追うと
椿の前に担任が立ち塞がっている光景を目にした。
「黒柳、非常事態だ。 犯人が近くにいるかもしれん、今は警察が来るまで一歩も外に出ることは許さん」
「……警察なんて、必要ない」
「これは遊びではないぞ、本物の犯罪だ。 教師として勝手な行動を許すわけにはいかん」
「……」
担任は例の真面目モードへと切り替わっていた。
どうやらこの調子だと京のヤツも事件を知っちまってんだろうな。
椿は諦めて、トボトボと俺の元へと歩み寄ってきた。
おかしいな、こいつならあんな担任ぐらい簡単に突破できるはずなのに。
「……全部、片付けてくるから」
すれ違ったとき、椿は俺にそう告げた。
全部、片付けてくる……か。
俺はパッと振り返ると、椿が猛ダッシュでバルコニーに向かっている姿を捕らえる。
それはもう、人間が出せるような速度じゃない。
その勢いのまま、人間離れした跳躍力で椿は闇へと姿を消していった。
「た、大変……椿ちゃんがっ!?」
「あいつなら大丈夫だろ、放っといてやれよ」
「で、でも遊馬くん……ここかなりの高さがあるのよ?」
先輩はあのダッシュを目の当たりにしても、まだ椿をただの人間だと思ってくれているのか。
ありがたいことなのか何なのやら。
「遊馬、黒柳は何処に?」
「す、すぐ戻ってくるだろ。 この紙切れだって、野月のイタズラかもしれないだろ? 今頃どっかで隠れてるって」
何とか誤魔化そうと、俺は必死で思考を回転させた。
だが、俺の言葉には誰も反応を示さない。
むしろ空気が読めないバカとでも思われてしまっているかもしれん。
……手遅れなのか、もう全員巻き込んじまったのか?
昨日の晩、椿は俺に別れを告げていたよな。
あの時、何で俺引き止めちまったんだろう。
あのまま、椿を行かせていれば……こんな事態、起きなかったじゃねぇか。
俺が一人で勝手に盛り上がって、全てを知らなければならないとか、カッコつけたりしていなきゃ
今頃、全てが終わっていたんじゃないのか?
……俺のせいだ、全部俺が悪い。
根拠もなく、未来の俺と向き合うだのバカ見たいな事言ってたせいじゃねぇか。
結局、アイツの足を引っ張っちまった。
「……邦彦」
京が心配そうに俺の名を呼んだ。
悟らせないぞ、何が何でも誤魔化してやる。
俺なら出来るはずだ。
「な、なんだよ。 な、何なら俺が野月を探し出してやる。 あいつちっこいから隠れるの得意だろうしさ」
「邦彦っ!」
京の力強い叫びに、俺は体をビクッとさせて口を閉じた。
なんだよ、らしくねぇな。
「……君が関わっていることは言わなくてもわかってるさ。
少しでも、僕達を信用できるなら……昨日何があったか、聞かせてくれ」
「き、昨日? おいおい、お前なぁ、心配しすぎだって」
俺の額からは変な汗がじわじわと噴出していた。
服がビショビショに濡れちまうほど、尋常ではない汗の量が流れ出していた。
「私では力になれないかもしれないけど、遊馬くんの悩みを聞くことぐらいはできるわよ?」
「せ、先輩? 俺もう平気ですって、ほらこの通りっ!」
俺は元気だ、いつも通りさ。
平常心を保て、下手に動揺するとますます怪しまれるだろ。
そうだ空元気だ、なぁに俺なら出来るさ。
「子供達だけでは危険だ、大人の私の知恵があってこそ解決することもあると思わんか?」
「先生、あーえーっと、やだなぁ、これはきっと機関の奴らっすよ、ほらいつもみたいに優秀な人材を抜き出して人体改造を試みてるだけっすよ」
何を言っているんだ、俺は。
いかん、思考が段々と錯乱してきたぞ。
突然、視界がブラックアウトした。
立ちくらみを感じて、カクンっと膝をついた。
「……遊馬、任せろ。 教師である私を、担任である私を少しでも信頼できるのであれば
何があっただけでも聞かせてほしい、これは私個人の願いではない、お前のためでもあるんだぞ」
信頼とか、そういう問題じゃないんだ先生。
そういうレベルを、超えてるんだよ。
話したところで、何も意味はないんだ。
「遊馬くんの辛そうな顔を見られないの、お願い……話すだけでも楽になると思うから、聞かせて?」
先輩……優しい言葉をありがとう。
だけど、あの話をしてしまったら先輩はきっと俺を余計心配する。
きっと俺の話を疑いもなく、信用してくれるってのはわかってるんだ。
貴方に負担を、かけたくないんだ。
「今日は何のために集まったと思っているんだい? それとも、僕達じゃ力不足かな?」
京、お前には何度も世話になっているが今回は無理だ。
悪いが諦めてくれ、これ以上お前に迷惑をかけられん。
「ハッハッハー、いやぁ参っちまうな。 ちょっと昼のダメージが残っているんだろうなー」
クラクラとしながら、俺は立ち上がって力なく言葉を振り絞る。
それ以上の言葉は、出なかった。
「しっかりしろ、野月のことなら警察が必ず何とかしてくれるだろう」
「そうよ、遊馬くん。 貴方は何も心配しなくていいのよ?」
「辛いのは皆同じさ、それに僕たちは親友だろ?」
畜生、なんでこいつらは俺を罵倒したり呆れたりしないんだ?
ここまでアホな事を口走ってるってのに、不謹慎だってキレてもいいんだぞ?
そうだ、俺のことより野月を心配してやれよ。
あいつ今頃怖い思い、してんだろ。
一刻も早く、見つけ出してやれよ、
警察なんかに頼ってねーで、さ。
だから、俺のことは放っておこうぜ。
「ああ、そうだ。 野月にこのクソワニ、届けてやろうぜ。 だからほら、あいつを探しに……行こうぜ、な」
俺は床に落ちていたワニの人形を拾って、そう呟く。
俺は手にはめ込んで、口をパクパクとさせてみる。
野月はいつもこんなことして喋ってんだよなぁ。
あいつ、なんでこれを使って喋るんだろう。
「おうおうおう、俺の相棒が誘拐されちまっただって? そりゃ大問題だ、すぐに皆で探してやらねーとな」
まるで腹話術になっていない。
俺はワニを口パクさせながら、ほぼ素で喋っていた。
「まぁそれもこれも、ぜーんぶエロヒコが悪いのさ。 こいつがアホなことばっかしたおかげで俺の相棒が巻き込まれたわけ。
だからこいつをぶん殴るなり焼くなり好きにしろ、俺がアフリカにいた頃なら今頃噛み殺しているところだぜ?」
きっと野月が真実を知れば、こんな風に言うんだろうなと思いつつ俺は代弁していた。
その時、先生が鬼のような形相で俺に迫ってきた。
ああ、やっとキレたか。
そうだ、そうやって俺をもっと叱ってくれ。
全部俺のせいさ、もうこんな悪さできないように、殴り飛ばしてくれよ。
大人のアンタなら、俺を入院させることぐらい余裕だろ?
むしろうっかり殺しちまう勢いでも構わん。
さあ、思い切ってやれよ。
バチンッ!
本気の平手打ちが、俺の右頬を直撃した。
滅茶苦茶痛い、ヒリヒリする。
思わず涙目になっちまうほどの、痛みだった。
「目を覚ませ、しっかりしろっ! 気を確かに持つんだ、遊馬っ!」
先生は俺の両肩を掴んで、しっかり目を合わせてそう叫んだ。
俺はただ、呆然とするだけだった。
「大丈夫だ、私達はお前の味方だ。 お前は悪くない、語らなくともそれだけはわかる。
自分を責めるな、もし話を聞いて本当にお前が間違ったことをしていたというのなら
私が必ず間違いを正してやる、絶対にだっ! だから遊馬、私を……私達を信じろっ!」
先生の言葉に、俺はただ圧倒された。
言葉が、出なかった。
京と先輩は何も言わない、先生は二人の気持ちも代弁していた。
なんだ、これ。
あれ、おかしいな。
目から何かあふれ出してきたぞ。
ちょっと胸が苦しくなってきた。
何で、俺泣いてんだ?
別に何も、悲しんでねぇぞ。
ただ、ちょっと
誰も俺を咎めようとせずに
俺のことを心配してくれてるんだなって思っただけじゃないか。
……やっぱり俺はバカだ。
どうしようもなかったんだよ、どうすりゃいいかわからなかった。
椿はどっかいっちまうし、俺はただあの紙切れに混乱していたし
ああ、そうさ。 辛かったんだよ。
未来の俺が、今の俺の知人に手を出すなんて
あまりにもショックがでかいだろ?
それも、俺がこうやって暢気で遊んでたせいなんだぜ?
また、目を背けようとしちまってたんだ。 現実から。
答えが出ずに、何をしていいかもわからないまま、こんなに心配してくれている仲間を何裏切ろうとしてたんだよ。
一人で考えても、しょうがないだろ。
もう巻き込んじまったんだ、今更引いてもしょうがねぇさ。
そうだ、別にこれぐらい口に出してもいい。
そんだけ俺の力になってくれるって言ってくれるんなら
期待しても、いいんだよな?
先生、さっきみたいに俺が間違えそうなときは、平手打ちしてくれるよな?
先輩、俺がどうしようもなくダメになったときは、その優しさで励ましてくれるよな?
京、困ったときはいつでも俺の相談に乗って助けてくれたよな? 今回も、力を借りていいんだよな?
わかったよ、ならば俺は
全てを話す。
俺は、こう呟いた。
「悪い、助けてくれ」




