メリーゴーランドは回る、丸山田 誠一郎
メリーゴーランド。誰もが一度は幼い頃に一度は乗ったことがあるだろう。上下に揺れる白い木馬、騎乗の間は夢の世界に旅立つことができる。
しかし、夜のメリーゴーランドは不気味そのものだった。誰も乗っていないのに、動き出した木馬達。薄暗い照明の中で踊るそれは、まるでこの世と隔絶された別世界のようだった。
「懐かしいですね。もし、あの子が大きくなったら……三人で遊園地に行って、メリーゴーランドに乗りたい……私達の……夢でしたよね、光彦さん?」
メリーゴーランドの前に二つの人影があった。スーパーフジタニの制服を着用し、左肩に春川を担ぎ、右手に刀を持った若い女性……藤内。がっちりとした体型がスーツの上からはっきりと解る若い男……吉村。
「龍太が生きていれば、今年で33……もしかしたら、私達はおじいちゃん、おばあちゃんになっていたかもしれません……時間の流れとは無情ですね。そう思いませんか、彩華?」
吉村の問い掛けに藤内は表情を変えずに、春川を地面に優しく横たわらせ、刀を抜いた。
「昔の事なんですね、もう……。もし、たった一人の……かわいい息子が……今の私達を見たら……どう思うか……」
「『もし』とか『たら』とか、そんな仮定の話をしてもしょうがないでしょう。私達の息子は死んだ。車にはねられて。あれは運命だった。そう思うしかない。そして私はヴァンパイア。君はヴァンパイアハンター。この事実も変わりがない。これから始まる事も……」
吉村は上着を脱ぎ、戦闘形態へと姿を変える。黒く変貌した皮膚と鋭く伸びた爪。赤く光る瞳と、鋭い牙が、メリーゴーランドを背景に藤内の前に立ちはだかる。
「最初で最後の夫婦喧嘩……いや。もう赤の他人でしたね、私達は……行きますよ……彩華」
藤内は、胸ポケットに入れておいた紙切れを吉村の鼻先に突き出す。それは緑色の文字で印字された、一枚の記入用紙だった。
「離婚届です。戸籍上では私達、まだ夫婦なんですよ?」
氏名の欄には吉村 光彦と吉村 彩華の名前があった。しかし、生年月日の欄は空白だった。吉村はすぐにそれに気付いたが、その話題に触れると、攻撃の手がより激しくなる事が予想されたので、沈黙を貫いた。
「離婚届は、お互いが合意しないと役所が受理してくれません。今日はもらいます、あなたの首と印鑑……」
「律儀な女だ……だが、そこがいい。彩華。きっと龍太も一人で寂しいでしょう……あの子の所へ行ってやってください」
メリーゴーランドは回る。ひたすら回る。しかし、回っても回っても前の木馬に追いつくことはない。それは30年間互いを追い求めた二人と同じであった。しかし、今夜ようやく30年来のけじめが付けられる。
斬撃。刺突。薙ぎ払い。藤内の刀が吉村の爪と切り結ぶ。絶え間無き斬り合い。二人の間には無数の火花が散る。夜の闇はその度、カメラでフラッシュを焚いた様に一瞬発光し、再び闇で黒く塗りつぶされる。
30年前……二人の間には3歳になったばかりの息子がいた。名前は龍太。顔立ちは母親に似てとても可愛らしく、性格は父親に似てやんちゃな子だった。しかしある時、不幸が起きた。
少し目を離した間に……二人の目の前で……。
吉村は自分を呪った。もっとこの手が早く伸びていたなら、もっとこの足が速く走れたなら……もっと、もっと……。
そんな折、出くわしてしまった絶対たる強大なヴァンパイアの力。吉村はそこに救いを求めた。無力な自分を呪う自分。そこからただ抜け出したい、逃げ出したい一心ですがりついた。
いつしか力に溺れ、吉村は人ではなかった。忠実な『T』の僕……。人を捨てることで、人であった時の過ちも捨てる。吉村はそうすることで、罪の意識から逃れたかったのだ。
藤内は全てを受け入れた。息子の死も、ヴァンパイアハンターも、現実も。受け入れて前へ進んだ。過去は変えられない。あるのは重くのしかかる現実と、この手に残る斬撃の感触のみ。
もっと早くに気付けていたら、いや。あの日外出さえしていなければ……後悔先に立たず。
だから前へ進む。吉村がああなってしまったのも、すべては自分のせい。
だから自分の手でケリを付ける。他の誰にも迷惑はかけない。夫婦喧嘩は犬にも、ヴァンパイアにも、誰にも食わせない。すべては自分の手で、今日この場でケリを付ける。
剣戟。双爪と刀。鋭く研ぎ澄まされた刃は夜空ごと斬るかのように、真一文字に空中から一直線に振り下ろされる。
火花。爪と刃がこすれ合うとき、そこを中心として衝撃と火花と爆音が周囲へと伝わる。
後退。互いに間合いを測り直し、相手の出方を窺う。これは、相手のクセを互いに知っているから迂闊に動けないという理由もあった。
「虫を一匹殺すのに、家中大騒ぎした君がここまで遠慮なく刃を振るうとは……やはり時間は無情だ。30年はそれだけ君を変えてしまったか……」
「あなたは変わっていませんね。30年前からずっと……あの瞬間からずっとあなたは変わっていない。ウソを付くときは、必ず歯をかみ締めるクセも、変わっていません。効きませんよ? あなたのフェイント」
「やれやれ……君はいつもそうだ。勘が鋭い上に、他人の細かい事によく気が付く。だからこそ――自分の事に関しては鈍い。君の動き……パターンは読めました。次で終わりです」
互いに引かない。そして、隙を探り合う。一瞬の油断。集中力が切れた時――それが終わりの時。
藤内の額を汗が流れる。それが髪を伝い……まぶたに落ちる。それが始まりだった。
吉村は繰り出す。渾身の一撃を。
だが、藤内はかわさない。フェイントである事を見抜いているからだ。
だから、直撃した。
吉村の爪は、藤内の刀の横っ腹を捕らえ、刀身を柄とキレイに半分こにした。吉村はあえて自分のクセを利用したのだ。フェイントのフェイント。さらに藤内の動きは分析済みなので、フェイントを入れた次の攻撃でカウンターを繰り出すことも予想済だ。それが藤内の武器を破壊し、勝機を奪うという結果に至った。
「終わりですね……彩華」
刃は折れて、地面に突き刺さっている。そして、申し訳程度に柄にくっついている刃程度では、武器になりそうにない。
吉村が迫る。爪が――スーパーフジタニのピンク色の制服の上着を切り裂く。
「メリーゴーランドにヴァンパイア。これほどミスマッチかつ、見栄えの悪いワンショットはねえな」
「春川くん……」
春川がトライデントで吉村の爪を受け止め、藤内は無事だった。
「ヨッシー、邪魔すんぜ。夫婦喧嘩はイケメンも食わねーが、アヤちゃんは人類の宝だ。ヴァンパイアハンター兼トレジャーハンターなオレが相手だ!」
「貴様……エリーと戦って生きていたか。邪魔な奴め」
吉村はトライデントに遮られていた爪に力を込め、春川を押し始める。
「春川くん……私はいいから、田中さんと瑠奈ちゃんを助けに行ってあげてください。私はなんとかなりますから」
「はあ!? アヤちゃんの武器はもうないじゃんよ!」
「それなら大丈夫。私には、もう一本ありますから。……それに、最近出番がなかったんです。少しくらい活躍させてください」
春川をみつめる藤内の眼に確かな決意の光が宿っていた。春川はその決意に負け、吉村の爪を受け止めていた手を放し、横にそれる。
「行くぜ、オレ。後でな、アヤちゃん」
「行ってらっしゃい、春川くん」
藤内は闇の奥に消えて行った春川の背中を見送り、吉村に向き直る。
「あの子は元気がいっぱいで、ちょっとおバカな所もあるけど……優しくて可愛い子なんです。……龍太みたいに。私にとっては、息子みたいなものですね」
藤内は営業スマイルではなく、心から笑った。そして、突き刺さっていた刃に足を向け、上着を脱ぎ、手に巻きつけると刃を握る。さらに、上着をそこに巻きつけ固定する。
「ヴァンパイアハンターの検定制度は5級から1級までです」
「知っていますよ。そんな事は。私だって君達のことをずっと研究してきた」
「1級までというのは、一般的な話です。1級所持者が会得する技……高速で相手に迫り、下段から斬り上げる『紫電』。それよりも高速の横一文字の一薙ぎ……『神威』。それを会得したヴァンパイアハンターは尊敬と畏怖の念を込めて、特1級と呼ばれるそうです」
「中学生くらいの子供が好きな設定ですね。で? 君はそれが使えると? フハハハ。まともな剣ですらないボンクラで、どうするつもりです」
一閃。銀の光が煌いたのは一瞬。乾いた笑い声を上げたまま吉村は、高速の横一文字の一薙ぎを受けて崩れる。
「ちなみにウソです。そんな技なんてありませんし、検定制度は1級までです。あなたは笑うと目を閉じるクセがあるから……本当に変わってませんね、光彦さん……」
メリーゴーランドは回る。やがて夢の時間は終わりを告げ、電源が落ちる。光を失った白馬の目には、一つの終焉が映し出された。