主婦VSヴァンパイアハンター、丸山田 誠一郎
「ちょっとブチョー!? いくら、フルアーマーマルちゃんがイマイチだからって、チャームポイントの鍋破壊することないんじゃないの!?」
頭部のパーツを失った誠一郎だったが、それでも怯むことなく渡辺と対峙し、背中の春川に思いを託した。
「春川くん……僕のことはいいんだ……それよりここは僕に任せて、先に行って瑠奈とるーちゃんと師匠を助けてやってくれ……きっと今頃……恥ずかしい写真の撮影会が始まっているはずだ。なんとしても、それを阻止して……」
春川は思わず息を飲んだ。誠一郎の言う、恥ずかしい写真の撮影会が真実かどうかは解らないが、誠一郎があの渡辺を一対一で引き受けるというのだ。渡辺の実力は春川も一目置いている。はっきり言って誠一郎が敵うはずもないのだが、それでも引き受けるという誠一郎の背中に漢を感じた。
「わかった。行くぜ、アヤちゃんインコちゃん。ここはマルちゃんに任せてオレ達は先に進もう。マルちゃん、待ってるぜ」
「うん」
誠一郎は春川に振り向かず、言葉だけで頷く。春川たちが先に進んだのを確認すると、鯉のぼりの先端を渡辺に向けて、一歩前に出る。
「君には30年来の……入社式から積もり積もった恨みがありますからねえ。今日はとことん残業してもらいますよ? 僕に蹴られまくるお仕事ですけどねえ!」
再び渡辺が迫る。俊足。誠一郎の目には、まるでテレポーテーションをしたかのように、一瞬で背後に回られて、振り向く。
「生意気なんですよ、君は! あろう事か、社員食堂で僕が食べるはずだったスペシャルお子様ランチを、一人で20人分注文して、そのすぐ後ろにいた僕に回ってこなかった!」
槍の様な鋭い蹴りが、誠一郎の腹部……野球の防具を突き破り、クリティカルヒットする。誠一郎は声を上げることなく、後ろへ吹き飛ばされ手にしていた伝説の剣と盾を武装解除してしまい、ゴミ箱の上にお尻から突っ込んでしまう。
「入社5年目の事です。君と一緒に行ったお得意先の部長さんが、えらく君の事を気に入っておられてね。君の、ピーナッツを指で5個弾いて、それをすべて口の中に放り込む技を、僕が別の日に一人で訪問したとき、あろうことか、『渡辺くんもできるよね?』と強要されて、僕もやってみたら自分の鼻の穴に入り込んでしまったあげく、部長さんの鼻にも入ってしまって大騒ぎですよ。救急車を呼んで一大事でした。その部長さんは何とか一命を取り留めましたが、僕の信用はガタ落ちです」
渡辺の積年の恨みが暴露されていく。
誠一郎は立ち上がろうとしたが、ゴミ箱にお尻がジャストフィットしてしまい、抜け出せないでいた。
「いいかっこうですねえ。丸山田くん。君にお似合いだ。君にはゴミ箱が良く似合う。なに、大丈夫。奥さんもお嬢さんも、僕が幸せにしてあげますよ。僕のずっとあこがれだった美雪……それが何故こんな奴に……許せない。君のような男に彼女は似合わない」
「渡辺部長……」
渡辺は落ちていた鯉のぼりの先端を誠一郎の額に突きつけた。
「丸山田くん。今日の残業はこれで終わりです。上がっていいですよ? そしてお行きなさい。あの世へ」
誠一郎に鯉のぼりの先端が迫る。しかし――。
「う!?」
渡辺の右手にボールペンが飛んできて、鯉のぼりの先端が弾かれる。
「お久しぶりです、渡辺部長。主人がいつもお世話になっております」
「君は……」
夕闇に包まれた三合レジャーランドの入場門に、スーパーの買い物袋を左手に持ち、年季の入ったママチャリに盗難防止用のチェーンをかけて、その人物がやってきた。トップスは白いノースリーブ。ボトムスは黒のハーフパンツ。そして、健康サンダルを履いた本人曰くその服装は『遠征用装備』だ。
「あれは確か……もう、10年くらい前になりますね。酔った主人を家まで運んでいただいて……その節はご迷惑をお掛けしました」
「美雪……?」
誠一郎が呟くと同時。美雪が走った。美雪の未だ衰えていない、セクシーな足から繰り出される蹴りが、渡辺の側頭部を直撃する。渡辺は健康サンダルのつま先を食らい、自販機に体を叩きつけられた。
「何故、君がここに……?」
よろめきながら立ち上がった渡辺に、美雪がさも当然の様に答える。
「知らないんですか? 渡辺部長。今日はスーパーヤオイチで18時からお肉の半額処分セールがあるんです」
左手のスーパーの袋を肩の位置まで持ち上げて美雪は答える。その中身が夕日に照らされ、4つの黒毛和牛肩ロースステーキのパックらしきシルエットを外側からでも渡辺にも確認できた。
「そのスーパー……隣県のでしょう? 一体、どうやって……」
渡辺は、しばし唖然とし美雪の答えを待った。
「主婦に不可能はありません」
美雪は有名SNS。NIXIのママ友のコミュ二ティで、奇怪な生物を三合レジャーランド付近で見かけたというブログの記事と、そこに映っていた重装備の夫の姿を確認し、直感的に夫の身に何かあったのでは? と思い、隣県のスーパーからママチャリにまたがり、時速80キロで駆けてきたのである。
ちなみに、この日。都市伝説を語る某掲示板のスレで『怪人ママチャリ女』、もしくは『ビューティフルサイクロン』が話題になっており、それが大型二輪に乗って爆走していた若者8人をゴボウ抜きにして、震え上がった若者らは頭を丸めて、寺に入って無事更生されたという記事が載っており、一躍有名になったのだが、美雪はそれを知らない。
「あなた、大丈夫?」
美雪は誠一郎をゴミ箱から救出すると、どこにもケガが無い事を確認して、ほっと一息ついた。
「美雪……ありがとう。僕の体の事を心配してくれて……」
「当然じゃない! だって……あなたの身に何かあったら……」
「美雪……」
「家のローンが払えなくなるし、明日、通販で買った美容器具の代金だって危うくなるし、車のローンも、瑠奈の授業料も……」
美雪は家計簿にあった出費のデータを全て並べ立て、働き手がいなくなった後の丸山田家の悲惨さを20分かけ、図解して説明した。
「それよりたいへんなんだ、美雪! 瑠奈が……あの男にさらわれたんだ! 渡辺部長が……犯人なんだ!」
「……何ですって?」
美雪は渡辺に振り向き、闘気をたぎらせた。
「フフ。美雪さん。バレてしまっては仕方ない。どうです? そんな男はさっさと捨てて、僕と一緒になりませんか? 僕ならば……ローンも全て肩代わりしてあげるし、お望みの美容器具だってなんでも、買って上げましょう。瑠奈さんの為に、一流の家庭教師をつけるのもいいし、この際だ。新型のハイブリットカーの試乗にでも行きませんか? そのままキャッシュで買って、家まで乗って帰るのもいい」
「私は金を見せびらかしたり、金で何でも買えると思っている男が嫌いなんです。この人は……馬鹿だし、甲斐性もないし、人300倍食べるし、トイレは長いし、いい所がありません」
「み、美雪……」
誠一郎はがっくりとうなだれた。
「でも」
美雪は胸を張って、笑って続ける。
「幸せなんです。この人と一緒なら」
「美雪……」
誠一郎は感動のあまり、顔から分泌できる液体をすべて垂れ流した。
「やれやれ。どうやら僕の見込み違いだったようだ……いいでしょう。ならば、夫婦仲良く水入らずであの世へお行きなさい」
渡辺が走った。美雪は動かず、神経を集中させる。
「生意気な女は嫌いなんですよ、僕は!」
放物線を描くように跳躍し、下半身をくねらせ、回転を加えた渡辺の華麗な蹴りが、美雪に迫る。しかし、美雪は動かない。
美雪は渡辺の足が迫るコンマ何秒かの前に、渡辺の足の動きを見切った上で、右手で足首をつかみ、相手の力を殺さず、さらにそのまま自分の力を上乗せして、地面に叩きつけた。
「遅い。遅いわ。渡辺部長。これがミナミやったら、食いだおれ人形でドついて、道頓堀に放り投げたる所やわ」
美雪は、戦闘時に興奮すると大阪弁に戻ってしまうらしい。
「ぐ!? なぜ……生身の人間が……ヴァンパイアハンターになって身体能力が強化されているこの僕の……体術を……」
立ち上がった渡辺に、今度は美雪から仕掛けた。蹴りと蹴り。気合と気合。互いの技がぶつかり合い、まるで少年漫画のワンシーンのような光景が誠一郎の目の前で繰り広げられた。
「遅い!」
ついには美雪の上段蹴りが渡辺の首にヒットし、さらに下段蹴りが運悪く、股間に直撃して、渡辺は動きを止めた。そして、サマーソルトキックでトドメを差した。『美雪乱舞』だか、『鳳凰脚』である。
「立ちぃや。ミナミやったらこっからが本番なんやで?」
しかし、渡辺は立ち上がることなく、地面に倒れてそのまま動かなくなった。17年経った今でも、大阪で語り継がれている伝説の女格闘家『ミナミの龍』は健在であった。