ヤツの名は保志 せんぱい、丸山田 誠一郎
ドアをノックする。一度、二度、三度。返事はない。そっとドアに餃子の様な耳をくっ付けて、部屋の中の音声の盗聴を試みる。やはり、何も聞こえない。意を決し、ドアノブに手を掛け、禁断の聖地に足を踏み入れた。
「瑠奈……帰っていないのか……」
日曜の朝の日差しがカーテンの隙間から差し込んで、誠一郎はそちらに足を向ける。何年ぶりだろうか、愛娘の部屋に乗り込んだのは……。
昨日、早朝のランニングから帰ってきた瑠奈は着替えると、すぐに家を飛び出した。何も告げず、玄関のドアを壊しかねない勢いで閉めて……。どうせお腹を空かせたら帰ってくるだろう。そう高をくくっていたのだが、思いがけず一晩経っても帰ってきていない。
「まさか」
誠一郎の中に一抹の不安がよぎる。まさか……お泊りでは? 誰の家に? 友達……? まさか、まさか、まさか!!
「おのれ……よくも瑠奈を……許さないぞ、瑠奈の彼氏の男め!」
誠一郎は怒りで目を充血させ、全身から負のオーラを噴出した。鼻からは沸騰したやかんのように蒸気がフーフーと漏れ出し、こめかみには青筋が浮き出ていた。一体、戦闘力は如何ほどのモノなのか。
何か部屋に手がかりはないかと、頭を360度回転させて、サーチモードに切り替える。視覚と嗅覚と聴覚と味覚……主に味覚の部分が発達した誠一郎だったが、机の上に置かれたビーズの塊。もといケイタイだった物を発見し、手に取る。
「これは、瑠奈の携帯電話か!」
いけないとは思いつつも、瑠奈の身に迫った危険を知るためにも、いたしかたない。折りたたみ式の画面を見ると、何件も不在着信とメールが届いていた。そのどれもが、『☆せんぱい☆』なる人物からだった。
「せんぱいというのか、瑠奈の彼氏の名は……いや、この☆のマークは……そうか! 名字だ! 保志 せんぱいか! フルネームは!! フフフフフ。 保志 せんぱい! 貴様の寿命は今日までだ! 待っていろよ、瑠奈! パパが今助けに行ってやるからな!」
誠一郎らしい勘違いを披露したところで、ビーズの塊が小刻みに震え、メールを着信した事を告げる。
「ん? またこいつからか!」
誠一郎は、新着メールのフォルダに移動し、タイトル名『おはようござんす、るーちゃん』を開く。内容は以下の通りである。
『やー、おはよう、るーちゃん。今日もイケてるね~。え? どうして解るかって? オレには視えるのさ、バッチリ決めたるーちゃんが、携帯を手に持って感動しながらこのメールを読んでいるのをね! オレの愛はるーちゃんと視神経を繋げているのさ! ほら、目を閉じてご覧、見えるだろう? 三合ハム園に佇む儚げなオレの姿が……それじゃ、午前10時に三合ハム園の噴水前に集合だぜ、あんまり遅いとオレ、噴水で泳いじゃうかもよ?』
誠一郎は怒りに燃え上がった。サムい内容のメールもそうだが、相手の男の軽いこと軽いこと……しかも、春川のモノマネをして公園をハム園と読んでいるではないか。誠一郎は携帯を手に持って激昂する。
「噴水に沈めてやるぞ! 保志 せんぱい。……待っていろ」
そして、午前9時50分の三合公園に誠一郎はのそのそとやってきた。その顔を見た誰もが、顔を引きつらせ、道を譲る。まるで、モーゼが海を割ったように、人の波は誠一郎を避けるように、噴水までの道を開ける。
噴水前には数人の人影があった。一人は小学生くらいの女の子。まさか、彼女が……? ぎろりと女の子を見つめると、女の子は泣き出して、母親の元へ走って逃げた。
「違ったか」
いや、当たり前だろう。
噴水の前で杖をついて、お爺さんがよろよろとズボンのポケットから携帯を取り出した。……間違いない。
「失礼」
誠一郎はお爺さんから携帯をひったくり、その中身を確認する。待ち受けは、誠一郎も大好きな『放課後うはうはパニック』でお馴染みの高城 あさぎが、かがみ込んで胸を寄せている画像であった。
「な、なにするんじゃ! この無礼者が!」
携帯を奪い返したお爺さんは杖を肩に担いで、怒りをあらわにしながら、がに股で、ドスドスと公園を出て行った。杖を携行する必要があったのかどうか、疑わしい。
「また違った……」
それもそうだ。
しかたがなく、瑠奈の部屋から持ち出したビーズの塊を取り出し、他に有益な情報が無いか確認しようと画面を開いた時だった。
『着信中 ☆せんぱい☆』
そう、表示されていた。
「あれ、マルちゃん!?」
何故か、目の前にはめかし込んだ春川がいて、誠一郎は驚きと喜びを含んで問いかけた。
「ん、春川くん? 奇遇だね、こんな所で……散歩かい?」