放課後うはうはパニック、丸山田 誠一郎
留子は暗闇の中で目を覚ました。光の差さない闇の中。体は動かない。ベッドの上のようだが、ここが搬送された病院ではないことはすぐにわかった。
手足、首、腹回り……鎖で拘束されている。病院にこんなサービスはない。頼んだ覚えも無い。一体、ここはどこなのか? 留子は頭の中を整理しつつ、周りの空間に目を凝らした。
「眠り姫のお目覚めですか? いやはや、ここまで運ぶのに苦労しましたよ。意外と重い――おっと、レディーに対してこれは失礼。ですがこれも仕事。仕事に妥協は許されませんからねぇ」
男の声。それも聞き覚えのある声だった。
「お前……渡辺か?」
「はい」
暗闇の中から出てきた渡辺は薄笑いを浮かべて、ゆっくりと留子のベッドに近寄っていく。
「なるほど。薄々感づいてはいたが……そうだったとはな」
渡辺は歩みを止め、さらに笑いを止める。
「さすが田中氏……年の功よりなんとやら、たいしたものです。僕の素性をご存知だったとは……」
「行動を見れば解る。一挙手一投足。それを見ればお前の事などすべてお見通しだ。お前の目的は……私だろう?」
渡辺は止めていた薄笑いを再び始める。
「ええ。ずっとその時を待っていました……フフ。長かった。まさか、このタイミングでチャンスが巡ってくるとは」
「そんなに前からなのか……やはり、お前は」
「フ……そういう事です」
「ロリコンだったのか」
「そう、スパイだったのです」
留子と渡辺の口が同時に動き、言葉がすれ違った。
「は?」
「お前のケイタイの待ち受けを見た時、確信したよ。あの写真の幼女は何だ? まさか自分の母親だとか言い訳はするまいな? それともあれか、妹か? そういうのはディスプレイの向こう側の妹だけにしてくれ、マジで」
「いや、あれは……」
「どうせこの鎖もお前の趣味なんだろう!? 今から恥ずかしい写真の撮影会とか始めるんだろう!? 大きなお友達がたくさんいるんだろう!?」
「いや、違いますよ……あれは僕の娘です。それに、さっきスパイだと言ったじゃないですか! そんな趣味あるわけがないでしょう! PCには大人の女性がいっぱい出演しているビデオがたくさんありますよ! ウソだと思うなら、ほらここに! 高城 あさぎや日向 ららが熱演している『放課後うはうはパニック』なんか――」
「おい、待て。今、何て言った?」
「『放課後うはうはパニック』ですか?」
「違う、その前!」
「PCには大人の女性がいっぱい出演しているビデオが――」
「その少し後!」
「高城 あさぎや日向 ららが熱演……」
「あのブタの貯金箱……いいネーミングセンスじゃないか……それで、『高城 らら』か……酢豚にして手榴弾と一緒に皿に盛ってやる……」
留子は心の中で復讐を誓った。
「相変わらずうるさい女ですね、田中 留子」
「お前……」
声の主を見て怒りに燃える留子は絶句した。渡辺の横に本来ならばそこにいるべきではない人物が立っていたからだ。
「吉村さん、ご命令通り……田中 留子を捕獲しておきましたが……」
「ご苦労様です。渡辺 義久。あとはもう一人の姫君をお迎えに上がってもらうとしましょうか」
吉村だった。渡辺の隣に立った吉村が、留子を冷たい瞳で見下ろしている。
「それが……どうも家にはいないようでしてね。現在所在を調べているのですが……もうしばらく時間をください。必ず結果を出して見せますので」
「いいでしょう。では、お行きなさい。この仕事が終われば、これであなたも私達の仲間入りを果たすことができますよ?」
「仲間……だと?」
留子の問い掛けに渡辺は肩を震わせて答える。
「ええ。正直、あなた達のような、ごっこ遊びではつまらないのですよ。僕はもっと上を目指せる男です。そのためにはヴァンパイアの力が必要だ。吉村さんなら……僕の願いを叶えてくれる。ヴァンパイアハンターの転職先がヴァンパイアだなんて、笑える話でしょう? 僕の人生の踏み台の一つになってもらいますよ、田中さん」
「フフ。正直な所。話に乗ってくるとはあまり期待していなかったのですがいい手駒を手に入れました。アーノルドのような壊れかけのガラクタや、エリーのような感情で動く獣なんかよりもよっぽどいい。自分の欲望に忠実で、高い向上心を持ち、主人に絶対服従。本来の上下関係とはこういうものでしょう? あなた達のような仲良しこよしでは、これからの来るべき戦いには打ち勝てません」
「……それでは、僕はこれで失礼します」
「ええ、期待していますよ、渡辺 義久」
吉村の返事とともに渡辺は闇の中へ溶けるように消えて行った。
「田中 留子。お父様はお前に大層会いたがっていたのでね、渡辺には一仕事してもらったわけです」
「あいつ……」
留子は奥歯をかみ締め、渡辺の消えた方を睨みつけた。
「昨日の友は今日の敵……所詮私たちは敵同士。馴れ合うことなんて初めからできないんですよ」
「……だろうな。そんな事は解っていたさ」
「ああ。忘れていました。アーノルドを始末してくれてありがとう、たいへん感謝していますよ。エリーも鎖を解き放っておいたので、うまくいけばヴァンパイアハンターの何人かと共倒れてくれるかもしれません。いやあ。本当にあなた達には感謝してもしきれませんね」
「お前……何考えてるんだ?」
「決まっているでしょう。お父様の寵愛を受けるのは私一人で十分なんです。ずっと目の上のタンコブだった邪魔な兄弟二人を始末できてせいせいする。明日が待ち遠しいですね、お父様はどのように私をお褒め下さるのか……。おっと、いけない。私もそろそろ失礼しますか。では、おやすみなさい、田中 留子。いい夢を」
吉村もまた、闇の奥へと姿を消し、留子だけがそこに取り残される。
「夢ならもうさっき見たよ。最低のをな」